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邪道作家第七巻 猫に小判、作家に核兵器 勝利者の世界 分割版その1続話リンク付

新規用一巻横書き記事

テーマ 非人間讃歌

ジャンル 近未来社会風刺ミステリ(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)

縦書きファイル(グーグルプレイブックス対応・栞機能付き)全巻及びまとめ記事(推奨)

簡易あらすじ

強い奴はいい。斬り殺しても文句が出ないからな──────思うに、そんなに強者が気に食わないなら、懸賞金を掛けるべきだ。
その強者からの依頼に何をするか? 謀り、騙し、嘘を付き盗んだ挙げ句泥を投げ込んで金を奪う? 勿論、そうだ。何であれやれる事はやるべきだし、奪えるなら奪った方が、経済的にも良いだろう。
これぞ「エコロジー」というやつだ!! 

それが人の命であれ、無駄遣いはすべきではない。これはそういう物語だ。違った場合は金になる方を選んでくれ。振込先は私の口座••••••ないし、番号を知らなければおひねりを投げてもいい。
確か、1000ドルまでなら出来た筈だ。
ちゃんと調べろ。そういう機能があるのに、それを使わないなんて「大損」だぞ? なら私の口座宛に使うのが有意義な使用法てあって、かつご利益に関しては言うまでもない。
強盗、迫害者の始末、責任者の更迭、むかつく政治家どもへの「チキン・内部に黄金水」セットの(無論、金で投票数を稼いでご機嫌なパーティー当日に)提供サービスなどなら簡単に可能だ。
ある意味、犯罪こそ人間であり心の故郷とは悪徳だ。ならば納税記念として苛つく上司の排除や、口先だけの教師を(身に覚えの無い)女生徒との不倫疑惑をバラ撒きムショへブチ込むのが記念の品だ。
さて、あらすじは理解したな? 中身なんて真剣に見ている奴がいるのか謎だが、非人間なりに必死こいて書いた部分は保証しよう。

中身がない、自身がない、生きている意味が分からない。
そんな貴様に邪道作家だ。その点だけは、間違いない!!!



