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結婚 (続画竜点睛を欠く) その3.08 宴の後の交通事故 〜リファレンスとしてのバブル初期の結婚式  当たり前過ぎて意識しなくなっていること

鼻につく内容が続いてすいません。
事実を残すということで引き続き赤裸々にかつ丁寧に紡ぎます。

経緯
 その1では
〜改めて考えてみた
先ずは基本的認識の整理から
ということで結婚とは何かのおさらいをしました。

 その2では、
〜始まりは婚姻届提出
ということで、婚姻届の建付けから分かる結婚を考えてみました。

 その3.01は今どきの結婚式ということを深堀りすべく先ずは昭和のバブル期に入った位頃の能天気に明るい結婚式をリファレンスとしてご紹介。
 その後主流となるホテルでの挙式と披露宴のセットとの対比で大学や会社の施設を利用した挙式and/or披露宴のご紹介をしました。

 その深堀りで大学や企業の施設が結構開放されていて稀有な設備をリーズナブルに利用できるというご紹介をしました。

 その3.02はその具体的な例を1つご紹介。

 リファレンスなので当時の雰囲気が伝わるように詳述しています。

う その3.03は、具体的な例1つのご紹介の続き。

 大安吉日、土曜日、June Brideにも拘らず日本鋼管高輪クラブは貸切状態という結婚式当日の詳細。

 ハイソカーで乗りつけ、無宗教なのに神前結婚式をし、披露宴も派手に会社関係、学校関係、親族という構成で120人を超える参加者を迎えるというミーハー(今どき使わない言葉(笑))さ。

 硬い挨拶にも笑いが散りばめられる新しいスタイルの披露宴の走り。

「〇〇(私のこと)君はロリコン(ロリータ・コンプレックスの略)

だと聞いていたが、順当な素敵なお嫁さんで安心しました。」

とか

「ホントに〇〇が研究室に来る時は、実験以外、毎月の土曜日丸一日使う研究進捗報告会、週2回の輪講のみ。無駄に研究室にダラダラ居ないのです。他の同期の4人は順当に研究室に居るのに。なので顔を見れば“あっ会議の時刻か”と分かる程徹底していました。」

などと、受取りようによっては際どいネタを…
硬い挨拶の場面でもイジる軽さと明るさが…

 その3.04はその具体的な例1つのご紹介の続々篇。

 バブル初期の披露宴は兎に角明るい。

 会社の同期が私達夫婦の写真をスライドにしてくれて見事にロリコンネタでイジってくれました。
 まぁ当時20歳の吾妹に

Love “in” at First Sight


(正に“in”で、ガッツリ魅力にLock Onされた感じ)
だったので全く動じませんでしたが(笑)


 その3.05はその具体的な例1つのご紹介の続々々篇。イジリのゲームの話題でした。結婚披露宴が明るく楽しい… 

 最早単なるパーティー

となったというオチ。 

 閑話として、呆れる程“ドラ息子”の私の顛末を赤裸々に綴らさせて頂きました。どうやら読者の方々にはドン引きだった様ですが… (それでも残そうという趣旨)

 その3.06は、そして披露宴の後の

2次会たるや凄いことに…

という話でした。

 結婚披露宴は遅れに遅れ、予定より1時間半遅れて高輪クラブから“正統派”ディスコ、六本木のホテルアイビスにあった“高級”ディスコ”ラジャコート“に到着。2次会の会場は既に盛り上がっていて、吾妹は大歓迎、私は1部吾妹のファンから無茶苦茶にされつつも至って明るいバブル初期らしい2次会でした。

 その3.07は、高輪での挙式、披露宴、六本木での2次会を終えてタクシーで高輪クラブに戻る所から。
 
 流石に2人共疲れ切って居ました。気持ち良さそうにうたた寝をする吾妹の横顔を見つつ目に入ったケン・コーポレーションさんの看板を見て、いずれは物件を貸せる様になりたいなぁ…と。

 それは実現する未来が待っていたのですが…

そんな些末な事は遥かに超越する…

(そのレベルは私の祖父母や父母の代でやった。それを超える価値あるものとは…)

“お金では買えないそれ以上の素敵な未来”


が私こと”究極のドラ息子“(笑)には用意されていました。

 高輪クラブに到着して、最上階のスウィートルーム。疲れ切った身体で雑事をこなし…
 当時は私はすっかり痩せていて筋肉も落ちて体重は58.5kg。長身とは言えかなりの痩せ型の吾妹でしたが…吾妹を抱いてベッドに乗せることができなかったのでした。正に

画竜点睛を欠く

感じでした。優しい吾妹は笑って許してくれましたが…
 それでも2人っきりが嬉しくて、勿論“しっかり抱き合って”就寝。というオチ。

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 今回は、陳腐な表現を使えば自宅に帰るまでが遠足ってところでしょうか。

 結婚式の翌日に起こったお恥ずかしい話なのですが、こういうこともあると心に留めて頂きたく一編を別立てで用意しました。
 
 私達は結婚式当日の2週間程度前に既に入籍はしていました。そして父から社宅が有るなら、そこに住んだ方が良いと言われていました。

 というのも、父は結婚前は基本的には自宅からの通勤でした。もっとも短期間山口県に転勤になった時だけは会社の寮に住んだそうですが。結婚後は、社宅には住まずにいきなり都内の一戸建てに住んだのです。戦後まだ復興の途中ということもあり、多くの同僚は社宅に住んていたそうで、私の母は社員の奥様方のコミュニティからは完全に孤立してしまったとのことでした。まぁ、まだまだ古いしきたりが残っていた時代、女性のコミュニティの力も凄かったようです。
 父は、長男なのに家督を弟に譲ったので、祖父がせめて家位はと結婚時に買ってくれたそうです。都心のアパートと少し郊外の一戸建てで迷ったとのこと。当時は都心のアパートに住むというのは大層先端的な暮らし方だった様ですが、母が広い土地に拘って一戸建てにしたそうです。

