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結婚 (画竜点睛を欠く) その3.094 とっても恥ずかしい事故 〜リファレンスとしてのバブル初期の結婚式  当たり前過ぎて意識しなくなっていること

お食事中の方は閲覧注意

鼻につく内容が続いてすいません。
事実を残すということで引き続き赤裸々にかつ丁寧に紡ぎます。

経緯
 その1では
〜改めて考えてみた
先ずは基本的認識の整理から
ということで結婚とは何かのおさらいをしました。

 その2では、
〜始まりは婚姻届提出
ということで、婚姻届の建付けから分かる結婚を考えてみました。

 その3.01は今どきの結婚式ということを深堀りすべく先ずは昭和のバブル期に入った位頃の能天気に明るい結婚式をリファレンスとしてご紹介。
 その後主流となるホテルでの挙式と披露宴のセットとの対比で大学や会社の施設を利用した挙式and/or披露宴のご紹介をしました。

 その深堀りで大学や企業の施設が結構開放されていて稀有な設備をリーズナブルに利用できるというご紹介をしました。

 その3.02はその具体的な例を1つご紹介。

 リファレンスなので当時の雰囲気が伝わるように詳述しています。

 その3.03は、具体的な例1つのご紹介の続き。

 大安吉日、土曜日、June Brideにも拘らず日本鋼管高輪クラブは貸切状態という結婚式当日の詳細。

 ハイソカーで乗りつけ、無宗教なのに神前結婚式をし、披露宴も派手に会社関係、学校関係、親族という構成で120人を超える参加者を迎えるというミーハー(今どき使わない言葉(笑))さ。

 硬い挨拶にも笑いが散りばめられる新しいスタイルの披露宴の走り。

「〇〇(私のこと)君はロリコン(ロリータ・コンプレックスの略)

だと聞いていたが、順当な素敵なお嫁さんで安心しました。」

とか

「ホントに〇〇が研究室に来る時は、実験以外、毎月の土曜日丸一日使う研究進捗報告会、週2回の輪講のみ。無駄に研究室にダラダラ居ないのです。他の同期の4人は順当に研究室に居るのに。なので顔を見れば“あっ会議の時刻か”と分かる程徹底していました。」

などと、受取りようによっては際どいネタを硬い挨拶の場面でもイジる軽さと明るさが…

 その3.04はその具体的な例1つのご紹介の続々篇。

 バブル初期の披露宴は兎に角明るい。

 会社の同期が私達夫婦の写真をスライドにしてくれて見事にロリコンネタでイジってくれました。
 まぁ当時20歳の吾妹に

Love “in” at First Sight


(正に“in”で、ガッツリ魅力にLock Onされた感じ)
だったので全く動じませんでしたが(笑)


 その3.05はその具体的な例1つのご紹介の続々々篇。イジリのゲームの話題でした。結婚披露宴が明るく楽しい… 

 最早単なるパーティー

となったというオチ。 

 閑話として、呆れる程“ドラ息子”の私の顛末を赤裸々に綴らさせて頂きました。どうやら読者の方々にはドン引きだった様ですが… (それでも残そうという趣旨)

 その3.06は、そして披露宴の後の

2次会たるや凄いことに…

という話でした。

 結婚披露宴は遅れに遅れ、予定より1時間半遅れて高輪クラブから“正統派”ディスコ、六本木のホテルアイビスにあった“高級”ディスコ”ラジャコート“に到着。2次会の会場は既に盛り上がっていて、吾妹は大歓迎、私は1部吾妹のファンから無茶苦茶にされつつも至って明るいバブル初期らしい2次会でした。

 その3.07は、高輪での挙式、披露宴、六本木での2次会を終えてタクシーで高輪クラブに戻る所から。
 
 流石に2人共疲れ切って居ました。気持ち良さそうにうたた寝をする吾妹の横顔を見つつ目に入ったケン・コーポレーションさんの看板を見て、いずれは物件を貸せる様になりたいなぁ…と。

 それは実現する未来が待っていたのですが…

そんな些末な事は遥かに超越する…

(そのレベルは私の祖父母や父母の代でやった。それを超える価値あるものとは…)

“お金では買えないそれ以上の素敵な未来”


が私こと”究極のドラ息子“(笑)には用意されていました。

 高輪クラブに到着して、最上階のスウィートルーム。疲れ切った身体で雑事をこなし…
 当時は私はすっかり痩せていて筋肉も落ちて体重は58.5kg。長身とは言えかなりの痩せ型の吾妹でしたが…吾妹を抱いてベッドに乗せることができなかったのでした。正に