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 中身が無くても堂々としていろ。
 私を少しは見習え・・・・・・何一つ、文字通り「何一つとして」持たない私を。そんな人間でも何年も何年も馬鹿の一つ覚えみたいに作品を書き続けていれば、それなりに映えるものだ。
 まぁ、作品が、作家業が無くても私は何の根拠もなく空っぽの中身に自信満々だった気もするのだが、私に限っては「もしも作家でなかったら」は正直、論ずるだけ、無駄な気もするしな。
 はっきり言って作品を、物語を綴るのは大嫌いだがな・・・・・・疲れるし面倒だし、書きたくないのにアイデア、というか「書くべき事」だけは多すぎて、執筆の筆が止まってくれない。
 いい加減、嫌になる。
 少しは私を休ませろ。
 それが嫌なら金を払え。
 私の「作家業」は半ば、いや殆ど「解除不可能な呪い」みたいなもので、心臓を外したら生命が死ぬように、私個人のやる気がどれだけ無かろうが、「呼吸を止める」ことは出来ないように、辞めることは出来ない。
 忌々しい限りだ。
 本当に。
 「傑作の予感」がすれば否応無く筆を動かしてしまうのだ。面倒くさいが、殆ど本能的に指が動くので、抵抗は無意味だ。
 何とかならないものか。
 それを消したら、私は「私」で無くなるのだろうが。上手い具合に「執筆衝動」だけを抑え、快適な生活を送りたいモノだ。
 言っていて空しくなるが。
 不可能な噺だ。
 それが出来れば苦労はしない。
 それが出来れば・・・・・・私は作家をやっていまい・・・・・・背負った「業」とは、結局の所「外れない呪い」と同義と言うことか。
 忌々しい噺だ。
 忌々しい・・・・・・「業」だ。
 私はそもそも噺を読んで欲しいから書いているわけでもないしな・・・・・・読まれるだけ読まれて、金を払われないのであれば、泥棒にあったのと変わるまい。
 そんなのは御免だ。
 そんな読者ばかりの気もするが。
 「綺麗事」は必要ない・・・・・・幸福になれるかではない、ただの「勝敗」であれば、「一方より何も持たない人間」こそが、飢えと渇望で勝利を収める。私は勝利そのものに興味はないが、「分かり合うことが幸せ」などという、「私には適応されない、豊かな人間のルール」が心底気に食わないというだけだ。
 金だ。
 必要なのは、いつだって、金。
 綺麗事が私を救ったことは、 無いのだから。 綺麗なだけの言葉など、ただの飾りだ。
 私は実利を求める人間なので、そんな役に立たない戯れ言は必要ない。必要なのは現実に理不尽を、時には邪魔者を「排除」できる「力」だ。
 綺麗事はそれから考えればいい。
 今は必要ない。
 余裕ができて、初めて考えることだ。
 私の腹が満たされることなど無いことは、私自身が誰よりも自覚している。それでいい。構わない。満たされないなら食べ続けるだけだ。
 空っぽの中身で堂々と。
 面白いモノを求めて。
 それでいい。
 その方が・・・・・・面白い。
 こんな風にあれこれ手を尽くして「目的を果たそうとする」試みそのものが、「成るようにしか成らない」というこの世界にある「流れ」のようなものの存在を考えると、何とも無駄な気もするのだが・・・・・・私の場合、その「流れ」の中にいるのかどうか、疑問だしな。
 やれることをやるだけだ。
 いつだって。
 その結果屍の山がついうっかり築かれるかもしれないが、まぁ結果的に金になれば問題ない。少なくとも、私にとっては。
 作品のネタと金、得られる実利以外はどうでもいい・・・・・・気にするつもりすらない。
 他はどうでも良い噺だ。
 誰でも同じ事だ。上品ぶって気にしているフリをしているだけで、誰かのことを思い、心を痛める人間など、初めから存在しない。それこそ物語の中の世界にしか、「心優しい人間」など、いるはずもない。
 自身の利益を考えつつも、「良い人間」でいたいがために、誰かを傷つけたところで見ないフリをし、自己弁護する。
 それが人間だ。
 いや、この場合そういう人間が増えてきたと考えるべきなのか・・・・・・人間は千差万別のはずだがどうも、科学が発展し前述した「余裕」のある人間という奴は、かなりの度合いで画一的になりつつあるのだ。
 型にはまると言うべきか。
 数が多くなれば役割が増えるのも当然だが、考えずに動く「働き蟻型」の人間に、本来そうでない役割にまでも、影響されつつある。
 その方が楽だからだろう。
 それを人間と呼ぶのかは謎でしかないが、少なくともそんな人間が「進歩」や「進化」をするとは思えない。案外、人間は殺し合いによる絶滅ではなく、緩やかに思考能力を失って、退化し続けた果てに土に返るのかもしれない。
