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ティール組織以降の組織完全解説「ターコイズ組織、インディゴ組織、ヴァイオレット組織、ウルトラバイオレット組織、クリアライト組織、究極型パラダイム」追記:さらにその先へ

今回はティール組織から先のパラダイムの各ブレイクスルーと、次の組織になることで何が変わるのか?を詳しく説明する。
(ティール組織については、本書を読む以外にも、詳しくYouTubeで動画が説明されているのでそれを参考にするのも良いだろう)

そのためには、各発達段階のブレイクスルーについて説明する。
そこで参考になるのが、インテグラル・スピリチュアリティに掲載されている以下の図だ。

まず、発達段階は主に3つに分かれることが知られている。
『①自分中心→②自集団中心→③世界中心』
この発達段階はSQで示されている。

そこで、非常に大まかに発達段階を示すと、

①②自己・自集団 中心的なパラダイム 第一層
無色  →動物の群れと同じ状態
マゼンダ→生贄の風習、魔女裁判、土着信仰など
生贄などの風習がなぜ世界全体で見られたかというと、このマゼンダ型に理由がある。今の社会ではほとんど見られない。
レッド →「力=権力」
怒った時に物を投げる時、レッド型パラダイムに一時的に支配されていると言える。個人では怒る時に、社会では戦争時などにパラダイムが下がる。
肉体的なパワハラはこのレッド型に該当する。かつて健全なしつけとされてきた体罰が今では虐待として考えられるようになったのは、グリーン型社会に変わったためだ。社会の中心から3つ前のパラダイム的活動はほとんど見られなくなる。
アンバー→カースト制度、封建主義など
いわゆる身分制度はこのアンバー型に属する。元請け→下請けなどの一方的な関係がある場合は、それがアンバー型的な状態にあると言える。今では社会の中心で無くなったが、時々見られる。スクールカースト、天下り制度や、カルト宗教などがアンバー型に位置する。成果よりも会社に長くいることが重視される風土や、マニュアル化されたアルバイトもアンバー型的な仕組みと言える。
オレンジ→産業革命、生産性、飽くなき利益追求、成果主義など
完全成果主義。産業革命がこれに該当する。成果型報酬などがオレンジ型パラダイムに該当する。今でも、多くの企業がこのオレンジ型に該当する。アンバー型からオレンジ型に移行する時に国家は急成長を果たす。しかし、激しい公害などに見舞われ、大規模な森林伐採などを引き起こす原因ともなった。仕事でも、飽くなき利益追求や、売り上げ目標を掲げる企業があるが、これはオレンジ型パラダイムに該当する。
グリーン→エコロジー、ダイバーシティ&インクルージョン、働き方改革
働き方改革、GX、LGBTQ運動、フェミニズムなどがこれに該当する。しかし、ここまでの発達段階では、自集団以外の価値観を致命的に間違っていると考える。ネット上で口論が絶えないのも、政治や、フェミニズム、ビーガンなどで激しい論争になることは概ねグリーン型パラダイムが原因である。実はグリーン型パラダイムは経済成長とは相性が良いとは言えず、失われた30年の原因は概ねこのグリーン型パラダイムにあったと言える。

③世界中心的なパラダイム 第二層
・個的な視点


ティール→存在目的(パーパス経営)、セルフマネジメント、全体性、自己実現欲求

第二層での一番の特徴は、自集団以外の価値観を致命的に間違っているとの考えからの離脱にある。ティール組織では、全員の意見を信頼し、尊重しつつ、全員が独立して動く。ドレスコードフリー制、スーパーフレックスタイム制やホラクラシー組織がティール型の例である。

具体的な例が津波てんでんこである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E6%B3%A2%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%93%E3%81%93

家族を信頼しているからこそ、家族を助けにいかないという点がセルフマネジメントと一致している。

ティール組織では、中でも存在目的を重視する。人生の目標を考え、その自己実現を目指すことの組織版と言えば分かりやすいだろう。

ターコイズ→世界的視野、脱リーダー依存(全員リーダー)、インテグレーティブ・シンキング、自己超越欲求

しかし、ティール組織にはリーダー依存症という弱点がある。リーダーがグリーンや、オレンジの人物になってしまえば、組織の発達段階は戻ってしまう。その例が、ティール組織の著書内でも示されている。

