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結婚 その3.02 高輪クラブという秘匿性高い場所 〜リファレンスとしてのバブル初期の結婚式 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

日本鋼管高輪クラブ (NKKエース高輪(ホテル))

 その1では
〜改めて考えてみた
先ずは基本的認識の整理から
ということで結婚とは何かのおさらいをしました。

 その2では、
〜始まりは婚姻届提出
ということで、婚姻届の建付けから分かる結婚を考えてみました。

 その3.01は今どきの結婚式ということを深堀りすべく先ずは昭和のバブル期に入った位頃の能天気に明るい結婚式をリファレンスとしてご紹介。
 その後主流となるホテルでの挙式と披露宴のセットとの対比で大学や会社の施設を利用した挙式and/or披露宴のご紹介をしました。

 その深堀りで大学や企業の施設が結構開放されていて稀有な設備をリーズナブルに利用できるというご紹介をしました。

 今回はその具体的な例を1つご紹介。

 リファレンスなので当時の雰囲気が伝わるように詳述しますね。(歴史の記録の役割も期待して…)

 時はバブル初期。泉岳寺駅から直ぐの場所にある、比較的目立ち難いビル1棟。その3.01でもご紹介した日本鋼管高輪クラブ。

 平日は黒塗りの車がパラパラ並ぶ程度。それでも余裕の広さの駐車場。ロビーも華美ではないもののゆったりしていて、落ち着いた雰囲気。当時としては最新の設備を誇り最上階はスウィートルーム、その広大さは驚きで勿論その部屋で会議も接待、会食もでき、べドルームも数室あり正にグローバル仕様。その階下は客室ですが高級オテルに負けない設備でした。専用の挙式会場も用意されていました。地下は大会議室兼宴会場でした。グランドピアノも勿論有りました。当時としては天井も高く、厨房も完備。当然人目に触れずにスウィートルームに直行できるエレベーターも当然用意されていました。
 
 所謂ジューンブライド(June bride)ど真ん中の時期。古くからヨーロッパで「6月に結婚する花嫁は幸せになれる」とされる言い伝えが有り、その時期を狙って結構するカップルも多かった時代。しかも大安吉日の日曜日での結婚式。
 それでも挙式と披露宴は勿論1日1組で、貸切状態。時間配分もゆったりしていて午前中に挙式、午後に延々と披露宴、遠地からの参加者は前泊も可能。商業施設ではないので稼働率は上げる必要はないので低くおおらかな運営。

という何とも贅沢な… 

 鉄鋼業は基幹産業ですので日本鋼管の場合はIBMの最新のメインフレームと呼ばれるコンピューターをずらりと並べてフルオートメーションで操業していて、社員は5万人程度、技能系社員が殆どで、事務·技術系社員は1割程度。しかも本社地区よりも製鉄所に幹部は居るので本当にいつも余裕タップリでした。

 ホテルは賑わっていて”なんぼ“の世界とは真逆。(なので後の20世紀末の大不況での構造改革時には真っ先に売却されてしまうのですが(笑))

 さて挙式は中層階の専用の式場が用意されていて、教会式、人前式(じんぜんしき)、神前式(しんぜんしき)、仏前式
等に対応していました。

 因みに私の場合は、人前式(じんぜんしき)という無宗教のスタイルを当時良く知らず、日本人なんだから国の象徴の方のお作法に則って神前式(しんぜんしき)ということにしました。和装、新婦は角隠しをしてのセオリー通りの挙式でした。勿論神主さんも倶楽部の方で手配しての頂きました。
(正にホイチョイ(笑))

 とは言え実は…後述しますがホイチョイ系なのでフランス領ニューカレドニアでの新婚旅行では何と現地の教会でキリスト教式でも挙式するという無茶な、破廉恥(はれんち)なことをしました。この辺の感覚もバブル期っぽいかも知れませんね。

 仲人というお作法も健在で、サラリーマン的には会社のラインの長にお願いするのが1つのスタンダードでした。下心としては…会社での居心地を期待して…。勿論仲人側としては自分の派閥(笑)が1人増えたという感じでしょうか…

 私の場合は社内結婚でしたので、仲人さんたる2人の共通の部門長、研究部門管掌役員の方に事前に2人の略歴等をお渡しして体裁を整えて頂きました。

(因みに吾妹は特別枠の採用(私の初任給より遥かに高い初任給…)で複数の役員と行動する共にする事も多く、それもこの我儘(わがまま)が甘受された理由かも知れません。)

 この感じ昭和のバブル期の感じ楽しんで頂きたく…

つづく

 

 

 

 
 
 
 


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