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邪道作家第七巻 猫に小判、昨夏に核兵器 勝利者の世界 分割版その2

新規用一巻横書き記事

テーマ 非人間讃歌

ジャンル 近未来社会風刺ミステリ(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)

縦書きファイル(グーグルプレイブックス対応・栞機能付き)全巻及びまとめ記事(推奨)

  1

 綺麗事は言わない。
 何をやろうが、無駄なのだ。
 それでも人生は続くのだ。だから考えることを辞めるわけにも行かない。だから私は宇宙船の中で、ソファに座りながら考えていた。
 いい加減人間の真似をするのも飽きてきた。
 笑ったり泣いたり、喜んだり慈しんだり、その「真似事」はかなり上手くなったが、そもそもが必要に応じて身につけた処世術であり、元々私は人間という生き物に混じれない奴なのだ。
 理解は出来ても共感できない。
 寿命を延ばしたところで、あるいは金を稼いだところで、元々私のような例外が幸福になれるほど、この世界は優しくはない。優しくなくても結構だが、無い椅子には座れない。
 どう足掻いたところで、私は生きていても死んでいても「結果」同じだ。何一つ手には掴めず、ただ苦しむだけだ。
 心が無くても苦痛はある。それに見合う対価もないのに、耐えたところで苦しいだけだ。だが、私の意志は関係なく、物語は進む。
 いったい私にどうしろというのか。
 私の意志が関係ないなら、私とは関係ない場所でやってほしいものだ・・・・・・ただ平穏で充実した生活を送りたいだけなのだが、現実問題「幸福」には「権利」があり、権利を持たない人間は、決して幸福を掴めない。
 何をやっても、時間の無駄だ。
 どう足掻いても、勝てない。
「怖い顔しているな、先生」
「私はいつも、こういう顔だ」
「何にも悩まない、いやどんな事があろうと、精神的に折れたりしない、いや出来ない代わりに、人並みのモノが掴めない。だが先生は本来人間が負うべき「罪悪感」や「良心の呵責」というモノから解放されているんだ。贅沢言うなよ」
「言うさ。私は欲張りだからな」
「は、確かに」
「そもそもが、罪悪感のない人間など、幾らでもいるではないか・・・・・・お前の主張は、いささか以上に無理のある噺だ」
「そうでもないぜ。悪人であろうと、いや悪人だからこそ「人間関係」に悩んだりするモノさ。そう言う意味では、先生には「同類」と数えられる人間がどこにもいない。自分以外の何にも共感する事が出来ないから、自分以外の何かで悩むことは永遠にないだろう」
 それが良いのかは知らないがね、と無責任で適当なことを言うのだった。違法人工知能に責任を持つ義務はないので、当たり前の気もするが。
「下らん。それもやはり、該当する人間はいるだろうさ。私は特別ではない。私のような人間など幾らでもいる」
 はずだ。
 多分な。
 いなくても知らん。
「だが、狂ってはいる。そして狂人に理解者はあり得ない。真の意味で孤独だからこそ、先生は求めてもいない金を求めている」
「求めていないことはない」
「本当に? だとしても・・・・・・「やりがい」だとか「充実」だとか、全て「人間の物真似」でしかないじゃないか。先生に幸せなんて望めるはずがない。望む心がないんだから、当然だろう」
「だとしても平穏は望むさ。そしてその為に金は必要だ。それに対してあれこれ貴様に言われる筋合いは、ない」
「確かにな」
「人間はある程度「洗脳」されることで生きることを楽にする。それは「学歴」であり、「収入」であり、「美貌」であり、「基準」だ。それら社会にとって都合の良い「基準」を「常識」とすることで思考を放棄し、楽が出来る」
「だがよ先生。現実問題金なんて戦争が起こればただの紙切れだし、安定した生活なんて夢物語も良いところだ。世界は安定していないからな。だが不思議なのは先生がそれを自覚した上で「金こそが正義」だと掲げているところだな。実際、金なんてただの数値だろう? 銀行が持つわけであって、どれだけあろうが口座を封鎖されてしまえば消えてなくなる代物だ。それを知っていて、何故先生は金を求めるんだ?」
「面白いからだ」
「それは嘘だな。面白いかどうか、それは金の有る無しじゃ計れないものだ。金を持っている人間が、人生を謳歌している姿なんてむしろ少ないだろう。・・・・・・クリアし終わったゲームみたいなものさ。冷めるのは一瞬だ」
「だろうな」
「だからどうして、それで求めようとするんだ」「姿勢、としては面白いだろう? それに、実際大金で何かをしたことは無いのでわからないが、あるに越したことはない。戦争が起こったら起こったらで、そのときは別の目標を掲げつつ、金儲けに邁進するさ」
 金そのものはともかく、金儲けをあれこれ画策するのは面白いものだ。
 本当にな。
「トラブルを招くだけさ。ロクなことは無い。保証するぜ」
「何故だ?」
「わかっているのに聞くなよな・・・・・・貧乏人が襲われて殺されることは非常に稀だが、金を持つということは、分を越えた力を持つということだ。そしてそれは狙われる理由としては十分さ。少なくとも人を殺してでも金が欲しい奴は多いぜ」
「ならほどほどで求めるまでだ」
「変わらねぇな。普通、そこまでブレずにいることは難しいもんだが・・・・・・ある意味才能だよ」
 嬉しくもないが、才能かどうかは怪しいものだ・・・・・・少なくとも金になるから「才能」と呼ぶわけであって、誰でもそうだが息を吸って吐くことを競わないように、金にならない何かをもてはやすことはない。
「それに、仮にそうだったとしても、私が金と栄光を手にしては成らない理由にはなるまい。ただの言い訳でしかない。金が力なのは「事実」だ」 言って、私は笑う・・・・・・笑うと言っても私には「喜ぶ」ことは出来ない。だが、「狂う」ことはしている。狂喜、と言ったところか。