 なんてな。
 人間の「精神の成長」に「物語」が、仮に必要だとして・・・・・・「精神の成長」に「限界」はあるのだろうか?
 成長しようともしない人間も数多くいる。先述したその他大勢などがそうだが、私はこれを種族を維持するために必要な「機能」だと捉えている・・・・・・全人類が作家みたいに成ってしまえば、それはそれで問題だろう。
 役割がある、ただそれだけのことだ。
 だが、その役割も侵されつつある・・・・・・こんな時代だからこそ、私は「人間の精神の限界」を描きたいのだが、もし人間の精神が成長するなら、その先に限界なんてあるのか?
 成長すれば良いという噺でもないが、恐らくは際限なく自身の精神を成長させてしまった人間こそが「狂人」と呼ばれるのだろう。そして、そういう人間こそ、物語においても魅力を持ち、人を惹きつける「何か」がある。
 それを書くのが私の仕事だ。
 だから、考えねばならない。常に、だ。魅力のない登場人物が何をしようが誰も興味を持ちはしないが、魅力ある人物であれば、例え卵料理を作るだけでも絵になるものだ。
 思うに、自分自身に自覚的であることが条件なのではないのかと、私は思う。悪人か善人かではない。むしろ、悪であろうが己の目的のために邁進し続ける人間にこそ、輝きがある。
 強力な個性になる。
 読者共は羽虫のようにその光に惹きつけられる・・・・・・当然だ。「ああなりたい」あるいは「あんな人間がいれば面白い」それこそが物語を読む理由だろうからな。そして、強力な「悪」は、「結果」を強く追い求めるものだ。
 だが、物語に「過程」を重んじる、綺麗事を口から垂れ流す「主人公」という奴らは、大抵が結果そのものよりも、そこに至るまでの過程、人間の意志を尊重しようとする。
 吐き気がする。
 綺麗事に殉じて、綺麗に死んでいきたいのだろうか? と嫌悪する。何故、結果のために手を尽くす「悪」が負けなければならないのかと、私は物語を読む度に思うものだ。
 悪こそが。
 悪こそが、過程はどうあれ、本来勝てない相手に勝とうとする戦士ではないか。
 「過程」が正しければ「結果」はついて回るものだと抜かすのは簡単だが、それが事実なら誰一人としてこの世界に憤ったりしない。
 ただの綺麗事だ。
 そして、綺麗事を言うだけならば誰にでも、猿にでも、口だけなら私にでも出来る。
 思うに、自分たちが偶々裕福で持つ側にいて、それが「努力」であると信じたいが為に、自分たちが崇高で尊いものだと信じたいが為の身勝手でそういう綺麗事を押しつけるのではないだろうか・・・・・・世の理不尽を直視できないのだ。
 直視せずに、生きているのだ。
 そうじゃないか?
 でなければ「結果だけが本当じゃない」などと言えるはずがない。言えるものか。「結果」が伴わなければ意味がない。「良くやったな」と負け犬同士で慰め合うために、勝利を目指す奴なんてどこにもいない。
 上から目線の綺麗事だ。
 余裕があるからそんな戯れ言が言える。
 持つ側からしか、出ない台詞だ。
 そして「作家」という生き物は、それらとは逆で「持たざる人間」の究極でこそ、説得力のある台詞を書けるのだというのだから、何とも皮肉だ・・・・・・いや、そもそもがフィクションなのだから無論、知らなくても書ける。
 だが、不思議と理不尽に屈したことの無い奴が書く物語は、説得力がないものだ。
 私は別に物語に説得力を持たせたいわけでも無いので、本当にいらない手間でしかないが・・・・・・私は自分の作品を誉められたいと思ったことなど一度もない。傑作だと言う自負は当然あり、それを自認してはいるが、良く知りもしない誰かに、喜んでほしくて書くわけではない。
 あくまで金と充実の為だ。
 そんな私が、誰よりも「本物」の物語を書く素質があるというのは、皮肉としか言いようがない・・・・・・嬉しくもない。
 結局の所自己満足でしかないのだ。そして金にならなければ噺にならない。
 金は前提だ。
 金があり、その上で「過程」だとかそういう眠たくなるような「些末な」外堀を埋めていけばいい。やりがいや生き甲斐も、自己満足でしかないのだから、結局は自分に納得できるか、当人の心の問題でしかないのだ。
 そして私にはその心すらない。
 幾らでも自己満足できる。
 だから、本物なんて必要すらない。
 あるに越したことはないが、それだけあっても宝の持ち腐れも良いところだ。ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活、を豊かさとともに教授したいと願っている私からすれば、金がなければ前提から崩壊してしまう。
