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結婚 その3.03 硬い挨拶にも笑い 〜リファレンスとしてのバブル初期の結婚式  当たり前過ぎて意識しなくなっていること

日本鋼管高輪クラブ (NKKエース高輪(ホテル))

 その1では
〜改めて考えてみた
先ずは基本的認識の整理から
ということで結婚とは何かのおさらいをしました。

 その2では、
〜始まりは婚姻届提出
ということで、婚姻届の建付けから分かる結婚を考えてみました。

 その3.01は今どきの結婚式ということを深堀りすべく先ずは昭和のバブル期に入った位頃の能天気に明るい結婚式をリファレンスとしてご紹介。
 その後主流となるホテルでの挙式と披露宴のセットとの対比で大学や会社の施設を利用した挙式and/or披露宴のご紹介をしました。

 その深堀りで大学や企業の施設が結構開放されていて稀有な設備をリーズナブルに利用できるというご紹介をしました。

 その3.02はその具体的な例を1つご紹介。

 リファレンスなので当時の雰囲気が伝わるように詳述しています。

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 今回はその施設を活用した結婚式の具体的な例1つのご紹介の続き。

 大安吉日、日曜日、June Brideということで、梅雨時にも拘らず前日の雨が嘘のように止み雲は有るものの晴天に恵まれた当日。日本鋼管高輪クラブは貸切状態。

 自宅からは昭和のサラリーマンのステータスだった当時流行りのハイソカー。しかもトヨタマークIIではなくてよりフォーマルに振ったクレスタで乗りつけました。当時は国内最大排気量の750ccのスーパースポーツの二輪車に乗っていましたので、車は対極のフォーマルな車格。それが気に入っていました。如何にもバブル期らしい…。
 披露宴や2次会は当然飲酒が想定されていました。しかし当日は2次会後には高輪クラブの最上階のスウィートルームに宿泊ということで車は翌日チェックアウトまでクラブの駐車場にという段取り。

 控え室での簡単な親族紹介の後に神前結婚式として準備された挙式専用会場に。クラブが用意してくれた神主、仲人、親族での挙式でした。当時は親族も広く呼ぶ習慣が一般的で会場は略満席状態。無事挙式が終ると…

 その後は引き続き披露宴会場に。120人を超える参加者。
会社関係、学校関係、親族という構成。具体的には会社関係は所属部署全員。これは矢張り今後の会社生活を円滑にするという配慮からでした。学校関係は大学の研究室の教授以下、同じ研究をしていた先輩や同僚まで。というのも親族が多すぎてそこまでしか招待できなかったというのが本音でした。そして残りは全て親族という…これも未だ家同士の形が色濃く残る昭和の結婚のスタイルでした。

 研究所所長で役員の仲人、主賓としての大学の教授、会社の上司、先輩と固い挨拶が続きました。

 その流れで会社の先輩、と言っても部門長の次のポジションでそれなりの方。

 余談ですが鉄鋼会社は役員、部長、課長、係長とそこまでが幹部社員。大学卒業して直ぐの部員、主任までは労働組合に所属する立場でした。それぐらい幹部社員というのはステータス、給与も別格の金額でした。

 そんな背景の中でその方は課長。

 米国の研究機関にも在籍経験が有り会社員なのに口髭を生やし唯我独尊。Physical Review

という物理屋の世界では権威ある国際学会誌に定期的に論文が掲載される程のレベルの方でした。しかも海外経験からかユーモアも有る研究員としては見習うべき方。そして私が結婚して暫くすると有る国立大学に行かれて教授を今もされている…

そんな方に何と…

「〇〇(私のこと)君はロリコン(ロリータ・コンプレックスの略)だと聞いていたが、順当な素敵なお嫁さんで安心しました。」

と開口一番言われた時は、会場に失笑が湧いたことを今でも覚えています。私の好きな

物理屋の余裕のユーモア(笑)

ですね~
ネタバレですが、それを私が40年後に矢張結婚披露宴で発揮することになるとは、その時は知る由(よし)もなく…

 まぁ私の直ぐ上の先輩方までは第二次ベビーブームの方で、実際当時は受験戦争と呼ばれるほど。ですから所属していた研究室の研究員は皆さんは、基幹産業の研究員になる程の方々ですから中学生から大学合格まで受験で

”女っ気(おんなっけ)“無し

というのが普通の時代でした。

 とは言え、確かに私も部署の飲み会で小学校5年生から受験で、大学も理工学部の私の学科に2人、研究員にはドクターの女性が1人居ただけ。なので大学時代塾の講師をしていた時に

