#芸術
<書評>『悲劇の死』
『悲劇の死 The Death of Tragedy』ジョージ・スタイナー George Steiner 喜志哲雄 蜂谷昭雄訳 筑摩書房 1979年 原書は1961年
本書の内容は、もちろん本文が中心なのだが、スタイナーによる最後の解説的な第10章とそれを補足する訳者の解説は、最初に読むべきだと思った。最初に読んでいれば、本文の感じ方がかなり異なった気がする。
アメリカ人ジョージ・スタイナ
<書評・芸術一般>『デュシャンの世界』芸術とは生きること
『デュシャンの世界 Entretiens avec Marcel Duchamp(フランス語原題を直訳すれば、「デュシャンとの談話」)』Marcel Duchamp マルセル・デュシャン、 Pierre Cabanne ピエール・カバンヌ、Pierre Belfond ピエール・ベルフォン 1967年 Paris パリ。日本語版は、岩佐鉄男及び小林康夫訳 朝日出版社1978年。
20世紀最高
<書評>『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』
『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ Rosencrantz and Guildenstern are dead』 トム・ストッパードTom Stoppard 著 松岡和子訳 原著は1967年 翻訳は1985年 劇書房
20世紀を代表する不条理を描いた劇作家の一人、チェコ人ながら英語圏で成長した英語作家のトム・ストッパードによる、シェイクスピアの『ハムレット』に名前だけ登場する人物二人
<閑話休題・芸術>美食と芸術の関係
ある人が、「安いラーメンを食べた後の演奏より、高級な寿司を食べた後の演奏の方が、より素晴らしく演奏できたと、多くの音楽関係者がいっている」と述べるのを読んだ。「ふーん、そんなものか・・・」と思ったが、しばらくすると、なにか違うような気がしてきた。
例えば、おそらく安いラーメンには見向きもせず、普段から高級な寿司を食べているその人にとっては、良い演奏をするためには高級な寿司などを食べなければだ
<閑話休題・芸術一般>写真のような絵と写真
写真のような絵と写真とは、いったいどこがどう違うのだろうか?
普通に考えれば、同じようにしか「見えない」。そして、昔よく聞いた言葉として、「写真がすでにあるのだから、絵の役割は写真になることではない。むしろ、写真とは違うものを表現すべきだ」ということがあった。そのため、マティスやピカソのような、あるいは印象派のような、対象そのものではなく、対象から受けた「印象」や自分の中に沸き起こった感情を
<芸術一般>マンレイと写真について(『ユリイカ』1982年9月号「マンレイ特集」から)
1982年の雑誌『ユリイカ』はマンレイの特集をしたが、文芸誌では日本で初めてマンレイを特集したと説明されている。私は、シュールレアリスムに関心があったので、たまたまこの時に『ユリイカ』を買い求めたが、当時の日本でマンレイとは、シュールレアリスムの本流から外れた(主に肖像)写真家というイメージが強かったように思う。
一方、私のマンレイの写真で当時知っていたのは、この有名な「バイオリンダングル」
自由律俳句(その8)
〇 2023年9月27日。酷暑の夏が終わり、久々に公園を散策する。季節的に花は少ないが、曇天の中に見える太陽が力強い。そして、トンボが飛び、鈴虫が草の中で音楽を奏でる。ふと見ると、大木の下に草花の芽が大きく出ていた。私もようやく芽が出るのか?散歩をすると、詩作が浮かぶ。不思議だ。
腰が伸びない私を 傍で見守るトンボよ お前よりは長生きしているぞ
無視すれば近寄り 探せば逃げるトンボ お前の名は
<書評・芸術一般>『Duchamp love and death, even(デュシャン 愛と死、さえも)』
『Duchamp love and death, even(デュシャン 愛と死、さえも)』 Juan Antonio Ramirez ファン・アントニオ・ラミレス著 1998年 Reaktion Book Ltd. London 原著は1993年にスペイン語で発行され、1998年に英訳が発行された。
20世紀を代表する芸術家マルセル・デュシャンの研究書。Henri Robert Marcel
<書評>『トリックスター』
『トリックスター』ポール・ラディン 皆河宗一訳、カール・ケレーニイ 高橋英夫訳、カールグスタフ・ユング 河合隼雄訳、山口昌男解説、晶文社 1974年
原書は、”The Trickster—A study in American Indian Mythology” Paul Radin, Karl Kerenyi, C.G.Jung, 1956 Routledge & Kegan Paul, Lon