 狂っているが故の喜び。
 まさにそんな感じだ。
 狂人にしか理解できないし共感できない思い、というものも、またあるのかもしれない。
 少なくとも、作家たらんが為に、一ヶ月分の食事代を、本の代金につぎ込む奴は、そうそういないだろう。確か、ロリコン作家の作品で、やたらと値段が高かったのを覚えている。読者から搾取するという姿勢は買う身分では苛立ったが、内容はかなり面白かったのでまとめて買ったのだ。
 上から読んでも下から読んでも同じという、作者名は正直頂けなかったが・・・・・・中年のギャグセンスだ。面白くない。
 まぁ売れれば何でもいいのだろうが。
 自作自演のテロ行為で、保険金をかけたビルを吹っ飛ばして戦争を始める馬鹿な国もあるくらいだ。金の為なら、人間性は簡単に捨てられる。
 作家でも国家でも、節操がないのは同じだ。
名誉や己の才能に溺れてしまえば末路となるのは「未知」による破滅だが、幾ら実力があろうが、己の道に「結果」が伴わないのはいい気分ではない・・・・・・求めるのは「勝利」だ。
 栄光も金も、付随しているだけだ。
「いいか、ジャック。私はな・・・・・・「過程」に尊さを求める人間が、大嫌いだ。物事を評価するのは「結果」だ。つまり「金」だ。それを誤魔化そうとする奴は、汚らしい綺麗事を生涯吐き続ける・・・・・・「勝利より大切なモノがある」とか言ってな。「人間の意志」の美しさがあろうが、敗北してから立ち上がりそこにドラマがあろうが、折れない意志の強さがあろうが、関係ない。「結果」だけが「事実」だ。どれだけ言い訳をしたところで、その事実からは逃れられない。勝つことこそが正しく、力こそが絶対だ。金は全てに優先する・・・・・・私は「事実」から逃げる気はないし、誤魔化したりするのが嫌いなだけだ。誰に何を言われようが、曲げるつもりは生涯あり得ない」
 例え相手が神であろうが。
 優れたアンドロイドであろうが。
 人工知能であろうが。
 それ以上の何かだろうが。
 どれだけのその他大勢だろうが、だ。
 私の道は私が決める。
 必ず。
「夢を叶えることは美しくも何ともない。作家や漫画家に憧れる奴は幾らでもいるが、それになるだけなら誰でも出来る。漫画を書いていれば漫画家で、小説を書いていれば作家だ。問題はそれを金に換えられるかどうか、だ。金に換えられなければ、何もしていないのと変わらない」
「そんなもんかね。夢のない噺だ」
「下らん。夢なんてどこにもない。何であろうが「金にならなければ」成功者と呼ばれることは、決してないのだ。金、金、金だ。業界の常識を決めて己に有利なルールで他者を支配することも、夢を叶えることも、好きなことをすることさえ、金がなければ成り立ちはしないのだ」
「クリエイターに俺たち読者、観客は夢を見るもんだが、その最前線にいる先生みたいな人種が、誰よりも金の有る無しに縛られているというのは・・・・・・所詮夢や希望は嘘っぱちか」
「そうだ。物語に夢なんて無い。あるのはただ売れることを望む作者の我欲だけだ。あるいはそれは、編集部の傲慢なやり方による売上げの操作であったり、「名作か否か」はそういう「持つ側」の金を求める我欲で決まるのだ」
 所詮嘘八百でしかない。物語に力などないし、売れなければ誰も読みはしない。
 金だけが全てだ。
 金以外に大切なモノは何もない。
 金だけが、正しい。
 私の人生は「失敗」と「敗北」の連続だった。そして「成功」や「勝利」をついぞ得た試しがない・・・・・・そんな人生を送ったからこそ分かる。
 綺麗事だ。
 そんなものは。
 努力したとか信念があるとか、意志こそが尊いなど、言い訳だ。ならば何故「結果」が伴わないのだ。実際には、下らないゴミでも、上手く人を騙してでも、金を稼げばそれが正しい。
 事実、だ。
 私は事実だけを見ている。
 いつだって。
 逆に、「天才」だとか「挫折を知らない」人間というのは、希望「のみ」を見ている。だから途中脱落する奴が多いのだが、しかし凡夫でも、己にとって都合の良い未来を夢想し、転落する奴も多い。
 才能や豊かさ、あるいは幸運というのは、楽に人生を送れる代わりに「敗北したその先」に繋がることは決してない。そも、敗北というのは、誰でも最初は二度と立ち直れないのではと倒れ込むものであり、そうでなくては挫折とは言うまい。 その挫折が早ければ、そして多く経験していれば、慣れているが故に大した感傷も抱かず「次」へ活かすことを考える。逆に順風満帆で知らなければ、その挫折を永遠の傷にするのだ。とはいえ・・・・・・個人的な意見を言えば、挫折すればいいというものでもない。
 私のようにひねくれた「作家」が出来るだけだ・・・・・・挫折と敗北と苦痛と苦渋と執念と憎悪、そういう「悪の根元」こそが良い作品を作る。そういう意味では私の人生は「作家としては」恵まれているのだが、私は作家としてちやほやされたいわけでもなく、金が欲しいだけの人間だ。
 正直、迷惑な噺だ。
 楽な方がいい。
 人間的成長などいらない。
 そんな私が、人間の成長を促進する為だけにあるかのような「物語」というモノを書くのに、誰よりも適しているのだから、何というか、皮肉なものだ。
 他にもっと欲しがる奴はいただろうに・・・・・・世の中そんなものかもしれない。欲しくもないと思っている奴こそが、その道での「天分」を得る。無論私は作家としての天分など、邪魔なだけで欲しくもないのだが・・・・・・欲しい奴はいだろう。
 そして、そういう奴に限って、私の欲しがる金と平穏、そして人間的に満たされた生活を送っていたりするのだから、皮肉そのものだ。
 恐らく、いやほぼ間違いなく、「作家に成りたい」などと思う馬鹿は「非日常」に憧れを抱いているのだろう。だが考えても見ろ、非日常であるということは、日常の旨味を余すところ無く失うということだ。
 非日常を得ている奴で、喜んでいる奴など、私は見たことがない。
