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本能寺の変1582 目次小 11光秀の年齢 4最大の敵 第74~76話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 11光秀の年齢 4最大の敵 第74~76話 

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 第74話
  
二つの大遠征。
  間を置かず。
  一、甲斐遠征。                  『信長公記』
  一、中国遠征。                  『信長公記』
  信長は、好機を逃さない。             『信長公記』
  光秀は、石谷頼辰を土佐へ派していた。
  光秀は、窮地に追い込まれた。
  信長の脳裏には、武田勝頼の首。     「織田信長文書の研究」
  信長は、毛利を滅ぼすつもりだった。        『信長公記』
  信長は、さらに九州を平定しようとた。       『信長公記』
  信長は、光秀に先陣を命じた。           『信長公記』

 第75話
  
光秀は、己の老いを自覚した。
  光秀には、先が見えた。
  光秀は、滝川一益の上野入国を思い起こした。    『信長公記』
  一益は、信長の命に従った。
  光秀にも、国替えの可能性があった。        『信長公記』
  その先に、信長の「さらなる夢」があった。
  信長は、不意を衝く。
  光秀は、そのことを熟知していた。

 第76話
  
光秀の最大の敵は、時間だった。
  光秀は、確実に、老人に近づいていた。
  光慶は、若すぎた。
  光秀には、信長に対する不信感があった。
  信長は、猜疑心が強い。
  光秀もまた、猜疑心が強い。
  没落の怖れ。
  光秀は、明智の将来が不安だった。
  明智は、存続の危機に直面していた。
  生き残る道。
  明智の命運は、中国出陣によって定まる。



 ⇒ 次へつづく
   目次小 11光秀の年齢 5結論 第77話 


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