そこで、ターコイズ組織では全員がリーダーシップを発揮することで対策を行う。また、矛盾するAとBの両方を採択するCを考えるインテグレーティブシンキング(統合思考)を行うようになる。

また世界の方から見て、意思決定を行うことができるようになる(世界的視点)。これが、発達していくことで、インディゴ型の世界的思考となる。こうして組織の人依存を脱却し、自己超越を目指すのがターコイズ組織だ。

・超個的

インディゴ→世界的思考(自分や自集団を完全に抜きに世界の方から世界を考えること)、創造体系欲求〜証明欲求、標榜的経営

発達は、自己中心性が無くなることとほぼ同じ意味だとされている。インディゴパラダイムからは、自分や自集団を完全に抜きに世界の方から世界を考えることができるようになる。

こうして、自分を抜きにして考えることを求めるようになる。自己超越欲求がこれに該当する。

この世界的思考の圧倒的な強みは、世界の潜在的な需要や、真の課題世界の潮流を捉えてそれに向かって価値を作り出せるようになることにある。

相手側だけでストーリーを立てて、アイデアを組立てられる。このことが、ジョブ理論で示されている。ジョブ理論は、相手のちょうど満たしたい仕事、ジョブを解決する製品が売れることを示している。

またSFプロトタイピングによって、自己を超えて世界の側から物事を考えることができるようになる。

このSFプロトタイピングと事業計画を統合したものが、RF(realistic fiction)プロトタイピングになる。

このようにして、一度自分の周辺から完全に離脱した上で考えるチームがインディゴ組織である。

インディゴ組織の例としては、ねぶた祭り、よさこい、祇園祭り、阿波踊り、コミックマーケットなどの祭典そのものが挙げられる。

こうした祭典の名前自体が存在目的としてあり、そこに人が集まるという形だ。

ヴァイオレット→エゴロジー経営(エゴを明確に捉え、それを扱う経営)、証明欲求、標榜的経営

このヴァイオレット組織までは、ブレイクスルーが分かりやすい。
世界的思考から人間がエゴに支配されていることを学び、エゴを認識するようになる。

すると問題はエゴを持つこと自体ではなく、エゴに気付くことなく支配されていることだと考えるようになる。

こうして、自分達にとって究極的なエゴとは何か?を深く考え、これを追求していくのがヴァイオレット組織になる。

『Why you?』がスタートアップにとって重要だとするが、どうしてもその事業内容にしたいというエゴは何か?を明確に捉え、それを追求する経営だと捉えることができる。

そして、そのエゴそのもの会社の存在そのものとして掲げるので、標榜的経営ということができる。

そして、これが究極型パラダイムで重要なBeing経営へとやがて変化していく。

また、欲求は超越欲求を超えて、理論統合欲求へと向かうようになる。

マズローの欲求10段階説:マズローの欲求五段階説の先を最終形態まで説明した説。生理的欲求→安全欲求→社会的欲求→承認欲求→自己実現欲求→自己超越欲求→創造体系欲求→創造理論欲求→理論統合欲求→究極欲求
という後半4つを説明する。これがインテグラル理論と対応している。

そして、現在インディゴ〜ヴァイオレット組織として捉えることができるのがノーベル賞だ。

ウルトラバイオレット→心理脱却的経営、フロー、セレンディピティ、閃きの最重視

ウルトラバイオレット組織では、ヴァイオレット組織の時のような明らかなブレイクスルーはない。しかし、この経営方針を示唆するものがある。それが、TEDトークの一番再生数の高い動画で示されている。

この動画内で、人間の脳には調べた所、3つの登場キャラクターがいるとしている。

ヒューマン→合理的思考をして、自らの目的に向かって動く
モンキー→目の前の楽さ(easy)と、楽しさ(fun)だけを追求する。このモンキーに支配され切った状態を、Dark play groundと呼ぶ。多くの人が何かをしたい時に始めることさえできないのは、このモンキーに脳を操作されているためである。ゲームをやりすぎて、後で後悔するといった現象はこのモンキーによるものだ。

このモンキーの活動がスマホとインターネットの発達によって加速していることをスマホ脳は説明している。


パニックモンスター→普段は表に出てこないが、締切が迫るなど追い込められた時に現れる。火事場の馬鹿力ともなるが、慌てた状態(パニック)
になり物事を正確に進めるのを妨げる。

