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傷はアイデンティティ?

ある政治学者が、現代の若い人の間では、「心の傷」というのが自分を形成する大きなアイデンティティになっている、というようなことを話していた。そうだろうなぁ。

画一化教育から個性を重視、と政府は少しは教育方針を変えているようだけれど、学校では相変わらず同調圧力がとても強い。学校=権力からの抑圧だと、まだ反発心も育っていくかと思うが、それが子どもたちの間ではばかる横の関係での不文律となってしまうと、人間が育つ中で、次第にいきいきしたエネルギーを絡め取られていくような気がする。

目立たないように、キャラを演じて、、、と心を縮めていると、いつの間にか他者と接する自己表面はツルツルとつかみどころがなくなる一方、自分を自分らしく感じられるのは唯一、心のうずきに対してしかなくなっていくのはそりゃあ当然だろう。

ちょっと昔は、トラウマがある、傷ついた、とさえ言えない雰囲気だったので、オープンにできる現在の方がもちろんずっと良いに決まっている。日本だけでなく、米国などでも、特に若者世代でセラピスト(カウンセラー)に行くのはより繊細で教養が高いことなんだとポジティブアイデンティティになっていることを考えると、世界全体が心の時代に突入しているのもしれない。

私もずいぶん傷ついてきた。10代の頃は、心が石になって、何も感じなくなれば良いのに、と叫びたいほど辛かったし、タフな人、明るい人が心底羨ましかった。生育環境そのもが傷だった私には、傷があることを認めることは、傷ついた過去の自分も、そしてその傷を背負っていく未来の自分のことも醜い惨めな不良品としか思えなかったからだ。そして若い頃は、絶望的な未来しかないとわかってしまうほど、惨めなことはなかった。心の傷の辛さは、誰でも持っていると思うが、その傷の数も深さもひとそれぞれで、それで人間の優劣がつかない、と今では思えるけれど、じゃあ、子どもの頃の苦労は買ってでも、、、などと同じようには決して言えないし、勲章とも思えないし、何なら今でさえ引きずっているものもある。

一方、最近不思議に思うことも事実だ。傷つけられた人はわんさかいるのに、傷をつける人はあまりいないのはなぜだろう。これって、ほんの少数派の加害者が、あちこち旋回して周りの人を傷つけまくっていること?もちろん、暴力や犯罪は絶対に許されるものではない。病的なトラウマはとても深刻だし、見逃さないでほしい。マイクロアグレッションや差別的発言は発信者と比べ、受けた方の痛みは深刻で本当に不快だ。システムでの差別(例えば性別を常に分けられたり書かされたりする)や社会的な差別(国籍や肌の色、性別など)が人の心につける傷は、そもそものシステムや構造を早急に作り変えて行かなければならない、と思う。

でも、これだけ皆が痛みを抱えているということは、もしかして、私たちは自覚なくしてお互いに傷つけあっているってことではないか。傷つけられた、という話を聞いてみると、こんなことでも!!と驚くことも多い。知り合いのことば、通りがかりの人の眼差し、学校や会社などなど。そして、この私も何の気なく相手を傷つけていたかも、と考えると怖くて手が震えた。

なぜなら、私は傷つきやすいくせに、自分は話すこと、言葉の選択が上手でなく、意図せずして相手に不快感を与えてしまっているかもという不安が常にあるからだ。わずかな言葉のチョイスで、相手が一瞬怪訝な顔になり、あわわ!!!と言った苦い経験が何度もある。家に帰ってから、どうすればもっとこちらの気持ちが伝わったのかな、あの一言を言わなければよかったと悶々とクヨクヨすることもある。

ということを前提として、でも、言いたい(私自身にも)。以前に思想家で武道家の内田樹さんが、彼の専門は合気道なので、それを稽古しているうち、体のかわし技だけでなく、何となく心のかわし技的なものも身についた、と書かれていた。それが具体的にどういうものかはわからないが、心の傷をたくさん持って生きてきた私が今言えることは、敢えて自分の心を、無責任な他者の言葉の刃に差し出さないでほしい。例えば、「ああ、相手はわからないし、知らないから」と許すような見方をしても良いし、「こんな人に自分を傷つけられてたまるものか」とファイト精神アドレナリンを活性化させても良い。

それに加えて、もう一つ、認知行動療法的な方法もぜひ知ってほしいと思う。認知行動療法とは、自身の認知の歪みを認識してみることから自身に影響が及んで結果、気持ちや行動が変わるという考え方である。これは、決して相手のひどい言動に言い訳をつけたり、自分の気持ちを捻じ曲げるようなものではない。誰でも認知の歪みはあるので、それを客観視したり、見えていないことに気が付くという考え方である。

例えば、流産をした女性に対し、医師が「残念でしたね。でも流産は妊娠の15%くらいに起こり、遺伝子異常などが原因となります。」と説明したことで、女性はとても傷ついたケースがある。彼女にとっては、流産という悲劇に対してのケアが少なく、また15%という数字はとても小さいのに、彼女がそれに当ては待ってしまったこと、さらに遺伝子異常という言葉が彼女とパートナーの遺伝子が悪いというふうに感じてしまったと感じたのだ。この医師は何も彼女の辛さを気に留めていなく機械的に考えている! それは彼女の立場からしたら、真っ当な見え方で、だからゆえに、医師の言葉に傷つけられたとなるだろう。
でも、医師からみえた世界は全く違っていたかもしれない。医学的には15%というのはとても高く、あなたは一人ではないよ、と女性に言うつもりで話したかもしれないし、遺伝子異常というのは、きっとこの赤ちゃんはどうしても育たなかったのだ、仕方がなかった、彼女の妊娠中の行動に非はなかったのだ、自分を責めないでくれ、と思う気持ちで言ったのかもしれない。このような認知のずれに気づくと、自分の感じ方も変わる、それにより、気持ちのアップダウンを落ち着けて自分が自分の感情をコントロールしていこうというアプローチだ。詳しくは、認知行動療法センターなどのウェブサイトを一度見てほしい。

心の硬さではなく、柔軟性を高めるぞとぜひ自分に念じてほしいのだ。そして、一番大切なことは、もしできたらその場でその相手と対話することだと思う。自分が悲しい、驚いた、と伝えることだけでも良い。そうすると相手の意図もわかるだろう。そうすることができたなら、たとえ傷ついても、ヒリヒリ痛みが蘇るような古傷にはなりにくいと思う。ひょっとしたら私のように、本当にそんな気はないのに、口下手で思わぬことを言って、あなたを傷つけている人がいるかもしれないので、そんな人に気づきと謝る機会を与えてあげてほしいと思う。

そして、弱さは認識しつつも、自分の強みと思えることが自分らしさの最初の形容詞になるよう、視線を外に、強く伸ばしていこうよ、一緒に。

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