 そんな人間はいないだろう。
 大抵が破綻者か、狂人だ。
 面白くもない。
「ジャック。お前は物語の主人公のように、特殊な力で成り上がりたいと、思うか?」
「へぇ、主人公になら、大抵の奴は成りたいんじゃないのか? 物語の花形だろう」
「私は成りたくもない。大きな力と大きな責任など、眺める分にはいいが、実際背負えば重いだけだ・・・・・・英雄に人間は憧れるが、それは憧れるだけで、実際その役割を背負うとなれば、たまったもんじゃないだろう」
「選ばれた主人公、その「特別さ」って奴がそそるんだろうさ。凡人は皆そういうもんだろ」
「下らん。特別かどうかなど、己の主観でそう思いこんでいるだけだ。人間は人間だ。肩書きに惑わされているだけだ。何になるかは問題じゃない・・・・・・それで実利を得られるかが問題だ」
「先生が主人公じゃ、ヒロインは救えなさそうだな」
「救われることを前提とした女など、救うに値しない。見殺しにすればいいさ」
 主人公の仕事が誰かを助けることだとして、仕事ならば「好き放題やって金になる」ものだ。逆に誰かの都合や世間体で始めたことは、「やりたくもない上に面倒くさい」労働となる。仕事などというのは、それが形になれば成る程、他者からはそれの何が素晴らしいのか分からないものだ。適当にやって金にならなければ仕事じゃない。仕事とは、結局の所当人の自己満足で、如何に有意義に人生を遊べるか、である。
 生き甲斐ややりがいがあってしかるべきなのだ・・・・・・当人の生きたいように生きて、やりたいようにやれなければ、人の都合で動く労働だ。仕事に「立派さ」を求めるなど馬鹿の所行だ。誰だって仕事というのは、本人だけが人生を賭けていて周りからすれば遊びだからだ。
 だから私はそれでいい。
 作家業に囚われるつもりは、一切無い。
 私の為に、作家業があるのだ。
 当然のことだ。
 「この世の真実」程、役に立たないモノはない・・・・・・真実とは、力を持たないからこそ真実と呼ばれるのだ。従って「作家であること」に、自己満足するのは良いが、それによって何かを得られるだなんて自惚れてはいない。真実を貫き通した後には何もない。信念があろうが無かろうが、この世で力を持つのは「中身のない詭弁」なのだ。 意志を伝える、という点では「物語」ほど力を持たないモノもないだろう。それが素晴らしければ素晴らしいほど、現実の体験を元にされ、役に立たない「真実」を描いているのだから。
 物語に意味はない。
 物語に価値はない。
 物語に、力はない。
 所詮、下らない自己満足だ。
「先生は助けないのか? もし、悲劇のヒロインが現れたとして、見殺しにすることを「良し」とできるのか?」
「当然だ。誰かに助けられることを前提としている奴など、助ける価値もない。己の意志でやり遂げて、それでも届かなかったのならば、手助けくらいはしてやってもいいがな」
 無論、有料だが。
 金は貰う。
「先生は甘いんだか厳しいんだか」
「甘いさ。この世の理不尽を見過ごせる位には」 己に厳しく生きたところで、何も変わらないことを、知っている。
 無駄な行動は、すべからく無駄だ。
 精々、あの世に行ったときに、偉そうに「よくやったな」と、神だか悪魔だかに、上から目線で腹の立つ台詞を言われるだけだ。
 偉い、という奴はすべからくそうだ。口だけの奴の方が「権力」や「実利」を得て、しかもその上で「綺麗事」を口にする。だから世の中は永遠に良くならないのだ。
 悪循環というべきか。
 どうでもいいことだがな。
「生きる、ということは「恐怖や不安とどう向き合うか」でその形が変わるものだ。だが、どう向き合ったところで、「結果」が良くなるかどうかは、運不運の天秤に任される。「恐怖を克服し、生きる」ことは「尊い」かもしれない。だが尊いだけだ、現実的ではない。簡単に克服できないからこそ悩むのだ。それが出来れば苦労はない。「恐怖を打ち砕き、生きる」これは現実的だが、「力がある」ことが前提だ。出来る奴と出来ない奴がいる。「人間の意志の力とやらで、運命を覆す」これは私が試して無理だった。幾ら試しても「結果」は同じだった・・・・・・つまり、「尊い生き方」はあるかもしれないが、その生き方で生きられるかどうかは、生まれたときにその権利を得ているかどうかで、決まってしまうということだ。
「そのくせ、先生は諦められずに執念深く、同じ事を繰り返しているんだってから、恐れ入るぜ。学習能力がないんゃないのか?」
「確かにな。我ながら無駄なことをしている」
「そして、これからもそうするんだろう? 無理だよ、先生。先生はブレない人間であるが故に、自分の生き方では通じない、予め「敗北」が決まっているとしても、ほんの僅かな可能性・・・・・・・・・・・・常人なら見逃すような可能性ですら、見逃して、諦めることが出来ない」
「諦めるさ。妥協して、諦める」
「そう言い始めて何年立ったんだよ」
「もう忘れたさ」
 我ながら不愉快な身分だ。何で上手いこと諦めて妥協して、適当に生きられないのか。いや、私はそんな生き方に縛られるつもりはない。どう足掻いても無駄だというなら、諦めて適当に生きるのも、一つの手だ。
 考えておこう。
 真剣に検討しておきたい。
 金にならない作家を続けるよりは、マシだ。
 結局「無駄」だった、とそういうことか。笑えない結末だ。やるんじゃなかった。書かなければ良かった。誰が何と言おうと、私は自分の幸福を作家業で叩き潰すことが正しいとは思わない。
 絶対に。
 間違っている。
 もう嫌だ。
 吐き気がする。
 うんざりだ。
 だが、結局の所私の意志とは関係なく、この作家業は始まったものだ。少なくとも、もう私の意志とは関係なく続き、これからもそうなるのだろう・・・・・・私個人からすれば、迷惑な噺だ。
「着いたぜ」
 人工知能のかけ声に従って、私は空港を降りた・・・・・・いつもながら、先には薄暗い上に希望のない未来が、待ち受けているように感じられた。

