見出し画像

わたしの転職体験 その12 事業企画職から 総合商社エレクトロニクス部門中核会社の経営職へ 経営企画への道 IT会社ソフト·サービス事業本部 ネットワークサービス事業部  ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 文系の方も理系頭の中身を覗いて見て下さい。(笑)

【経緯】
 大学を卒業して希望していた鉄鋼会社に入社、専攻していた表面物理学を活かせる研究部門に配属されました。そこでのんびり論文ドクター位取ってから総合企画部、そして役員狙いかなぁとぽんやり考えていたのでした。

 社内結婚を期に一気に人生が動きました。

 夫婦同部署不可もあり、研究(コストセンター)から事業部門(プロフィットセンター)へ希望通りの転職。それを足ががりに会社の未来の中核事業へ転職。転職先の製造所の所長にアピールが功奏し、米国カリフォルニア州のシリコンバレーの最先端半導体ベンチャーに転職。多国籍の方々と最先端半導体の開発をし、2年後に転職。鉄鋼会社の操業ノウハウを惜しみなくつぎ込んだ最新量産試作工場に米国で開発した技術を移管、製品化までしてやることはやったからそろそろ総合企画職へと上司に談判。

 技術職から事務職に転職し、最初は渉外職からのスタート。本社のセールス&マーケティング職、事業企画職と思った通りのキャリアパス。
 
 部門売却の流れに乗って国内最大のIT企業に転職。大学の先輩のスーパーコンピューターの技術が入った商品マーケティングを手伝った後、事業企画部での新規事業開発案件を査読·評価を担当。全社の事業の概要を頭に入れ、マーケティング職へ転職。生体認証デバイス担当し、プリンターメーカーの商談を上手く利用してユビキタスプリンティングの実現をテーマにビジネスコンサルティング、ビジネスサポートサービス、セキュリティサービスを提案し、包括的なコンサルティングを受注。

 この成果から子会社から親会社に転職。電子行政ソリューション部門の年度予算達成のためのドサ回りで社内外人脈を整備し、上述のユビキタスプリンティング事業企画に参画。セキュリティプラットフォームにユビキタスプリンティングのアプリケーションを載せるスキームにキャリア(通信事業者)なども巻き込み、一大事業企画プロジェクトに仕上げました。

 この分野の事業企画の実現のため、担当本部の本部長に直談判し快諾を得てサービス事業企画に転職。
TCG(Trusted Computing Group)での国際標準化、保有していたネットワークサービスのプラットフォーム(基盤)に医療を載せ経済産業省の予算も取り込みプロトタイプを用意。新しい医療サービスの受け皿となる会社を用意しました。

 この辺りまではこちらもご覧下さい。

 ところが、とある理由でIT会社の部長の収入を倍程度にしなけれはならなくなりました。

【転職しかない】

 セキュリティ事業企画で知り合った友人からキャリアコンサルタントを紹介されました。今までの転職とは異なり金額有りき。ですが運良くその方が顧問をされている総合商社エレクトロニクス部門中核会社で採用が決まりました。
 IT会社の半導体、電子行政、コンサルティング、ネットワークサービスの部門長から遺留を乞われましたが、必要金額は制度上直ぐは無理ということで理解を得、謝罪し退職。
名より実を取る退職で退職加算金の厚遇まで。多謝。

【執行役員】

 執行役員として第一事業本部長でエレクトロニクス関連事業と光通信絡みの国際標準化を伴う事業等を担当しました。

サラリーマン人生の総決算。

【やりたい放題】
 元のIT企業とのサービス事業での連携等も進め、手慣れたセキュリティ映像関連事業も拡大させました。
 災害防止分野ではソリューション事業以外に標準化の為の財団を用意し常務理事を担ったりしました。
 海外事業も手掛けました。鉄鋼会社時代イスラエル駐在事務所をたまたまですが同じ総合商社の駐在事務所内に開設しようとしたりしていました。ですがアラブボイコットは時効というくくりで無視して、ハレンチにもアラブ首長国連邦やドバイへのソリューション事業展開を元居たIT企業と一緒にコンサルティングから入って行ったりしました。
 足掛け2期8年をそこで過ごさせて頂きました。

 ヤッター

 定年卒業

 運と勘としつこさが引き寄せた転職人生は一旦幕。


蛇足

 宜しければこちらもお楽しみ下さい。


この記事が参加している募集

転職してよかったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?