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3月15日(水)、第1642回 「罰」

「厳罰を求める」

この世の中には、

こと正義という御旗のもとに、

「怒り」

の感情が満ち満ちています。

仏教では、

三毒といわれる「貪瞋痴」の

「瞋」が「怒り」という意味

になります。

ちょっと考えてみてください。

「罰」というものは、

「罪」があったればこそで、

ここでの本質は、

そもそも、

「罪」を犯さないようにする、

それがありきなのだ、と、

少し冷静にさえなれば、

誰しもがわかる。

人さまのなりふりを、

「自己責任、自己責任」と、

見て見ぬふりをしているうち
に、

責任のないひとたちにも害が

及んだりする。

他人さまを気にかけなければ、

他人さまから気にかけられる

こともない。

世の中は、

そういう仕組み。

何かが起きてから、

怒りを以って接するではなく、

何かが起きる前に、

寛容を以って接する。

そういうことに気がつかない

うちは、

また、

望まない出来事がやってくる。

この世の中は、

わたくしたちが

「心の底からわかりました」、

というまで、

望まない出来事が、

延々と繰り返される、

まさに、

そういう仕組みなのだ、

ということなのです。

感謝、合掌
慈永

ありがとうございます。お布施は、こちらから😊😊😊