ティールやインディゴは、エゴを敵だとしてこのモンキーから逃れることを重視してきた。しかし、ヴァイオレットではモンキーを認識できないこと、勝手に支配されることが問題だと認識を改める。

こうして、モンキーと手を取り合い、Dark play groundの無心になって集中し楽しめることの力を、ヴァイオレット組織では意識し、使いこなそうとするのだ。

そして、ウルトラバイオレットでは、さらにパニックモンスターと協力することを覚える。そして、ヒューマン、モンキー、パニックモンスターが三位一体となった時がフロー状態である。

フロー状態は『適度な緊張感と、するべき具体的な行動とゴールが明らかに決まっているが、その過程で何が起こるかは分からない』という状態が重要である。

いわば、旅の終点と、道先は分かるが、その旅路に何があるかは分からない状態こそフローだと言える。

この適度な緊張感によって、パニックモンスターの力を引き出そうとするのがウルトラバイオレットの特徴だと言えるだろう。

ヒューマンは世界的思考によって、ゴールや具体的な行動を考えられるようになり、その旅路をそもそも進むことをモンキーとパニックモンスターが助けてくれる。本来旅路を進めなくするモンキーを、逆に旅路を進める役へと大転換させるのだ。

超集中経営と捉えることもできる。

自律からの自律:自律やエゴからの脱却をひたすらに目指す、ティール(自己実現欲求)、インディゴパラダイム(自己超越欲求)から脱却し、バイオレット(直観的心)にたどり着くブレイクスルー。フロー状態を自ら操るということ。ドラゴンボールの身勝手の極意(思考せずとも体が動く状態)が具体的なイメージに近い。通称:子供にも戻る理論

クリアライト→限界まで広い視野、第一原理的思考、オムニバース思考

第一原理思考により、クリアライト的思考に少しでも近づこうとする動きはこのBOLDの中で説明されている。

この本で、世界的な大企業生み出したエクスポネンシャル起業家のマインドセットについて言及されている。

1 リスクテイクとリスク低減  
2 迅速な反復と絶え間ない実験 
3 情熱と目的   
4 長期的思考   
5 顧客中心の考え方 
6 確率論的考え方 
7 合理的楽観主義 
8 第一原理に依存する考え方 

中でも、確率論的考え方と第一原理に依存する考え方がクリアライト的思考である。

物事のなぜ?を繰り返すと、第一原理に還元することができる。
それは「だって生物がそうなっているから(利己的な遺伝子)」や、
「だって宇宙がそうなっているから(熱力学法則)」などを第一原理と呼ぶ。

この第一原理で考えると、あらゆる商品や製品にいかに時間やコストが掛かっているか?などを見分けることができるようになる。

そして、その中で何が一番の根底にあるかを見つけることができるようになるのだ。例えば、戦闘機が120億円であるとすれば、1000人以上の人出が1年間働いてようやく一機だけ作れるほどに製造に途方もない時間が掛かる、と捉えることができる。

外国製や共同開発の航空機の調達価格はライセンス生産に必要な費用や為替レートなどによって変動する部分があるので分かりにくいが、航空自衛隊の戦闘機の場合、F15J、F2いずれも1機当たり120億円程度とされる。

https://www.jiji.com/jc/v4?id=20111113jasdf_fx_f-35_lightning0007#:~:text=%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%A3%BD%E3%82%84%E5%85%B1%E5%90%8C%E9%96%8B%E7%99%BA,%E5%86%86%E7%A8%8B%E5%BA%A6%E3%81%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82

BOLDでは、イーロン・マスクがテスラモーターズを創業した時の例が挙げられている。

リチウムイオン電池は原価だけで考えれば、数万円であり、それだけ人出が掛かっていることを見抜いたのだ。そして、リチウムイオン電池の価格下落の関数と、バッテリー持続時間の関数をグラフに描くことで、電気自動車の可能性を見抜いた。

第一原理まで戻って価格関数を見抜き、そこから世の中の関係を見抜くことがクリアライト的思考である。この関数的な関係を見出すことが、クリアライトへと至る方法の一つと言えるだろう。