 いずれにしても社宅に住まなかった結果、上述の不都合が生じたというのが父の説明でした。

 そんな経緯で私達は社宅に住むことにしました。幸い吾妹も特に異論は無くソフトランディング。
 
 段取り良く、引越も済んで居ました。思えば折角だからそのまま一緒に暮らし始めてしまったら良かったのにと今更ながら思うのです。入籍しているのだから社宅を確保したら1日も早く一緒に住みたかったというのが本音…
 兎も角、同じ屋根の下に住み始めたのは結婚式以降からでした。という流れでしたので結構式後からは社宅に帰るという日々の始まりでした。社宅は手狭でしたので特に荷物の多かった吾妹の荷物の内、ウエディングドレス等日々の生活に使わないものは一旦吾妹の実家に置くことにしました。そのために高輪クラブから車で吾妹の実家に…
 その日は早朝まで結婚式の荷物の始末をしていたのでお互いに朝早くは起きられず、朝食の時間ギリギリに起きて何とか朝食を取りました。それから引き続きの荷物整理や最上階のスウィートルームから駐車場までの荷物の運搬に手間取り、チェックアウトの時刻までに支度は間に合いませんでした。勿論フロントにレイトチェックアウトのお願いの内線電話を入れてありました。特に予約はないので多少なら構いませんとのことでした。結局小一時間遅れてチェックアウト。フロントの方も快くチェックアウトの手続きをして下さいました。
 愛車のトヨタ・クレスタをのんびりと流して吾妹の実家に行きました。日曜日の結婚式の翌日なので当然平日。ですので義父は仕事に行っていて義母のみ。吾妹は引き続きの新婚旅行の準備もして居ました。その間に私は手紙を出しに駅前の郵便ポストに車で向かいました。
 長閑な昼間の駅前。片側2車線ある国道で駅前は左側に駐停車の車両がまばらに有る程度。少し渋滞気味で車の流れはゆっくりでした。

 私は生まれて始めて乗った新幹線の出発や停止時の滑らかな加速、また銀座の父の行きつけの鮨屋、江戸銀に行く為に父が手配してくれたリンカーンマーキュリー。自宅から銀座までの間の何ともゆったりとした加減速が大好きでした。750ccのスーパースポーツバイクに乗る時はホンダのレインボースクールという教習所で叩き込まれたキビキビした運転を実践して居ましたが、その分自動車の運転は上述の新幹線やハイヤーの運転を実践していました。

 そんな感じで駅前の駐停車の車の切れているところに駐停車すべく、助手席側のドアミラーを確認した後ゆっくりと車線を変えて停車しようとした時、何かが助手席側後方の側面、トランク辺りに当たった鈍い音が…

画竜点睛を欠いた瞬間

 ご愛顧のお姫様だっこ不発…
こちらは他人が絡むので洒落になりません。

 その場で停まると、何と商用のカブに乗ったおじいさんが助手席側のトランク付近にハンドルをぶつけて転倒していました。本人に怪我はなく、スクーターが少し傷になり私も車の側面に少し傷がついた程度。
 直ぐに警察を呼びました。同時に保険会社にも連絡しました。たまたま警察署が斜め向いだったので直ぐに到着し、直ぐにそのおじいさんに怪我が無いことを確認しました。その後は自己処理の手続き。各々に別の警察官が着いて聴取。
 私が余りにゆっくりと車線を変えて居たので、そのおじいさんが急いでいたため左からすり抜けしようとして目測を誤ったというのが顛末でした。警察官の方には結婚式翌日に事故とは…しかもおじいちゃん、強引に左から抜くとはねぇと気の毒がられました。それでも事故になったのでそのおじいさんにお見舞いの言葉を掛け、保険会社の情報と担当の連絡先を伝え、後遺症等出たら保険会社に連絡だけ入れて、直ぐに病院に行って下さいとお話ししました。過失割合等を含めたの交渉は保険会社に任せ予定通り新婚旅行に出かけました。
 結局、スクーターは修理不要でおじいさんも特に怪我もなく、私の車に着いた僅かな擦れ傷はコンパウンド入のワックスで綺麗になりました。ですから勿論保険の出番もなく終わったのでした。新婚旅行から帰ってその連絡を保険会社から貰いました。それでも事故の有った国道沿いの今は閉業した商店兼自宅に住むおじいさんのもとに菓子折りを持ってお見舞いにお伺いし一件落着しました。

画竜点睛を欠く

最後まで気を抜かないという事、
特に大きなイベントの前後は事実交通だけではなく様々な事故が有りがちなんです。

幼稚園とか小学校で良く遠足の時に
自宅に帰るまでが遠足
と言われましたが、正にその通り…(笑)

そして実際事故に遭遇してしまったら連鎖しますので、くれぐれも慌てずに処理対応を進める様にしています。

一難去ってまた一難

2024年元旦の能登半島地震でも、その救援物資運搬の海上保安庁の飛行機が誤って民間航空機に着陸許可の出ていた滑走路に侵入した事故も、正にこの故事やことわざに適合するかと思います。

 ということで、 

リファレンスとしてのバブル初期の結婚式 

は教訓というオチも着きました。

結婚についての大人の学び直し


のため、人生経験を整理して理解を深める作業の1つが終わりました。

蛇足
 小学生の時に運で補欠試験に合格した四谷大塚。
そこで故事成句、特に四字熟語を徹底的に学んだ事の意味を今更ながら痛感した瞬間でも有りました。

 








 

 


 

 
 
 
 


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結婚式の思い出

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