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本能寺の変1582 目次小 14信長の甲斐侵攻 5潮目の変化 第115~116話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 14信長の甲斐侵攻 5潮目の変化 第115~116話 

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 第115話
  
信長は、伊那谷を北上した。            『信長公記』
 ☆信長は、松井友閑へ戦勝を伝えた(①~⑪)。
  ①穴山梅雪は、内通していた。「武家事紀」「織田信長文書の研究」
  ②勝頼の首。        「武家事紀」「織田信長文書の研究」
  ③典厩信豊の首。      「武家事紀」「織田信長文書の研究」
  ④仁科信盛の首。      「武家事紀」「織田信長文書の研究」
  ⑤歴々の者ども。      「武家事紀」「織田信長文書の研究」
  ⑥土岐頼芸他。       「武家事紀」「織田信長文書の研究」
 ☆⑦我ながら驚き入る計りに候。「武家事紀」「織田信長文書の研究」
 ☆信長は、己の勢威を再認識した。
 ☆光秀も、驚いた。
 ☆ここで、潮目が変わった。
 ☆光秀の心の内には、大きな不安が湧き上がった。
 ☆信長は、大いに満足していた。

 
第116話
 
☆⑧信長は、北条氏との友好関係を保持した。
                「武家事紀」「織田信長文書の研究」
 ☆信長は、視点を、東国から西国へ切り替えた。
 ☆⑨信長は、信忠を現地に残した。
                「武家事紀」「織田信長文書の研究」
 ☆⑩信長の、老臣に対する姿勢である。
                「武家事紀」「織田信長文書の研究」
 ☆信長は、光秀を老人扱いしていない。
 ☆⑪信長は、友閑に、世に喧伝するよう命じた。
                「武家事紀」「織田信長文書の研究」



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