また、オムニバース思考(確率論的考え方)も重要になる。

世の中は確率論で決められており、必ずAをすればBという結果が待っているとは限らない。オムニバースの中で、ちょうど一つのユニバースが選ばれていると言えるのだ。

オレンジ型パラダイムでは『A=B=CならばA=C』という考えがブレイクスルーになったが、確率論的考えでは世界の複雑さを受け入れ、そこに確率が絡むことを知るのだ。

そうして、世界的思考と合わせて、最大の期待値となる意思決定をし続けたことで、エクスポネンシャル起業家は、GAFA化する企業を生み出すことができた。

最初に壮大な目標を掲げ、以降はそれに向かって徹底的してリスクを下げる、というエクスポネンシャル起業家の姿勢は、まさにクリアライト的だと言えるだろう。

そして、このオムニバース的思考と、第一原理に気付いた上で、そこに自身の答えを出すのが究極型パラダイムだ。

究極型パラダイム→パラダイムコントロール、協力主義、IDロジック(順序転換)、Being経営、CAIサイクル

発達段階は上昇するごとに自己中心性が薄れ、自らを離れ、世界から世界を考えることができるようになる。

そして、自らの視点から見えている世界を離れ、第一原理へと近づいていく。これが発達段階だと言えるだろう。

『宇宙を、世界を限界まで広く考えれば一つの点だ。しかし、それでは見分けは付かない』

そして、究極型パラダイムは第一原理を一区切りと考え(インテグラル理論は更なる深掘りができることを示唆しているが)、各種パラダイムに着目する。

一つ重要なことは、常にクリアライトという人はいない、という点だ。
エクスポネンシャル起業家でさえ、ある瞬間はクリアライトであっても、常にクリアライトというわけではない。常にクリアライトの人間はまずいない、とも言える。

そして、第一原理から考えた時、そこに『統合のジレンマ』があることを見出す。世界側から考えれば考えるほど、かえって意見やアイデアが統合されすぎて差がなくなってしまうのだ。

また、根源的に考えることにもいずれ歯止めを掛けなければならない。

ーお金が稼ぎたい。なぜ?
ー海外旅行に行きたいから。なぜ?
ー新しい経験をしたいから。なぜ?
ー新しい経験をすると幸せだから。なぜ?
ー人間がそういう生き物だから。なぜ?
ーその時幸せを感じた人の祖先が生き残り、そうでないものは淘汰されたから(利己的な遺伝子)。なぜ?
ー遺伝子がエントロピー増大の法則を上手く使いこなすことによって(生命、エネルギー、進化)……

どこかで、それが自分の人生の目的だから。などで言い訳をしなければ、第一原則まで遡ることになる。だからこそ、究極型パラダイムでは、なぜ?を繰り返し切った時にたどり着く第一原則まで世界を見つつ、自らのエゴによってどこかの広さで位置取りをする。

これをまとめて考えると、パラダイムによる支配から脱却し、パラダイムと協力することが重要だと捉えるようになるのだ。

グリーンまで→各パラダイムに支配されていることを疑うことができない。
ティール、ターコイズ→SQ版のオレンジ型パラダイムだと捉えることができる。
インディゴ、ヴァイオレット、ウルトラバイオレット→自分からの脱却や、自分の統合に支配されている。
クリアライト→第一原理に支配されており、統合のジレンマが起こる。

そして、重要なのは支配される一方的な状態(アンバー的)から、協力関係へと変えることが重要だと気付く。

そして、ティールでの協力関係や、ヒューマン・モンキー・パニックモンスターの協力関係のように、物事の中心に協力関係があることに気付く。

そうして、協力することで真の力を発揮しようとすることが協力主義である。

グリーンまでのパラダイムからの脱却→他の価値観を致命的に間違っていると考えることから離脱し、協力する。
ティール、ターコイズ→他の人々と協力関係を結ぶ。
インディゴ~クリアライト→自らの脳内や、世界との協力関係を結ぶ

これらの根底に協力が第一原理としてあるからこそ、協力が中心になる。常に、そのパラダイムにいられないからこそ、パラダイムそのものと協力を結ぶのだ。

そして、どのパラダイムでも人間は基本的に生きがいに支配されていることを学ぶ。これが生きがいDependent logicことIDロジックである。

無色→生理的欲求
マゼンダ→安全欲求
レッド→安全欲求・社会的欲求
アンバー→社会的欲求
オレンジ→承認欲求
グリーン→承認欲求・自己実現欲求
ティール→自己実現欲求
ターコイズ→自己超越欲求
インディゴ→創造体系欲求
ヴァイオレット、ウルトラバイオレット→創造理論欲求・理論統合欲求
クリアライト→究極欲求

