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結婚 (画竜点睛を欠く) その3.07 宴の後 〜リファレンスとしてのバブル初期の結婚式  当たり前過ぎて意識しなくなっていること

鼻につく内容が続いてすいません。
事実を残すということで引き続き赤裸々にかつ丁寧に紡ぎます。

経緯
 その1では
〜改めて考えてみた
先ずは基本的認識の整理から
ということで結婚とは何かのおさらいをしました。

 その2では、
〜始まりは婚姻届提出
ということで、婚姻届の建付けから分かる結婚を考えてみました。

 その3.01は今どきの結婚式ということを深堀りすべく先ずは昭和のバブル期に入った位頃の能天気に明るい結婚式をリファレンスとしてご紹介。
 その後主流となるホテルでの挙式と披露宴のセットとの対比で大学や会社の施設を利用した挙式and/or披露宴のご紹介をしました。

 その深堀りで大学や企業の施設が結構開放されていて稀有な設備をリーズナブルに利用できるというご紹介をしました。

 その3.02はその具体的な例を1つご紹介。

 リファレンスなので当時の雰囲気が伝わるように詳述しています。

う その3.03は、具体的な例1つのご紹介の続き。

 大安吉日、土曜日、June Brideにも拘らず日本鋼管高輪クラブは貸切状態という結婚式当日の詳細。

 ハイソカーで乗りつけ、無宗教なのに神前結婚式をし、披露宴も派手に会社関係、学校関係、親族という構成で120人を超える参加者を迎えるというミーハー(今どき使わない言葉(笑))さ。

 硬い挨拶にも笑いが散りばめられる新しいスタイルの披露宴の走り。

「〇〇(私のこと)君はロリコン(ロリータ・コンプレックスの略)

だと聞いていたが、順当な素敵なお嫁さんで安心しました。」

とか

「ホントに〇〇が研究室に来る時は、実験以外、毎月の土曜日丸一日使う研究進捗報告会、週2回の輪講のみ。無駄に研究室にダラダラ居ないのです。他の同期の4人は順当に研究室に居るのに。なので顔を見れば“あっ会議の時刻か”と分かる程徹底していました。」

などと、受取りようによっては際どいネタを…
硬い挨拶の場面でもイジる軽さと明るさが…

 その3.04はその具体的な例1つのご紹介の続々篇。

 バブル初期の披露宴は兎に角明るい。

 会社の同期が私達夫婦の写真をスライドにしてくれて見事にロリコンネタでイジってくれました。
 まぁ当時20歳の吾妹に

Love “in” at First Sight


(正に“in”で、ガッツリ魅力にLock Onされた感じ)
だったので全く動じませんでしたが(笑)


 その3.05はその具体的な例1つのご紹介の続々々篇。イジリのゲームの話題でした。結婚披露宴が明るく楽しい… 

 最早単なるパーティー

となったというオチ。 

 閑話として、呆れる程“ドラ息子”の私の顛末を赤裸々に綴らさせて頂きました。どうやら読者の方々にはドン引きだった様ですが… (それでも残そうという趣旨)

 その3.06は、そして披露宴の後の

2次会たるや凄いことに…

という話でした。

 結婚披露宴は遅れに遅れ、予定より1時間半遅れて高輪クラブから“正統派”ディスコ、六本木のホテルアイビスにあった“高級”ディスコ”ラジャコート“に到着。2次会の会場は既に盛り上がっていて、吾妹は大歓迎、私は1部吾妹のファンから無茶苦茶にされつつも至って明るいバブル初期らしい2次会でした。

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 今回は、高輪での挙式、披露宴、六本木での2次会を終えてタクシーで高輪クラブに戻る所から。
 
 流石に2人共疲れ切って居て、タクシーの中では多少景色を楽しんだものの、古川橋辺りでは吾妹は夢うつつという状態でした。

 未だに未完の環状3号線。

 当時は六本木トンネルはずっと工事が止まってい使えない状態でした。

その辺りの経緯は以下。

 麻布トンネルは、1964年東京オリンピックの関連整備として東京オリンピック前に開通したが、1990年頃までは現在の内回り側を外回り方向に走らせる形の片側供用であった(トンネル通過後は左に180度転回して六本木通りに出る形だった)。現在の外回り側トンネル、六本木トンネルは20年間以上も封鎖されていた。その後、六本木トンネル完成に合わせて、両側供用となった。

出典

 そんな事情でタクシーは吉川橋経由で信号に引っ掛かりながら渋滞気味の中高輪クラブへと向かっていました。
 道すがら… 六本木辺りの不動産といえば森ビルさんとかケン・コーポレーションさん。特にケン・コーポレーションさんは外国人向けの賃貸物件を多く扱われ、電信柱には至る所に広告が有りました。

 タクシーの車窓からラジャコートでの結婚式2次会は叶ったので、次はケン・コーポレーションさんに物件を貸せる様になりたいなぁ…

閑話
 実はその後海外駐在もし、

その3.05でもご紹介した会社の福利厚生を活用し尽くし、(この流れが連作の肝になるので再掲しますね(笑))

それで貯めたお金で横浜駅から数分のマンションを手に入れて、しかも都区内の実家に戻る形で何とそのマンションの一室をケン・コーポレーションさんにお願いして賃貸に出すことになる未来が待っていたのでした。後はねずみ算式に不動産を増やせは老後は安泰…という寸法。

 その時点では、父は長男なのに家督を弟に譲ったものの本家はビル持ち、母方の祖父母も世田谷に賃貸ビル持ち、私の両親も賃貸不動産持ちという感じで、不動産関係だけでも親族全体としては経済的な基盤はまぁ大丈夫でしょ。というポジショニングでした。

 どころが

そんな些末な事は遥かに超越する…

(そのレベルは私の祖父母や父母の代でやった。それを超える価値あるものとは…)


“お金では買えないそれ以上の素敵な未来”


が私こと”究極のドラ息子“(笑)には用意されていました。
ネタバレですが、結婚式に絡む本シリーズの落とし所は実はここ…

 そう言えばこんなコマーシャルもありましたね(笑)

閑話休題

 高輪クラブに到着して、最上階のスウィートルームに向かいました。着替えを済ませ、時間が押してバタバタのままの荷物を簡単に整理してシャワーを浴びるともう真夜中過ぎという有り様。
 
 こんな感じが

リファレンスとしてのバブル初期の結婚式

の一部始終です。
 呆れる程長い1日でした。

 使い切れない数と広さの部屋。メインベッドルームのだだっ広いキングサイズのベッドに2人で入ったのは早朝って感じでした。
 当時は私はすっかり痩せていて筋肉も落ちて体重は58.5kg。成人後、未だに破られない最軽量の体重でした。疲れていた事もあり、長身とは言えかなりの痩せ型の吾妹でしたが…吾妹を抱いてベッドに乗せること(”お姫様だっこ“って言うのですね。今回の事前調査で知りました。「抱いてベッドに乗せる」から検索するとアダルトサイトばかりで(笑)この言葉に行き着くのに数分掛かってしまいました。)

お姫様だっこ

出典


が…

うーん持ち上がらず、持ち上げ途中からフラフラしてそのキングベッドにそのまま倒れ込んでしまいました。言い訳ではなく…決してガッツイていた訳ではありませんので(笑)。
正に…

画竜点睛を欠く

感じでした。
 優しい吾妹は笑って許してくれましたが…

 それでも2人っきりが嬉しくて、勿論“しっかり抱き合って”就寝。

つづく
 
 
 
 
 


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