画竜点睛を欠く

感じでした。優しい吾妹は笑って許してくれましたが…
 それでも2人っきりが嬉しくて、勿論“しっかり抱き合って”就寝。というオチ。

https://note.com/lincoln246/n/n43a04d5a6f13

 その3.07は、結婚式の翌日に起こった交通事故の話でした。

 新居たる社宅に戻る前に、吾妹の実家に不要不急の荷物を置いて片付けをしている間に駅前の郵便ポストに行こうとした時…
 駅前の駐停車の車の切れているところに駐停車すべく、助手席側のドアミラーを確認した後ゆっくりと車線を変えて停車しようとした時、私を左から追い抜こうとしたおじいさんの運転するカブが助手席側後方の側面トランク辺りに衝突。
注意力が落ちていたのか…

画竜点睛を欠いた瞬間

として私の生涯の戒めとして記憶に残っているというお話しでした。

 その3.091は、“こんなこともしちゃってもアリの時代”という感じで、2回目の挙式を上げてしまったというお話しでしたがその前フリが長くなってしまった為に、それをその3.091とし主題は

画竜点睛を欠く(続編)

としました。その内容は…

 新婚旅行の為に上手く月を跨ぐ感じで16日間休みを獲得し余裕ある旅程で、ニューカレドニアに。しかも殆どクラブメッドの施設内でヨット、ウインドサーフィン、テニス、海水浴、プール、アーチェリーなどなど、多様なスポーツを楽しめるという何ともお気楽なパッケージを選択。3食全ての食事もパッケージツアー旅費に組み込まれていました。その食事、最初のディナーでの事故。
 広めのテーブルに適当に座って、様々な国から来られステイしている方々との国際的な触れ合いを楽しむという趣向。
 私達もそのテーブルに着きました。当然話しかけられ会話のスタート。ネイティブではない方々の英語ということで連立方程式を解く様に難易度が高く頭は会話を維持するだけで手一杯の私は吾妹そっちのけで会話していました。その時不運にも吾妹のメインディッシュが、給仕の方の不手際で滞って居たのです。新婚旅行で吾妹のそれに気付かず。放置された吾妹は激怒という…

画竜点睛を欠く

の続きという顛末になってしまったというオチのお話しでした。

 その3.092は、本題のこんなこともしちゃってもアリの時代という感じで、2回目の挙式を上げてしまったというお話した。

 オプションとして、ヌメアというニューカレドニアの首都の市の中に有る教会での結婚式と市庁舎での写真撮影。当日は3組の新婚カップルがツアーに参加。吾妹は自前のウエディングドレス、ティアラ、ブーケ等一式を日本から持ち込んで、私は肩掛け式の本格的な8mmビデオカメラと3脚を持ち込んで2度目のチャペルでの挙式と市庁舎を含めてのプロカメラマンによる記念撮影に。日本で神道式で挙式を行った1週間以内に行った

 完璧な記念用のキリスト教式ウエディング

何ともほのぼのした話
何とも節操のない話かな

 3.93は、新婚旅行で2回目の挙式を完璧にこなした後の失敗談です。

 操船は簡単とナメていたディンギーで、微風時にタックする時に、たまたま吹いた風に煽られ吾妹の頭を帆を張っていたポールでなぎ倒す事故を起こしてしまったというお話しでした。

 体育会系の吾妹が受け身を取って大事には至らなかったものの、せっかくの長閑な1日を一瞬にして台無しにした正に

画竜点睛を欠く


瞬間でした。

 勿論ヨットマンの世界ならお前二度とヨットに乗るなとなるレベルの緊張感を欠いた瞬間の重大事故のお話しでした。

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 今回は、もう一つのオプショナルツアーとして参加したイルデパン島でのお話し。