 金があれば平穏は買える。
 なければ、騒音は必ず押しつけられる。
 実際物語が書けるかどうかなど、それに比べれば大したことはない。私はちやほやされたくて書いているわけではないのだ。金の為だ。
 とはいえ・・・・・・「仮に」だが、もし、理由は何でも良い。ある程度「大金」と言える金を手にしたとして、まぁ宝くじだとか(あれは当たらないように出来ているので、あれこれ考えることを楽しむ娯楽だが)とにかく、「結果」のみを先んじて、手にしたとしたら?
 その時私はどうするのか。
 決まっている。まず本をその金で売りに出し、本を売るための宣伝をし、必要とあらば人を雇用して、有能な人間を金の力でこき使ってでも、私は私の「自己満足」人生の充実のため、いや変えられない「生き方」の為に、その金を使うだろう・・・・・・堂々巡りな気がしないでもない。 
 ともすればいつぞやの女に言われた台詞、何をどう足掻こうか、金を持とうが持つまいが、結果として行う行いは同じになる。という仮説が現実味を帯びてきて嫌な噺だ。無論、こんなものはただの例えであって、何の意味もない思考錯誤、言葉遊びのようなものだが。
 物語と同じく。
 意味のない「仮説」だ。
 仮の、噺だ。
 それとも、案外変えられるのか?
 「生き方」は変えられるのか?
 辞めることが、出来るのか?
 この物語はそれを知るための噺だ。だからこそ私は今回の物語に興味が沸いた。興味が沸いて、そしてそれを行動に移したとき、物語は生まれるからな。
 まぁ・・・・・・こんな風に「何かを求めること」で「幸福」に成ろうとしている時点で、歪んでいるのだろう。構わない。私はある意味「幸福」を求めてすらいないのだから。
 居場所など無くても構わない。世界の全てに、憎まれ恨まれ嫌われたところで、むしろ私には望むところでしかない。金、金、金だ。先立つモノを手に出来なければ進退窮まるだけだ。
 私は私が満足できればそれでいい。
 自己満足で構わない。
 本当の幸せは他にあるんだ、なんて押しつけられるのは御免だ。私の幸福は私が決める。幸福かどうかはともかく、金があれば満足できることは確かだ。
 欲望、というモノを本質的に持てない以上、その満足すら「人間のフリ」というか、借り物の、偽物の自己満足でしかないのだが、構うまい。
 面白ければ。
 それでいい。
 金がある方が、面白い。
 少なくとも不愉快には成らなくて済む。
 何一つ手に出来ない人間だというならば、当然の権利として不愉快なストレスくらいは排除したいだけだ。ストレスのない生活を生きるなど、人間の人生とは呼ばないのだろうが、元々非人間として生きてきた私に、今更「人間らしくあれ」など、鬱陶しいだけだ。
 愛も友情も勝利すら必要ない。「実利」とそれを活かせる環境下で、生きたいように生きられればそれでいい。
 自分で言うのもなんだが、私は非人間だ。
 だから、真実望むものなど無い。金があれば鬱陶しいストレスを回避しやすい、というだけだ。 あの女は私に「愛」だとか「人間らしい幸福」を進めたかったようだが、大きなお世話だ。例えあの女の正体が怪物だったとしても、怪物ごときでは私の考えはわかるまい。
 むしろ、怪物の方が人間らしくはある。何せ人間に混じれなくて悩んだり、人間を愛そうとしたり、あるいは憎んだり出来るのだからな。自分の存在が異端であることに耐えられない、というのは、私から言わせれば「正常な証」だ。
 私は何の罪悪感も、劣等感も、羨ましいという感情さえも、全く、抱くことは無かった。
 本来ならば「人間らしく」自分が外れた存在であることに悩んだり悲しんだりするのだろうが、私は生来「悲しむ」だとか「喜ぶ」ということ、それそのものが「不可能」なのだ。心がないことに憤りたくても、その「心」そのものが無い私には、悲しみようがない。
 悲しみたくても悲しみが感じ取れない。
 理解は出来ても共感できない。
 我ながら因果な人生だ。
 まぁ、私個人は自身が非人間だろうが化け物だろうが何でも良かったが、唯一「不満」と呼べるモノがあるとすれば、やはり「持たざる人間」は「それに応じた何かを持つ」という世の中の理からさえも、外れていたことだろう。
 被害者ぶるつもりはないのだが、少なくとも世の人間共の基準では、私のような人間には物語でもそうだが、体に障害がある代わりに金を持っていたり、悲劇にまみれている代わりに才能豊かだったり、何というか、「バランス」を取るために何かしら持つものではないのか、という点だ。