   1

 私は・・・・・・「綺麗事」が大嫌いだ。
 「本物の意志」は「偽物の詭弁」よりも弱く、そして力を持たない。「これは厳然たる事実」。 ならば人間の意志の尊さがあるから、だからといって「結果が伴わなくてもそれ以上に素晴らしい「真実」を得られる」なんて戯れ言、そんな綺麗事には反吐が出るのだ。
 馬鹿馬鹿しい。
 綺麗事だ。
 遠回りであろうが、「意志」があろうが、そんなものは「過程の尊さ」を美化しただけだ。美しいかもしれないが、現実的ではない。
 現実には、「結果」が必要だ。
 結果がなければ、どれだけ美しい「過程」が幾らあろうが、「最初から何もしていない」のと、何一つ変わらない。
 作家も同じだ。
 売れない作品など、「白紙」であることと、結果的には「同じ」だ。そこに綺麗事を挟む余地など、どこにもない。
 「いつか巡り巡って報われる日が来る」などと、よく言えたものだ。「いつか」とは、いつのことだ?
 私は今、この瞬間に生きている。
 「いつか」などという曖昧な「嘘」や「誤魔化し」はいらない。相応しい「報い」が欲しいだけだ。
 ただのそれだけが、叶わない。
 難儀な人生だ。
 難儀な、「業」だ。
 作家というのは、どうにも手に負えない生き方のようだ・・・・・・今更後悔するつもりすらないが。「君はさ」
 白髪の女と、私はホテルのラウンジにいた。 「どういう時に、「大人になった」と思う?」
「・・・・・・自分の道を自分で決める。その決めた道を選んで歩く、ということが「大人になる」ということならば、十歳位の時には「大人」だった」 勿論、「大人であるかどうか」などに、意味はない。
「どうでもいいことだ。この世は所詮自己満足・・・・・・少なくとも社会的には、だが、「己の自己満足を押し通せる立場」に着くことこそが「立派な大人になる」と言える。要は社会的な「立派さ」に憧れているだけなのだから、そんな劣等感を持つ人間の「大人の基準」など、金で買える」
「君の基準が聞きたいんだよ」
「なら、無駄な噺だ。そんなのは「肩書き」や、「立派さ」に拘っているから考えるのであって、「大人とは何か」なんて考えている時点で、大人とは呼べないだろう」
 どうでもいいがな。
 作家とは何か、まぁ私は作家でなくても売り上げが上がればいいのだが、「作家らしさ」など人によって変わる基準について、詳しく考えることなど、ありはしない。
 だから私はこう答えた。
「どうでもいいもの、だ。F1を知らない人間がF1の名機について語られているような気分、とだけ言っておこう」
 私にとって、実利のない「見栄」など、どうなったところで構わないのだ。作家業にしたって、金さえあれば明日にでも辞めて良いくらいだ。また別の生き甲斐を探せばいい。なんなら明日から漫画家を目指しても、いや、作業量が多そうだし止めておこう。
 釣りを生き甲斐にでもすればいい噺だ。
 ラウンジと言っても、そこにいるのは金の使い方の荒い人間が多い。お上品な場所だからと言って、お上品な人間が集まるとは限らない、ということだろう。
 割と普通のカフェと、なんら変わらなかった。 これも先入観か。
 場所や肩書きなど、些細なことだ。
 偽ればいい。
 騙せばいい。
 変えればいい。
 つまりどうとでもなる「偽物」だ。そんなモノを有り難そうに求めるなど、愚かだ。求めたところで本質が変わるわけでもないしな。
「へぇ、変なの。普通人間は「ちやほや」されたいからこそ「成功」を望むものなのに」
「下らん」
 私が欲しいのは「金」であって、目立つことではない。極論、金さえあれば他はどうでもいい。 ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活を、送れれば。
「転落した有名人が「また構って欲しい」などという理由で麻薬や殺人をしたりするのは、ただ単に「劣等感」に苛まれた未熟な精神だからだ。物事は「結果」が全てだ。過程にある「ちやほや」が、金になるのか?」
「ならないけどさ」
 けど、「普通」はそれを求めるものだよ、と、しつこく「普通」という形容詞を使うアンドロイド作家だった。
 普通。
 そんなものは当人の主観だ。
「なら普通でなくていい。劣等感など私には無縁極まるものだ」
「だから、どうして? 人間は誰かと自分を見比べて生きる・・・・・・劣等感が無いというのは、どう考えても異常だと思うけれど」
「違うな。見比べて生きる、ということが、おまえ達の言う「普通」なのだと、思考を世の中に浸透させているだけだ。他者の目線が気になるというのも、本質的には変わらない。「ちやほや」されたいなどというのは「何も為し得る気が無い癖に、夢だけは一人前」の証だ。私はそんなものはいらない。結果である「金」だけが欲しい」
 そしてそれで「平穏」と「幸福」を買う。
 私なら買える。
 買えなくても叩き買う。
 無理でも押し通す。
 不可能なら可能にする。
 それが、私だ。
「おまえ達の言うところの「夢」を叶えるというのは、「たどり着きたくない」から出る言葉なのだ。実際に「目指す何か」があれば、自然それに対して「どうしたら金になるのか」を考えるものだ。才能だけの愚か者でもない限り、だが」
 そういう人間は多い。
 成功はするが、「成功した後」あるいは「勝利した後の展開」と言うべきか。栄光を掴んだその先に、何のビジョンもない奴は多い。
 金を何に使いたいのかも分からないから、ドラッグや高級車、所謂「世間一般で高級とされる」ものを買う。これでは成功したところで、世間の「常識」の奴隷だ。