バレンタインの義理チョコを女子生徒からもらうと正直ドキドキする*

などと軽口を叩いて笑いを取って、場を盛り上げることしばしばだったことを思い出していました。

 新郎の席、横には仲人たる部門管掌役員が座って居ましたのでこのネタにはヒヤヒヤものでしたが、会場の失笑で明確に洒落になったというオチ。

笑いに助けられました。

 また、こんなエピソードも有ります。大学のドクターの先輩が、
「〇〇(私のこと)は時間の使い方が極めて合理的…」
と話だし、
 研究内容は高度で実験装置も自ら電子回路設計をして改造したり、自主参加の輪講にも学部向けだけではなくマスター·ドクター向けの輪講にも参加して、最新、最先端のしかも評価の高い有名論文を選び出して**要旨を発表していたと持ち上げてくれた後に(この前フリの記憶は余り印象に残っていないので怪しいのですが(笑)、それは以下が強く印象に残ったからなのです…)
「ホントに〇〇が研究室に来る時は、実験以外、毎月の土曜日丸一日使う研究進捗報告会、週2回の輪講のみ。無駄に研究室にダラダラ居ないのです。他の同期の4人は順当に研究室に居るのに***。なので顔を見れば“あっ会議の時刻か”と分かる程徹底していました。」
とオチを付けたのでした。

 実は会社に入ってからも遣り繰りして新入社員育成指導期間なのに全く残業しないで帰宅すると有名になっていましたので、

ここでも失笑が。

 私以外の会社の同期は忙しいと残業を結構していましたので、私は極めて異質な研究員でした。まぁ実はそれには明確な目的が有って、定時以降は略毎日吾妹と車で門限までデートという日々でしたので…

 こんな荒っぽくも楽しい挨拶もバブル期らしいエピソードです。(明るい雰囲気が伝わると良いなぁ)

つづく

蛇足
*バレンタインの義理チョコを女子生徒からもらうと正直ドキドキする

 そうは言っても、私ですら例えば中学生の時は女子に色々助けて貰ったり、誕生日にお祝いを貰ったり、下駄箱に手紙を貰ったり…某大学の付属高校の学生の時も卒業式の後良く勉強に使っていた学内の図書館の図書部の下級生から告白されたりと、思い返せばスポットではそれなりには有ったのですが…
 余裕が有ったらそんな人生の楽しみも経験しても良かったのかと今更思ったりもしますが、もう一度同じ環境で人生を歩んでも、結局今私が選んだ通り生きるんだろうなぁ。運と勘としつこさの人生だからこそ結構考え抜いて生きているので(笑)
 だからどうやっても結局吾妹と築いた今の家族との生活にたどり着く…)

**最新、最先端のしかも評価の高い有名論文を選び出して…

 これには実はタネ本が有ったのです。

 理工学部のキャンパスにある大学生協の書籍部には理工学部の学生や教授向けに洋書を含む専門書がふんだんに有りました。
 大学4年生になって私が希望していた表面物理学研究室に配属が決まった時のことです。当時は半導体技術の進化が著しく、その基礎研究としての表面物理学の研究も大きな進歩を遂げていました。その最先端論文を纏(まと)めて解説した専門書がたまたまそのタイミングで刊行されそれが書籍部に一冊だけ入荷していたのです。運が良い。
 この書籍をネタ本として研究室の研究に有用な順番に原論文を手に入れて精読し、その要約を資料にまとめて発表していたのです。そのタネ本にはどこにその論文の意義があるのかを丁寧に解説してあったので、極めて短時間に的を得た輪講用の資料を作成することができたのです。
 この要領の良さも、運と勘としつこさの人生だからかと…


***同期の4人は順当に研究室に居るのに…

 理工学部も研究室は、基本的にそこに所属する学生は授業が無ければ研究室に居るというスタイル。特に4年生は単位を落としていなければ専門分野の必修科目以外の授業は無く研究と卒業論文作成に時間を使える様になっていました。
 大学本部付近には大きく4つのキャンパス学生有りました。理工学部は大学本部のあるキャンパスからは1番遠いキャンパスでした。研究室はその4つのキャンパスとも異なり独立した敷地を持っていました。そして理工学部のキャンパスから抜け道を使って徒歩10分程度の場所に。寧ろ大学本部のあるキャンパスの近くだったのです。私は4年生時には既に単位は基本的に足りていて、週に1日だけ専門科目、しかも研究室の教授の授業のみ出席していました。まぁ折角学校に行ったので同じ日の別の専門科目の授業も履修していましたが。

 

 

 
 
 
 


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