https://ferret-plus.com/5369

結局はある欲求に支配されていると、捉えることができる。そこで、欲求の支配から、欲求との協力へと転換することがパラダイムコントロールの極意だと言える。

つまり、生きがいとの協力こそが、究極型パラダイムのブレイクスルーである。

そして、もう一つ重要なことをIDロジックは説明している。

https://www.alaya-exp.com/integralmanagement

インテグラル理論では、世界を4つの事象(心、行動、文化、社会)で説明する。このうち、心を変えるのが最も簡単で、素早く行うことができる。

当然だが、世界を変えることは一長一短ではできないが、自分の心を変えることはその気にさえなれれば、一瞬でできるからだ。

そして、生きがいとの協力するのならば先に究極の生きがいを手に入れてしまえばいい。そうすれば、本来それを得るのに必要だった過程をこなす上で最も良い。と考えるようになる。

勉強する→仕事の能力が上がる→出世する→お金を稼ぐ→車を買う→ドライブにいけるようになる→自然を感じる→幸せになる

といった流れであれば、先に幸せになることこそが、お金を稼いで車を買う最短距離だと捉えるようになる。もし、その順序変えを拒む場合は、それ相応の理由=つまり、その順序にすること自体が生きがいということになる。

そして、そこから先に手にした究極の生きがいこそが、Being(存在)である。

こうして、自らの存在そのものBeingが目的PurposeやWhyの更なる中心にあると考える。そして、このBeingに集中することが、Being経営だ。

組織のBeingは存在目的よりも内側にある。

そして、CAIサイクルはこれらの第一原理の関係をサイクルにしたものである。このCAIサイクルが経営学や自己啓発のほとんどを置き換え可能であることは以前説明した。

CAIサイクルとは、CがCollaborationの協力主義、Aがaggregationの知の集約・統合IがIkigai・生きがいである。

そもそもなぜ人が組織を作るのか?という究極的な理由を考えると、それは協力するためである。

そしてなぜ人は協力するのか?という究極的な理由を考えるとチームメンバーから知を広く集約し、アイデアを集めて統合する場を作ることにある。

その結果何をしたいか?と究極的に考えると、ある目標を達成するためである。その結果得たいものは、人生の目的を達成した時に得られる生きがいか、それに比肩すると自身が定義したものになる。

そこで、CAIサイクルではこれらがまるでPDCAサイクルのようにサイクルの関係になっていることを見抜く。

I→C 協力のための生きがいC→A 知の集約・統合のための協力A→I 生きがいのための知の統合・究極思考

という順になっている。これの優れている点は、主に三要素しか覚えることがなく、実用性が高いことに尽きるだろう。

そして、世の中の大半の自己啓発および、経営学はこのサイクルによって説明できる。自己啓発と経営思考学は大抵このサイクルで置き換え可能であり、いうなればより具体的な事例と、量的な主張が異なるだけだ。

https://note.com/above_teal/n/n5b4e7b1a0d95

こうして、ティール型パラダイムから究極型パラダイムへと至る道のりを具体的に説明した。

インテグラル理論でも、オレンジにティールなどを押し付けることではなく、螺旋全体の健全さを維持し向上させること最優先指令としており、まさにこの中心には協力がある。

こうして、インテグラル理論の根本には協力が存在するということが、大きな示唆となる。

中でも、CAIサイクルは実際に多くのビジネス書や、自己啓発本を置き換え可能であり、いっそのことCAIサイクルに則っているかで、その内容の成否判定が可能だ。

CAIサイクルをPDCAサイクルくらい普遍的なツールに変えることが本ブログの目的の一つだとも言える。

・追記:現在考えている究極型パラダイム

 インテグラル理論は最新の哲学「新実存主義」からは真っ向から否定されている。新実存主義の中心人物、マルクス・ガブリエルの著書「世界はなぜ存在しないのか」では、全てを包括する基本的構造を断念し(つまり一切のインテグラル理論的な活動を辞め)、目の前にある構造をより先入観なく見つめよとしている。せっかく打ち出した理論もより深く考察された最新の哲学に否定されたとあっては母屋が揺らぐ。