「夢を叶えるのは簡単だ、極論それを金で買えばいい。宇宙飛行士になりたければステーションを建設すればいい。だが、「在り方」というのは金以前、そもそも「普通の生き方が出来ない」からこそ「普通ではたどり着かない栄光」に、人間はたどり着くのだ。作家もスポーツマンも同じだ。「憧れ」から「ちやほやされたい」などという理由で始めたことが、輝くことは決して無い。純粋にそれ以外を選べなかった人間が、しぶしぶ叶えること、それが「夢の正体」だ」
「それは自分のことを言っているのかな?」
 意地悪そうな笑みを浮かべて、フカユキはそう言った。対して私は彼女のような「持つ側」には心を閉ざすことを日課としているので、奢られたコーヒーすら一口口に含んでそのままだった。
 誰にでも親しげにする奴は信用できない。
 それがアンドロイドでもだ。
「さて、私はまだ全く、作品で稼いでいないのでな。当てはまるまい」
「ふーん」
 はぐらかされて不満なようだった。私としてはやたら売れている作家が不満を抱えたり身の不幸に悩んだりしていれば、私個人としてはかなり気分がいいのだが。
 豊かな奴は嫌いだ。
 「持つ側」にいる人間というのは、「持たざる側」を生き物だとは思っていない。自分たちだけの狭い世界で生きている。
 その上で綺麗事を押しつけるのだ、さも当然のように。自然保護を飢えた人間に訴える一方で、彼らは所詮ただの自己満足の癖に、「皆の為」だとか「世界の為」だとかほざくのだ。
 お前達は私のことを人間だとは思っていない。 言ったところで、無意味だが。実体がどうであるかよりも、聞こえがよいかどうかで、人間の思いが届くかどうかは決まる。
 人間の意志の力などそんなものだ。
 たまたま「持っているか」で決まってしまう。 意志があれば「いつか」はたどり着くかもしれない。だが、私は老人になってから「よくやったな」と誉められたいわけではない。
 誰かの評価などどうでもいい。
 金になるかどうかだ。
 その他大勢に偉そうに評価の札を付けられ、屈辱を味わいながら生きたいわけでは断じてない。 それでは意味がないからだ。
 私は人の評価や意見に左右されるほど「人間」をやっていないが、しかし、それはゴミが散らかっていても歩けるが、あれば目障りだという事実が変わるわけでもない。
 だから目障りだった。
 「持つ側」の女の姿は。
 私のように相反するモノを求める人間からすれば、尚更な。私が求めるのはあくまでも、金の力による「ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活」を豊かに過ごすことだ。だが、物語を書けば分かるが、「傑作」というのは「苦悩」の中からしか、決して産まれない。
 ちやほやされたいだとか、誰かに誉められたいだとか、そういう気分で書いた作品は、それ相応のモノになってしまう。
 無論例外はある。幸せそうな顔をしながら「世紀の傑作」を書く人間だっている。だがきっと、そういう人間でも「普通考えないであろう苦悩」を描けているということは、それ相応の「経験」や「思想」があってこそ、成り立つのだ。
 才能などというモノで、何とかなる範囲を超えている。そういう意味では「物語」というのは、何の言い訳も出来ないほどに「当人の思想」が試されるものなのだ。
 だから、少なくとも作家は性格が破綻していたり、自殺したり、人間嫌いになる奴が多いのかもしれないが・・・・・・少なくとも「文字で物語を」となると、むしろそういう人間でこそ映えるのだから、ある意味当然か。
 漫画家は知らないが、作家は大体そうだ。
 表現方法が違うというだけで、比べること事態馬鹿馬鹿しいが、「作家」も「漫画家」もそういう例外的に「幸せそうな顔をしながら」傑作を書く人間は、どちらもかなり少ない。
「君はどうして自分を肯定できるの?」
「金がかからないからさ」
 事実そうだと思う。自分の道を信じるのに、金はかからない。元より、人間とは「己の歩いた道のりは正しい」と信じなければならないものだ。 誰に何と言われようが、己で己の道を信じなければ、開ける道も開けないからな。
 それが「生きる」ということだ。
 己の道のりを「信じて」進む。
 不確定で信じるに値せずとも、それでも人間にできることなど、精々そのくらいだ。
 やり遂げたなら、後は信じるしかない。
 信じたところで、裏切られ失敗してきた私が言うと説得力がないが、だが、それでも仕方あるまい。やることはやったのだ。
 少なくとも、そこに後悔はない。
 絶対に。
 それに、私は「人間の苦悩」すらも、既に支配下に置いている。仮に私が人並みに幸せ(想像もできないというのが素直な気持ちだが、まぁそれなりに豊かでストレスのない生活を送っても)問題なく「傑作」を書ける。
 書けるだけではなく売らなければ噺にならないがな。少なくとも「傑作」だから売れる訳ではないのだ。中身がないよりはマシだが。
 まぁどうでもいい。
 所詮読者が評論家気取りで判断するものでしかないし、金さえあれば読者の判断などどうでもいいというのが、素直な気持ちだ。
 実利を手に掴まなければな。
 私は冷めたコーヒーを遠巻きに眺め(冷めると不味くなるというのは、何だか中華料理を想起させる)目の前の女に視線を戻した。
 楽しければそれでいい、というタイプだ。有能な人間に多いが、要は世界をゲーム感覚で楽しんでいる。なまじ有能なだけに、生きることに手応えを感じられないのだ。
 楽そうで羨ましい。
 言っても仕方がないが。
 本当にな。
 現実には努力とか意志とか、そういったモノが金になることは決してない。遠回りな道のりは所詮遠回りなだけであり、それに価値は無い。どれだけ言い訳をしようが、世の中は「クズの方が儲かる」ように出来ていて、真実を貫いたところでそれが報われることなど無いのだ。これはただの事実であり、今更確認するまでもない、生きていれば誰にでも分かることでしかない。
