この度、わたくしの念願だった、ペットロスの方向けの本を出しました。 亡くなったペットと交信するチャネラーさんや、獣医さんにも寄稿いただき、ペットロスの方を少しでも笑顔にできるようにとの思いで出版しております。 応援いただけましたら、大変ありがたいです🙏 【本日の抜粋】 『飼い主さんの愛情が深かった分だけ、ペットたちもそれに応えるように深く感謝して、お空に旅立っていきます。この本を通じてそういったことを是非知っていただきたいと思った次第です』 Am
ひとが生きる、 そのことにおいて、 白黒、 はっきりつけなきゃならない ことは、 実は、さほど多くありません。 よーく考えてみてください。 本当のところ、 世の中には、 どうでもいいことの方が多い わけです。 そのどうでもいいことに、 あえて聞き耳を立てて、 白だ黒だと振り回されている のではないか?、と。 大切なこと、 そこをしっかりと見極めて、 以外には関わらない。 「放置できる」という能力。 感謝、合掌 慈永
「やる気出せ、やる気出せ!」 と言う人、 やたら多いですけれども、 「やる気」というものは、 そのように言われない環境が あってこそ、 はじめてそこから 「引き出される」ものなのだ、 ということです。 自分の部下がいたとして、 「趣味も知らない」 「好きな食べ物もわからない」 「何が得意なのかも語れない」 ね、 ひとを動かしたかったら、 まず、 そのひとに興味を持って、 感情が上向きになるポイント、 そこをしっかり見定めておく のだ、
花のつぼみを見て、 「きれいに咲いてほしい」、 そう思うことあるでしょ? わたくしたちは、 やがて枯れることがわかって いても、 「しばし、 きれいに咲いてください」 と願う、 それが、 ひとというものが持っている 「仏性」 というわけです。 ただ、惜しむらくは、 これが、 花ではなくて、 ひとのお話になった途端、 なかなか、そういう気持ちに ならないことも多いのだ、 ということ。 感謝、合掌 慈永
みんなが笑って、 わたくしは泣いて、 この世に生を授かりました。 だからね、今度は、 みんなが泣いて、 わたくしは笑って、 あの世へと旅立つ。 そういう覚悟で生き抜く、 と決める。 感謝、合掌 慈永
「日本は、よい国になって いますか」 「日本は、良い国になって いますか」 「日本は、善い国になって いますか」 いま、 名もなき先人たちの声に、 しっかりと耳を澄ます。 「日本を、よい国にします」 「日本を、良い国にします」 「日本を、善い国にします」 会ったこともない先人たちと、 必ず守リます、と心に決める、 日本人としての、 まこと大切な、約束ごと。 感謝、合掌 慈永
あのね、 実は、 わたくしが生きていくために 重要なことは、さほど多くは ありません。 自分の心臓だって、 自分の意識で動かしている、 そういうわけじゃないでしょ? 食べたものを栄養に変える、 これだって意識してやってる わけじゃないでしょ? 神さま仏さまは、 生命体として自身を維持する ということよりも、 もっと大切な何かを意識して 生きてほしい、 そう思って、その分の時間を 与えてくださったのだ、 と考えてみる。 さぁーて、今日は、
世の中の、 すべてのものごとには、 プラスの面とマイナスの面、 必ず両面が存在するのです。 わたくしたちは、 あらゆるものごとに対して、 これは良い あれは悪い、 などと評価して、 取捨選択しています。 その取捨選択は、 自身が関わる人間関係にも、 及んでいたりするわけです。 でもね、 この取捨選択なんてものは、 その時そのとき、 自身にとって都合のいい方を 選んでいるに過ぎず、 都合が変われば、 平気で別な選択をする程度の ものなのだ
「いづれ、すべてを失う」 という覚悟をしておく、 ということ。 「すべてが失われずに在る」 という今日に気づく、 ということ。 この2つが、 人生でしあわせを見出す秘訣。 感謝、合掌 慈永
あのね、 「お悩み相談」の本質はね、 「悩んでいることの解決」 ではなくて、 「悩んでいる相談者の心情」 の理解」 にこそあるのだ、 ということです。 たくさんの方の相談を承って いますとね、 仮に、 「悩んでいることが解決」 したとしても、 また、必ず別の相談を携えて 相談にやってくるひとも多い。 本当に解決したいものは、 「悩んでいる事柄」 じゃないの。 本当に解決したいものは、 「悩んでいるわたくし」 をどうにかしたい、 というこ
人間というものは、 自分が見たいもの、 それしか見れない、 ということなのです。 わたくしが、 不足だと思っているならば、 「あれもない」 「これもない」 という事象ばかりが現れる。 わたくしが、 満足だと思っているならば、 「あれもある」 「これもある」 という事象ばかりが現れる。 しあわせなひとは、 ますます、しあわせになり、 ふしあわせなひとは、 ますます、ふしあわせになる。 人間というものは、 自分が見たいもの、 それしか見れな
ご自身のお子さんと、 日頃、どう接しておられるか?、 ということです。 子供というものは、 親の期待に、 応えよう応えようとするもの。 子供として接すれば、 子供という立場で、 期待に応える。 人間として接すれば、 人間という立場で、 期待に応える。 実は、 大人も同じで、 役職がひとを創る、 という言葉もあるわけです。 相手の成長、 こればかりに目を奪われず、 わたくしは、 相手とどう接しているのか?、 そこをしっかり考えてみる、
お金を払う、 そこに抵抗感、ございますか? お金を払うということは、 何かの価値をいただく、 ということ。 どなたかから、 価値をいただいているのに、 支払うことに抵抗があるひと は、 逆に、 どなたかへ、 価値を差し上げるときにも、 対価を受け取ることに抵抗が 生じて、必要以上に安く提供 したりすることになるのです。 わたくしの心の中、 そこで起きていることは、 全て現実の事象に投影される、 ということ。 感謝、合掌 慈永
人間、 「人のためになること」よりも、 「人の嫌がることをしないこと」 それを心がける、 ということです。 「人のためになること」 をしよう、しよう、と思うと、 見返りを求めて心が曇ったり します。 「感じの良いひと」 とは、 どんなひとであるのか?、 ちょっと考えてみてください。 それは、 「わたくしのためになるひと」 ではなくて、 「わたくしに嫌な気持ちを抱か せないひと」 のはずです。 人間、 「人のためになること」よりも、 「人
わたくしたちは、 とかく、 白黒、左右、上下といった、 わかりやすい「二極」を好み がちです。 でもね、 例えば、 「やさしさ」だけなんて、 存在してはいないし、 「きびしさ」だけなんて、 存在してもいない。 「やさしさ」を噛み締めた 「きびしさ」、 「きびしさ」を噛み締めた 「やさしさ」、 そういうグラデーションこそ が、 この世にある「二極」の、 まことの姿。 感謝、合掌 慈永
人間というものは、 決して変えられやしないこと を、 変えられると思って悩み、 がんばれば変えられることを、 変えられないと思って諦める。 要するにね、 「変えられない」という覚悟、 「変えられる」という覚悟、 両方が、足りていないんです。 感謝、合掌 慈永