そこで少なくとも、インテグラル理論は最新の哲学に否定される側を演じ続けるくらいなら、最新の哲学さえも含んで超えてしまうべきなのだろう。

新実存主義はむしろインテグラル理論的である

そして「新実存主義」はインテグラル理論と真っ向から反するかと言えばそうではなく、むしろ新実存主義こそインテグラル理論的である。

なぜなら、新実存主義の『無限に意味がある中から自らの意味を選び取る、パースペクティブの選択』というのは、まさにここで書いた『パラダイムコントロール』に他ならないからだ。

そして、仮定や空想も存在する、人は虚構や空想があるからこそ現実のを捉えられるという基本的構造も同じである。つまり、インテグラル理論と新実存主義は相反するものではなく、インテグラル理論はより究極的な発達段階になった時点で『統合的な構造を目指すことからの解放』が達成されると捉えられる。

するとケンウィルバーのインテグラル理論における究極型パラダイムは『ワン・テイスト、非二元的な状態』であるが、これこそがより究極的なインテグラル理論における『新たなフラットランド』だと捉えられる。ワン・テイストの先に歩みを進めることがより究極的なインテグラル理論となる。ここまで来るともはや、最新の哲学とも相反しないものとなる。これを究極的なインテグラル理論は自らを究極的と言い張るためには、目指すべきなのだろう。

最新哲学、より先へ

しかし、それでは『新実存主義』以降のインテグラル理論の効果は何になるのか。これに答えを出すのが『思弁的実在論』である。

ここで、新実存主義は『思弁的実在論』を基本的には含んで超えることに着目する。つまり、新実存主義の中に、思弁的実在論が通用する部分がある。これをまとめるとこうなる。

・新実存主義は宇宙より大きい範囲を扱う。
・思弁的実在論が通用するのは宇宙に限定。
・新実存主義のみが通じる部分を精神の意味の場、思弁的実在論も通じる場を宇宙と分ける。いずれも意味の場の中にある。
・新実存主義と思弁的実在論が反するのは、矛盾した存在を認めるかである。矛盾した存在は精神にのみ存在する。矛盾した存在は精神の必要条件である。
・宇宙では思弁的実在論が成立する。宇宙では思弁的実在論通り、偶然性の必然性と無矛盾なもののみな存在する無矛盾律が成立する。

サピエンス前史にもあるように人間が発展したのは『矛盾できること、意味の場』を作り出したからである。それがなければ宇宙を認識できず、無矛盾な存在(知的生命体でない動物)としてただ偶然の必然性に従うこととなった。

新実存主義の支持する四象限性

しかし、人は矛盾によって精神の意味の場を作り出した。だから宇宙と精神を分けることができる。これはインテグラル理論の四象限とも一致しており、極めてインテグラル理論的である。そして即自的かどうかで分けるなら、全くもってこの通りに分けることができる。

精神は宇宙を説明できるが、宇宙は精神を説明できない。

マルクス・ガブリエルがサイクリングと自転車モデルで説明するように、この精神の意味の場は、無矛盾な宇宙側を調べるだけでは明らかにできない。人の精神はレントゲンや脳波だけでは明らかにできない。それはサイクリングの文化を知らない者が物理的な自転車の構造を調べても何も明らかにできないようにである。

しかし、逆に精神の意味の場は、即自的な宇宙を無矛盾な範囲で対応して記述することに成功している。人間がいる以前からこの世界に数学や1+1=2が存在したわけがないが、これらは無矛盾な物語ゆえに、宇宙でも成立しているかのように振る舞う。

もちろん、即自的な宇宙に1+1=2そものもが存在するわけではない。aさんとbさんの1+1=2は違うどころか、さっきのaさんと今のaさんでさえ1+1=2の意味は違う。なのでそれ一切を統合した世界は存在しない。しかし、宇宙はだとしても相変わらずaさんにとってもbさんにとっても、1+1=2があるかのように振る舞い続けるのだ。これは1+1=2が無矛盾だからである。つまり、無矛盾な意味と宇宙は無矛盾な範囲において対応して存在している。

インテグラル理論の意味

そして、これにインテグラル理論は目をつける。つまり、即自的な人間の動きを見るときに、できる限り無矛盾な範囲の広い理論がインテグラル理論になる。なぜこれまでの人間は〇〇のような傾向を示したのか?これを発達段階によって分かりやすく説明するものがインテグラル理論となる。

そしてこれまでの考察通り、個人の意味に言及できる理論ではない。個人個人の持つ細かな意味に言及するよりも集団の精神に着目するところは新実存主義にも共通している。当然自らがそれを選び取って使うことを否定するものでもないわけだが。