 信念が金になることはない。
 そして、金のみが、価値あるモノだ。
 金を得られるのは偶々「幸運」であるか、あるいは「人を上手く騙すか殺す」かすればいい。世界は誰かを殺すことで、簡単に金が手に入るように出来ている。無論、「権利を持つ人間」でしか奪うことは出来ないのだが。
 「幸福」なんていうのは結局の所誰が成れるかは「予め決まって」おり、目指すこと事態が間違いなのだ。私のように選ばれなかった人間は、必死に自分を誤魔化して「コツコツト頑張っていれば幸せになれる」と、そういうこと、にして諦めて妥協して生きるか、あるいは適当に死ぬしかない。
 だから私は言った。
「自分を肯定できるかどうかに、価値は無い。偶々でも偶然でも「持つ側」にいるのかどうか?
 生きる上で大切なのはそれだけだ」
「君みたいに違ったらどうするの?」
「どうもできない。生きているだけ「無駄」だ。それでも「充実」したいのなら、私のように「何かを生き甲斐にするくらいのものだ」
「どうして君は、諦めきれなかったの?」
 どうしてだろう。
 世の中に期待しすぎただけかもしれない。
 ただの、それだけか。
「世界を過大評価していただけだ」
「している、でしょ? 今もそうだもの」
「見当外れだったがな。以外とシンプルに出来ていたようだ」
 何をどう足掻いても、無駄なモノは無駄。
 生きているだけ無駄でした。
 それでも、もう引き返せないというのだから、私ほど世の中から「へた」を押しつけられた人間は、そうそう居ないだろうと思った。
 へたを押しつけられたところで、それが何か、因果応報の法則で、私に良い事を運んでくることは決してないが。世の中に因果応報など有りはしない。そんなことができれば世の中に言い訳臭い言葉は蔓延しない。
 努力が足りないだとか。
 まだ報われるべき時ではないのだとか。
 その経験あってこそだとか。
 全てただの言い訳だ。
 世の中に言い訳する人間は多くいるが、世の中から言い訳をされるのはたまったもんじゃない。 聞き苦しい。
 いいからさっさと金を払え。
 金を払えない奴に、道徳を説く権利など有りはしない。金を払えない世の中に、世間的な正しさなど説かれても耳障りなだけだ。
 実際、良く口が回るものだ。そもそも「信念を持って行動している」人間はたくさんいる。だがそういう人間が報われないからこそ「理不尽」だと評されるのに、そこに何か「理由がある」みたいな言い訳は聞き苦しいにも程がある。
 お前等が無能なだけだ。
 無能を、行動している人間に押しつけるな。
 無能なカスが、まともな対価も払わないだけ。 ただの、それだけだ。
「作品なんて書くべきではなかった。書いたところで金にならなければ、何もしていないのも同然だしな」
「そう思う?」
「そうだ。どこに疑問がある」
「けど、人間は「実利」だけでも満足できないものだと思うよ? 繋がりとか名声とか、そういうモノ「も」なくては生きていけない」
「それは一般人の話だろう。私には関係ない」
「それもそうだね」
 金すらもまともに払われない世界で、いやそもそもがそういう「金以外の幸せ」などという嘘臭いものでさえ、私は手にしたことなど無い。
 それこそ言い訳臭いだけだ。
 こんなやりとり、それこそ無駄か。
 「真実に向かう」のは簡単だ。向かうだけなら誰でも出来る。問題は「到達するか否か」だ。
 所詮目的に向かっていることが崇高であるなどと言うのは綺麗事でしかない。「余裕のある」人間の言葉でしかないのだ。向かっているからと言っていつか到達することなど無い。向かうだけなら猿でも出来るし、何より死ぬ寸前に到達できてうれしがる人間など、いない。
 今、この瞬間に報われなければ価値は無い。
 向かい続けたところで到達できていない私からすれば、無駄な奴は向かうだけ無駄だ。
 最初から選ばれている。
 真実を手にして「良い」人間とそうでない人間は「厳然たる事実」として確かに有る。選ばれていなければ何をしても無駄なだけだ。
 無駄は無駄。
 勝てない人間は意志の強さに関係なく、無駄。 だから嫌いなのだ、綺麗事は。まるで頑張れば良いことがあるかのような戯れ言に、つきあわされる側からすれば迷惑極まりない。
 運が悪ければそれも無駄だ。
 何の意味もない。
「けどさ、君の物語は間違いなく誰かの心を動かしていると思うよ」
「だから、何だ? それに何の意味がある。私の貯蓄は殖えるのか?」
「増えないけどさ」
「なら」
「でも、全てに「結果」を求めるなんて盗作しているにも程があるよ。元々どうなるか分からないからこそ「結果」と呼ぶはずだけど」
「今まで散々わかりきった結果しか」
「だからさ」
 そう言って噺を区切り、紅茶を飲んでから、彼女は言った。
「これからもそうとは限らないでしょ?」
「限る」
「どうして、それこそ未来が見えるわけでも無い癖に」
「どうもこうもあるか、馬鹿馬鹿しい。お前は今まで散々金も払えなかった無能共に、札束が出せると思うのか?」
「そういう噺かな」
「そういう噺だ。何かに対して金を返す。その当たり前のことが出来ない世界に、金を払うことなど出来はしない」
 正当な評価などむしろ珍しいこの世界では、ただ理不尽にも運不運で金の多寡は計られる。そして「運不運」で動いているモノは、それが個人であろうが世界であろうが、信じるに値しない。
 軸となるルールがないからだ。
 いくらでも、ちゃぶ台を返せるではないか。
 実際、返されてきた私からすれば、何を言っているのかわからない。
 
