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本能寺の変1582 目次小 15信長の台頭 7斎藤義龍の死 第138話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 15信長の台頭 7斎藤義龍の死 第138話 

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                  *「☆」は、要注意マークです。

 第138話
 ・
永禄四年1561
 ☆美濃の斎藤義龍が亡くなった(三十五歳)。
  義龍の子、龍興がその後を継いだ(十四歳)。
  信長は、西美濃へ攻め入った。           『信長公記』
  森部の合戦。                   『信長公記』
  織田軍の大勝利である。              『信長公記』
  信長は、墨俣砦を入った。             『信長公記』
  十四条合戦の事。                 『信長公記』
  織田勢は、墨俣から出撃した。           『信長公記』
  軽海の合戦。                   『信長公記』
  両軍、引き分け。                 『信長公記』
  信長は、帰城した。                『信長公記』



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