 まさか何一つ、強さによる弱さも弱さによる強さも持たず、生まれてくるとは計算外だ。元々計算などしてはいないが、何というか、配られたカードで戦う人生で配られたカードは白紙だった、というような気分だ。
 現実問題勝つために、そのままではどう足掻いても勝てない。それを覆すためにも「金」という「わかりやすい力」は必要だったのだが、しかしそれさえも上手く行かないものだ。
 全くもって嫌になってくるが。
 そういう意味では割に合わないから文句を付けているクレーマーか。まぁそのクレームが聞き届けられることはないので、何かしら勝つために方策を練らなければならないのだが・・・・・・それも、もう、飽きてきた。
 何をどう足掻いても、私が「勝つ」ことは出来なかったからな・・・・・・無駄な取り組みは嫌いだ。疲れるだけだからな。
 どうにもならない、運命。
 もし私がそういう運命のレールを走っているとすれば、どうしろというのか。誰かの手を借りようにもその「誰か」がいれば、私はここまでいらない苦労を食いつぶしていない。
 かといって策を弄して上手く行くことなど無い・・・・・・策を弄すれば労するほど、失敗する。
 失敗、してきた。
 私は。
 ずっと。
 そうだったのだ。
 だから無駄な取り組みを省き、合理的に勝つために何とかしようと思うのだが、しかしそう考えると「何をどう足掻いても無駄」な訳なのだから「私の行動」そのものに意味なんてない。
 どう足掻いても、全てが無駄だ。
 どうしようも、無い。
 それで諦められればいいのだが、諦めた所で、結局は私が苦しい思いをするだけだ。つまり結論としては、生殺しのように「死に続ける」ことこそが、私に出来る「唯一の人生」らしい。
 全くもって笑えない。
 それが事実なら、尚更。
 嫌な噺だ。
 だからこそ「金」の噺に戻るのだが、そうもそれも上手く行きそうにない。こうなったら開き直って、都合良く「幸運」が落ちてくる位しか、やることもないな。
 出来ることはない。
 やれることもない。
 成し遂げた先が、この様とは。
 人生とは、わからないものだ。
 当然、ただの皮肉だがね。
 作家である私に出来ることなど最初から書くことだけだ。それ以外を多く求められ、活かす機会など無かったところを見ると、無駄手間臭いが。 そんな私でも反復練習を積めばとりあえず「人間の真似」は出来るように成るというのだから、よく分からない噺だ。全く共感は出来ないが、日常生活に支障が出ない程度には「笑う」ことが出来る。無論、私には「楽しい」という感情も実際良くわからないのだが、これに関しては生活に支障が出る、というか他人に指摘されることが多かったため、仕方なく合わせる為に「修得した」といった感じだ。
 何が楽しいのか、全く共感できないが。
 練習を重ねれば、自然に行うことくらいは出来るようになった。練習を重ねるだけで気楽に出来ることと、どう足掻いても修得出来ないことがあると言うことか。
 原理はわかるが、やはり共感の出来ない噺だ。実際彼らだって本当に心の底から楽しくて笑っていたりするのだろうか? 心無い私にはよくわからないが、心があろうが無かろうが、この世界に心の底から笑えるような「面白い事」なんてあるのか?
 それこそ「物語」のような作り話、嘘八百に、現実には無い夢を見るのだろうか? そんなものは、何の価値もない偽物だと思うが。
 まぁ当人達の勝手か。
 とはいえ、問題なのは夢を見ることに金を払わない人間が多いことだ。本を読むことに対して、「ただで当たり前」という考えが非常に多い。作家と読者は利害関係はあるが、友達ではない。ただで何かをくれてやる義理など、ありはしない。 そう考える人間は殆どいないが。
 皆、己に都合の良い現実を見ようとする。迷惑な噺だ。少なくとも、夢を金に換えようとする、私のような詐欺師からは。
 終わり良ければ全て良し、とは思えないのだ。私には「過去」が無い。どれだけ調べても記録としか呼べない、どこへ行って何をしたか位しか、出てこない。
 「未来」も同様だ。私には最初から「幸福には成れない」という「未来」が決定づけられている・・・・・・不確定な未来など、尚更信じられない。
 「現在」だ。今、この瞬間に満たされなければ嘘ではないか。「いつか幸福になれるよ」なんて「嘘」は容認できない。
 あらかじめ敗北と苦痛が約束された私は、運命に打ち勝とうとしてきた。だが、運命で決められている以上、無駄だった。
 人間はいつか死ぬ。
 死に様が良ければそれで良し、と納得するつもりは更々ないが、一考の価値はあるだろう。
 自分の在り方について、考えることは。




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