 言い訳のつもりなのか?
 
 気持ち悪いとしか思わないし、生理的嫌悪感しか抱かないが・・・・・・汚いモノは汚い。世界を信じる、未来を信じる、だなんて、私には汚物を信じて舐める趣味はない。
 もう少し自覚しろ。
 おまえ達は、汚らしい。
 汚い。
 反吐がもったいない位に。
 醜くて、汚い。
 その上金も払えない癖に「信じて欲しい」なんて図々しいにも程がある。世の中には馬鹿しかいないのか?
 いないのかもしれない。
 ただの「事実」を見ることの出来ない無能しかいないこの世界で、マトモな人間は驚くほど少ないからな。夢の世界で大暴れ。それで生活が出来る「ただの幸運な奴」というのは有る意味、何を成し遂げたわけでも無い部分を鑑みるに、宝くじに当たっているようなモノなのだから、羨ましい限りだ。
 人生楽で羨ましい。
 何も考えない豚というのは。
 楽で。
 暇で。
 何か有ればヒステリーを起こし、文句をぶつけて金や地位でモノを言わせればいい。
 羨ましい。私も楽をしたかった。
「豊かになりすぎると逆に「刺激」を求めて転落するものだけどね」
「何だそれは? だからと言って豊かになるべきモノが成らない理由にはならない。そんな言い訳はどうでもいい」
「豊かになるべきモノ、か。傲慢だね」
 両手を組んでその上に顎を乗せ、にやにやと笑いながら彼女は言った。
「当然だ。やるべき事をやり遂げたなら、誰でもそうだ。当たり前のことだ」
「けどさ、「生きている実感」は間違いなく、豊かで満たされている「持つ側」には無いよ。満たされているが故の弊害と言うべきかな。天才なんかにもよく見られるけど、「何でも出来すぎて」達成感と無縁になり、結果スリル・・・・・・ドラッグだったりにハマって、廃人になる奴だっている」 その「事実」をまずは認めるべきだよ。ストローでジュースをすすりながら、彼女は言った。
 だが。
「それが何だ? 私には関係ない人間がどうなったからと言って、私が報われなくて良い理由にはならない。「理不尽」に対するただの言い訳だ」 馬鹿馬鹿しい。
 どうでもいいことだ。
 そんな綺麗事は。
 気高さも崇高さも人間の意志の力も執念も誇りも全て物語の中にだけある偽物だ。人間に気高さなどないし意志など何一つ変えることはなく、執念も誇りも全くの無力、だ。
 所詮綺麗事でしかない。
 どうとでも、言える戯れ言でしかないのだ。
「どうせすぐに飽きると思うけど?」
 金があることに慣れて、飽きる。
「飽きないさ。旅でもして楽しめばいい」
「旅をすることに飽きるんじゃないかな」
 あるいは、手応えでも求めるのだろうか?
 いや。
 どうでもいいことだ。
 この世は所詮自己満足。自己満足を押し通せて適当に生きられれば最高だ。
「同じ事だよ。金があるけれど「生きてる実感」だとか「生き甲斐」だとか「自分の生きている意味や価値」に拘る暇人と同じだよ。結局はお金なんてただの「嘘」だからね」
 金なんてモノは存在しない。
 どこにも。
 ただ金を信じる人間が居るだけだ。
 そして世界全ての人間が、それを信じているのだから問題有るまい。少なくとも私には。
 何の問題も生じない。
 何も。
 大体が生きている実感も何も・・・・・・私には泣きたいときも笑いたいときも、哀れみたいときも楽しみたいときもない。いや、全ての文字に「狂」を付ければあるのだが・・・・・・根底にあるのは全て「愉しみ」だしな。
 そんな私に「人間らしさ」を期待するなど、どうかしている。嘘だろうと何だろうとあって損はないからな。金、金、金だ。少なくとも人間らしさやそれに類するモノよりは、圧倒的に価値が有るものだ。
 少なくとも、私にとっては。
 価値は、ある。
「お金を信じるのは誰も信じていないからだよ」「結構。信じる価値のない有象無象よりも、金の方が価値のある本物だからな」
 私はそれで構わない。
 何の問題も生じない。
 私の世界は最高だ。
 金次第だが。
「・・・・・・確かに世の中には「価値のない偽物」が溢れているけどさ、君は現実を見すぎだよ」
「それの何がおかしい?」
 我々は現実に生きている。
 下らない倫理観や、価値観。既存のルールの中で「見知らぬ誰かの為」に生きている奴は、この現実を生きていないだけだ。 
 立派に合わせているつもりで、生きてすら。
 「人生」を歩んですらいない。
「誰かの為だとか、あるいは「正しい」と思いこんでいる価値観の押しつけだとか、現実を見てすらもいないクズには成れなかっただけだ。楽で羨ましいよ」
「その割には軽蔑している癖に」
「まぁな」
 相反するかもしれないが、まぁ事実だ。楽であることは羨ましい。だが、私は人間であって、猿でも豚でもないのでな。
 成るつもりもない。
 だから金だけ有れば自己満足には十分だ。
 自己満足でいいからひっそりと暮らしたい。
 それだけだ。
「君は欲張りなんだね」
「そうかな」
「そうだよ、だって「人間らしくなくてもいい」けれど「実利は欲しい」これって矛盾してない? 人間らしくなかったらお金にならないでしょ」「そうかな。とてもそうは思えないが・・・・・・人を人とも思わない外道の方が、結局は金を持つ」
「けど、どうせすぐ転落する。分かってる癖に」 そうだろうか。
 転落して失敗した人間が多いだけで、実際には人から奪った方が、それも「押しつけがましい善意」で奪った方が、繁栄はしている。
 要は「善意」に見えればいいのだ。
 根底にあるのが善意だと言い張れば、何をしても許されるし「結果」になる。
 例え中身が無くても。
 ただの虚構でさえ。
 現実には力を持つ。
 目の前の女は、まるで人間の女のように柔らかい笑みを浮かべ、
「君は理不尽が嫌いなだけの、ただの人間だよ」 と結論を出すのだった。
 ただの人間。
 そうなのだろうか?
 だとしても、やることは変わらないが。
 ひたすら狂ったように、続けるだけだ。
「それがどうした? 理不尽を好む人間など、世界のどこにもいない。当たり前のことだ」
「そうね。でも君は異常だよ。気づいている?」「それ位なら、よく言われる」
「いいえ、君はおかしいよ。だってこの世界全ての理不尽を変えたい、なんて聖人でも望んだりはしない。けど、君はそれを渇望している」
「当然だろう」
「ううん。人間は妥協して生きるもの。君は舵機強を一切許さない、なんて無茶な生き方をしているから、そうなる」
 大きなお世話だ。
 放っておいてほしいものだ。
「おかげで物語は書けている。問題ない」
「本当に? そんな生き方で人間が満足できるはずが、ないのだけれど」
「下らん」
 私を凡俗の基準で計るな。
 狂った人間というのは独自の判断で、己の人生を計るものだ。
 一般の基準など、スカの役にも立たん。
「私は「作家」だ。そして私の充実は「面白い物語」から得られる。金が有ればその充実した時間すらも買うことが出来る」
 人間基準の満足不満足など、必要すらない。
「君は普段「金が欲しい」って生き巻いているけど、そんな訳が無い。君みたいな非人間、本来全ての人間が生涯を賭けて欲するモノを、あっさりゴミのように捨てられる人間が、欲しいモノなんて有るはずがない。君は欲しいモノなんてないしむしろ、金の多寡によって決まる「理不尽を作ることのできる世界」に嫌悪感みたいなモノを感じ取っているのは確かだね。
 