 30年以上前のイルデパン島は原住民の方々の世界。今では大分施設が整備されているようですが。

勿論海の美しさは今もそのままなのですね。

 イルデパン島ツアー。殆ど元々住んでいた原住民の方々だけが住んでいる少しワイルドな歴史も持つ島に遊びに行くというものの選択でした。

 双発の古いプロペラ機でイルデパン島に到着。極低空を飛び、眼下の海や森がとても近くに…しかも尻振りしながらの飛行でとても迫力が有りました。
 実は日本からヌメアまでの飛行が生まれて始めての飛行機への搭乗経験。肩掛け式の本格的8mmビデオカメラで録画しまくるなど、もぅ大興奮。普通のジェット旅客機でしたので飛行も安定していて快適でした。そしてこれが人生2回目でしたので酷く怖く感じました。因みに吾妹は留学経験が有り当然飛行機は慣れているので落ち着いたものでした。好対照(笑)
 現地に到着し、島内を観光。事前情報通りとても荒っぽい歴史が有り当時はまだまだその荒っぽい方々が残っていたようで、行動には注意するように指示が有りました。流石に今は大丈夫だと思いますが…
 島内観光の後に生まれて始めてのシュノーケリングを経験。これもまた感動的でした。と言っても海で泳ぐのは大学生時代、サークルの先輩が泊り込み2週間の海の家のアルバイトに行かれなくなり、急遽私に代わりに行ってくれと懇願されて行った千葉の安房小湊の海の家への2週間の滞在以来でした。しかも安房小湊の海に比べるとあり得ない美しさの水と砂浜(と吾妹の水着姿)。
 吾妹は子供の頃から海が大好きで、義父と鱓(うつぼ)等も居るような本格的な葉山の岩場の海に行っては素潜りを楽しんでいたという強者(つわもの)。
 一方私は小学校低学年の時に代々木の東京オリンピックで使ったプールでの水泳教室に通ったので、水泳の嗜(たしな)みは有りました。小学校6年生の時は平泳ぎで学校代表として区内の小学校対抗の試合にも出場しました。と言っても試合の一週間前に図書室で借りた競技水泳の本を読み、フォームを研究したりはしましたが、所詮付け焼き刃。当然ズブの素人なのでスイミングクラブに通っているような他校の選手に勝てる筈もなく初戦敗退という始末。
 こんな対照的な2人の海遊びなので主導権は吾妹。海外の海での経験は留学時代にハワイのハナウマベイで積んでいて…
 
 そのハナウマベイ。

 これもまた私に取っては大企業のフリンジ・ベネフィットを最大限活かしての豪遊絡みの話が… 吾妹の案内でオープンカーをレンタルしてマウイ島を一周。その時に吾妹が留学時代に何度も遊びに行っていたお気に入りのベイ。そこに乗り付けて遊ぶという未来が用意されていました。それは米国駐在明けの帰国時。駐在への自作自演のご褒美かなぁ。当時の鉄鋼会社はフルフェアのビジネスクラスの旅費が出ましたので、それを使ってハワイまでは国内線ファーストクラスで移動し、2泊一流ホテルに宿泊して、そこからはビジネスクラスで帰国という事ができるのでした。

 そんな場慣れした吾妹。シュノーケリングで魚の居そうなスポットを探すのもお手の物。

 お昼は、温(ぬる)い温度のビールに現地の地魚や大きなロブスターを焼いての楽しいひと時。
 その後場所を変えてまた海遊び。楽しいひと時を過ごしていると… 何と腹痛が…。南の島とは言えお腹が冷えたのか厳しい状況に。
 自由時間後に森を抜けて空港に戻りヌメアに帰る予定でしたが、トイレの有る空港までは到底持たない状況。

どうする家康、じゃなくて〇〇(私の名前)。

(注意。以下不都合な表現が有ります。)

 吾妹に浜で少し休憩しようと提案し、仕方がないので
「一寸離れた木陰で小用を足す。」
と言ってその場から離脱しました。砂浜から遥か離れた所に草が生い茂る場所を発見。トイレが無いと言われていた綺麗なビーチで遊泳中に催し、今のところ

人生最初で最後になろう経験

”野糞“を
(すいません…)

新婚旅行のオプショナルツアーの真っ最中に緊急避難的にしたという大事故…

 当然紙が無く軟さそうな草の生えている茂みに行って身を隠し、砂に手で穴を掘って用を足し、付近の柔らかそうな葉を紙を紙の代用にして、原始生活体験(笑)

 何事も無かったかの様に小用を済ませたと戻り、緊急事態解除された身体を横たえて気を取り直し休憩の続きを…

 この顛末、墓まで持っていくのかなぁと思って居ましたが…

 吾妹に話したのはそれから数年経ってからでした。子供の小学校受験の当日の運がつくというオチの似たような出来事の話題の時に、実は…

 ということで

余談ですが…
子どもの話題と絡めたタイミングでのカミングアウトだった事もあり軟着陸。吾妹最も呆れるやら、苦笑いするやら…
笑い話が重なるという形で落ち着きました。

結婚してるってこういうことなんだ

と感心した瞬間でもありました。

(長々引っ張りましたが、”丁寧に生きる“ことを始めた初年度なのでお許し下さい。)

〜リファレンスとしてのバブル初期の結婚式

のお話しでした。

蛇足
 本件出稿するか大いに迷いました。
丁寧に事実を残すということで、また後進にオープンな世界を残すという大義で不都合な件でも出稿させて頂きました。
ご高配賜りたく…




 

 
 
 
 


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