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結婚 一歩踏み出したその先に~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 一歩踏み出して

結婚

しました。社内結婚でした。

相思相愛
(なわけないでしょ。貴方が頼むから仕方なくに決まってるじゃん💢(横浜弁)。呆れ顔の吾妹が思い浮かびますが…(笑))

その先に広がっていたのは、

【甘い生活】
 仕事時間以外は毎日デートみたいなもの。家の中はいい香りがするし、阿吽(あうん)の呼吸もたまらない。還暦過ぎた今に至ってもそのノリです。良いこと尽くめです。

(そっちはそうだろうけど、こっちはその良いこと尽くめの犠牲になってるの解ってるよねえ。またまた呆れ顔の吾妹が思い浮かびますが…(笑))

【子供を授かる】 
 生物としての最大の仕事は次世代を用意することです。一姫二太郎、二人とも健康です。私はサラリーマンでしたので、特に私立小学校入学以降の難易度高い対外的お付き合いを含め、専ら子育ては吾妹が担当してくれました。そのお陰で性格も教養も個体の個性を活かした納得の次世代を残すことができました。
 時代が許さなかったことも有りますが、もう少し子育てを楽しむ時間が欲しかったと思っています。(またまた、ウソついてんじゃないわよ。との吾妹の呆れ顔が…(笑))

【運命が開けた】
 古き良き文化も沢山残っていた鉄鋼会社に居たのですが、その文化の一つとして同じ部署に夫婦は配属しない時代でした。社内結婚の場合は、一般的に男女雇用機会均等法も無かったことも有り、専ら女性が部署を移る時代でした。

 しかし、

 吾妹は特別待遇で公務での外出も頻繁にあり、給料も私を遥かに超えていたそうです。

特別待遇の重要人物。

 私も研究職から総合企画職への転職を希望していたということも有り、私がコストセンターとしての研究職からプロフィットセンターとしての事業部付の開発職に転職(異動)となりました。

 その辺りの、転職としての切り口での詳細は以下をご覧になって下さい。

【波瀾万丈の楽しい未来が】
(マジで半端ない上昇志向での転職の連続。少し長文です。)
 その後会社の未来の中核、半導体事業部門へ転職。転職先の製造所の所長にアピールが功奏し、米国カリフォルニア州のシリコンバレーの最先端半導体ベンチャーに出向。2年後帰国。鉄鋼会社の操業ノウハウを惜しみなくつぎ込んだ最新量産試作工場に米国で開発した技術を移管、製品化までしてやることはやったから総合企画職へと上司に談判。

 すると技術職から事務職に異動、渉外職からのスタート。本社のセールス&マーケティング職、事業企画職。
 
 部門売却の流れに乗って国内最大のIT企業に転職。大学の先輩のスーパーコンピューターの技術が入った商品マーケティングを手伝った後、事業企画部での新規事業開発案件を査読·評価を担当。全社の事業の概要を頭に入れ、マーケティング職へ転職。生体認証デバイス担当し、プリンターメーカーの商談を上手く利用してユビキタスプリンティングの実現をテーマにビジネスコンサルティング、ビジネスサポートサービス、セキュリティサービスを提案し、包括的なコンサルティングを受注。

 この成果から子会社から親会社に転職。電子行政ソリューション部門の年度予算達成のためのドサ回りで社内外人脈を整備し、上述のユビキタスプリンティング事業企画に参画。セキュリティプラットフォームにユビキタスプリンティングのアプリケーションを載せるスキームにキャリア(通信事業者)なども巻き込み、一大事業企画プロジェクトに仕上げました。

 この分野の事業企画の実現のため、担当本部の本部長に直談判し快諾を得てサービス事業企画に転職。
TCG(Trusted Computing Group)での国際標準化、保有していたネットワークサービスのプラットフォーム(基盤)に医療を載せ経済産業省の予算も取り込みプロトタイプを用意。新しい医療サービスの受け皿となる会社を用意しました。

 家庭の事情でまとまったお金が必要となり、総合商社のエレクトロニクス中核会社の役員になるという未来が待っていました。

 この辺りは12+3 篇の作品にさせて頂きました。

 結婚、一歩踏み出したその先は最高に楽しい人生が用意されていました。

多謝。


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