ただこれは宇宙の人間の動きのほうしか説明できない。自分や相手インテグラル理論に全てはめて説明するのは無茶だ。それをすればやがては人の心を読むのにレントゲンを使うような事態に陥る。このため通用しない範囲がある。もしも直接その構造を読むならばインテグラル理論を使うよりも、それそのものの構造を直接観察したほうが良い。

しかしながら、宇宙における人間の動きを包括的に記したできる限り無矛盾な物語がインテグラル理論なのである。マルクス・ガブリエルが強い自然主義を強く批判する一方で、弱い自然主義を肯定するように、インテグラル理論も弱い自然主義的な立場を取るべきである。

つまり、人がなぜこれほど隔絶していた文化圏で同じような習慣を見せるのか?この習慣にある性質は何か?ティール組織の何が凄いのか?ティール組織より先には何があるのか?なぜ産業革命まで経済はほとんど成長しないマルサスの罠に掛かっていたのか?を説明する、もっと細かな構造を追うためのツールとなるわけである。

つまり、実用、実践的な理論として『新実存主義』よりも遥かに浅いもっといえば実用的なレイヤーでの動きとなるだろう。

ということから、その先のインテグラル理論は以下の内容になる。

その先の究極型パラダイム→思弁的新実存主義。観点・価値観の選択、統合・脱統合の二元性、意味・構造(being)のより直接的な認識、宇宙の論理的仮定、空想の尊重

人類は無矛盾律を歪める能力、嘘を付ける能力、矛盾性、空想力によってかえって宇宙をより論理的かつ無矛盾に捉えられるようになった。

意味の場、精神こそがサピエンス前史でも説明される人類の発明であった。そしてこの性質はインテグラル理論に一貫している。

例えば、自らのエゴをピンポイントに理解できるようになることで、むしろこれまでのエゴから解放された。

ちょうど綺麗な山麓の形が見たいと理解することで、わざわざ旅費を稼ぐためにお金を稼ぐためにスキルアップするために資格の勉強をするために仕事を早く切り上げようと慌て、何のために慌てているのかも分からず疲弊する必要はなくなるのだ。

これがヴァイオレットパラダイムの突破口である。

ならば、脱構築によってより構造を理解できるようになったり、脱統合によって統合の形をより理解できるようになる性質もあるはずである。

「空」「形」二元性よろしく、「脱統合」「統合」二元性を目指す

 あらゆる意味が無限に存在する。これら全てに共通する単一な世界は存在しない。まさに、あらゆる意味は部分的に存在するというのがインテグラル理論である。

全てをひとまとめにはできないことが、かえって個々の因子をまとめる細かな構造を浮かび上がらせ、意味と意味のつながりを明らかにする。

新実存主義とは、「心」という、突き詰めてみれば乱雑そのものというしかない包括的用語に対応する、一個の現象や実在などありはしないという見解である。

https://www.iwanamishinsho80.com/post/gabriel

 このことが、昨日の自分と今日の自分でもこうこう意味が違うといった判別を付けられるようにし、より心を理解することに繋がる。その中でもどう対応していたか、一貫していたかの統合性を見極めることに繋がる。自らも変わることを知り、それでも共通していた性質と、変わった性質を理解する。

強いて言うならば、「統合」「脱統合」二元論ではなく、二元性である。あらゆる意味は統合されている部分と、統合されない部分の二つの性質を持つ。そのどちらかに固定されるわけではない。あらゆる意味は完全には一致しないが、より近いものとして大雑把にくくるように統合できる。しかし、その試みは決して完全にその二つをつなぎ止めたことにはならない。無矛盾な範囲においてのみである。このような判断がより究極的といえるのだろう。こうして、インテグラル理論は新実存主義に積極的に取り込まれることでこれまでより先の理論となるだろう。

やっぱりだとして、ティール組織→ターコイズ組織→→究極型組織という組織マネジメント論上の実践的な課題が持ち上がる。

それはそうだとして、ずっと直近の目の前の課題として究極型組織の体系化は急務である。何より、人々は機械的な役割を強いられるオレンジ型組織に疲弊しており、ティール組織でさえまだ究極型組織と比べマネジメント論的に完成されたものでもない。その先の究極型組織の形を考えていく必要に迫られている。そして、これにはここまで説明してきた究極型パラダイムまでの流れが絡む。
というのが追記となる。
 

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