 君は本当はお金なんて嫌いなんじゃないのかな
 最近はそう思うよ」
「違うな」
 即答できた。
 金が嫌いな訳がない。
 金があれば買えないモノも変えられないモノも無い。好き嫌い以前に、何かを求める以上前提、として必要不可欠なものだ。
 金が嫌いということは、水が嫌いで空気が嫌いと言うようなものだ。多く有れば、いや「どのような形で有って欲しいか?」を問うモノだ。
 綺麗な空気や汚い汚染水。そう区分けするもので、金そのものが嫌いになることなど、生きることから逃げるも同義でしかない。
 金は大好きだ。
 何でも買える。
「君はお金なんて好きじゃない。ただ、そうすることで「人間の真似」をしているんでしょ? 君は誰よりも人間の本質を理解しているけど、それは同時に誰よりも人間の在り方から離れているという事でもある」
「いいや。私は金が大好きだし、金で買えるこの世界は大好きだ」
「そう言っていないと自分を確立できない、いえ自分は誰よりも確立しているけれど、肝心要の心がないから、「それ」を「望む」ことができないんだね」
「そうでもない」
 勝手に被害者にされてたまるか。
 同情を金に換えるのは望むところだが、勝手に「哀れな奴」認定されるのは鬱陶しい。
「仮にそうだったとして、私には引け目も負い目も一切無い。むしろ望むところでしかない」
 面白いではないか。人間性を一切持つことが出来ない「業」そして「金の力」で「人間性」をあざ笑いながら圧倒し、生きる。
 面白い。
 それで十分だ。
 少なくとも、私には。
 楽しくて楽しくて仕方がない。
 世界は、最高に面白い。
 無論、金次第だが。
 運命などどうでもいい。オプションでしかないのだ。些細なものだ。非業の運命だろうが悲哀の運命だろうが、「金の力」で自己満足できれば、それは上々の人生だ。
 面白くて仕方がない。
「人間性があるか、ないか。実に些細なことだ。私は私個人が満足できて、適当に楽しめればそれでいい。面白い噺を読んで楽しめて、金の力で世を満喫し、目的意識で充実を図る。最高だ。これ以上望むものなど有りはしない」
「本当にそれでいいの? 君は人間の温もり、人間の温かさ、人間同士の繋がりが」
「いや、全く」
 虚勢でも何でもなく、やはり「いらない」としか答えようが無い。誰もがそれを望むと思うんじゃない。私には必要ないし、何なら物語の中にでも組み込めば良いだけだ。
 私はそれで満足できる人間なのだ。
「・・・・・・そう。けど覚悟してね。金があったところで、はっきり言って世界は何も変わらないよ? 今までと同じように、回り続けるだけ」
「構わない。何の問題がある?」
「生きてる実感、て言えばいいのかな。困難や、君の嫌いな「理不尽」があるからこそ、生きていることを実感できる。例えるなら、クリアし終わったゲームを続けるようなモノだね」
「それなら、また物語でも書いてやるさ。その体験を元にして、な」
「言っておくけど」
 しつこいくらいに忠告を繰り返すのだった。言っていることは分からないでもないが、あまりしつこいと疲れる。

「君の望むモノなんて、何も無いよ」
「だろうな。そしてそれで問題有るまい」
「どうして?」
「私は、身の回りの理不尽を排したいだけだ。金を使って、大きな何かを望んでいる訳ではない」「そうだけどさ」
 心配なんだよ、と彼女は言う。
 心配。
 久しくされていない事だ。
「手にしたところで、所詮意味のないモノだからね。究極的には口座を凍結するか、紙幣価値をなくせば終わるものでしかないのに、「金」を崇拝しすぎる人間は多いから」
「別に崇拝はしてないさ」
 ただあればすこぶる便利。
 ただのそれだけだ。
 妙な期待をしたりはしない。
「私個人の自己満足でしかない。「金が有ればそれで幸福」という自己満足のな」
 そして自己満足とは、その都合を押し通せて、初めて効力を発揮する。金による幸福論は、それを実行しやすいだけだ。
「・・・・・・今度は「もし金がなくなったら」に怯えて生きるだけだよ? 「金がない不安」が「金がある不安」に変わるだけ」
「だろうな。だが、「自分ではない誰かの都合」に人生を左右されることだけは、無くなる」
「政治や時代背景、世の中の風潮、幾らでも大きい何かに、都合を押しつけられる可能性はある」「だろうな。だが、数が減るのは確かだ」
「はぁ」
 呆れられてしまった。まぁ私も案外「口でそう言っているだけ」なのかもしれない。だが、それが金を手にしない理由に成るとも、思わない。
 少なくとも物語は買える。
 それは素晴らしいことだ。
 そこに問題があるとは思わない。
 絶対に。
 面白いからな。
「君は案外、ただ強情なだけなのかもね」
 今更、という気もしたが、「まぁ、そういうことだ」と適当に相づちを打っておいた。
 適当に合わせることに関して、私を越える者はそうそういない。
 と、思う。多分な。
 いても別に、困らないが。
「美味い料理も贅沢品も、高級な酒も良い女すらも、全て「この世の虚飾」ありもしない幻想でしかないことは、嘘で出来たこの私が一番よく知っているさ」
「なら、どうして?」
 それは純粋な疑問だった。少なくとも彼女には私が所詮この世の夢幻でしかない、金による豊かさを求める動機が、理解できないのだろう。
 構わない。
 所詮自己満足だ。
「その方が」
 楽しいから、と言おうかと思ったが。
「面白いからさ」
 と、私は胸を張って言うのだった。

   2

 「本物」とは何だろうか?
 生涯、その信念を胸に灯し、成し遂げるもの・・・・・・だが、その「本物」は間違いなく「金にはならない」のだ。
 金になるのは決まって「偽物」だ。
 中身が無く、それでいてもっともらしく、どうでもいいような人間の欲望に使われるため、消費・・・・・・そう、「消費」だ。使い捨てられるモノ。
 おまえ達はそれでいいのか?

 まぁ、いいのだろう。口ではどう言おうとも、中身のない偽物に、読者どもが満足しているのはれっきとした「事実」だ。デジタルゲームの福引きに財産をつぎ込み後悔する馬鹿がいるくらいだからな。案外、何も考えていないだけかもしれないが。
「世の中因果応報ですよ」
「何度も言わせるな。私はお前と違って未来が見えているわけじゃない」
 無責任な言葉を吐かれながら、私は神社の前で掃き掃除をする女に言った。
「いえ、「事実」です。物質には「元の場所へ戻ろうとする力」があります。破綻するモノはするべくしてなりますし、成就するモノは「成るべくして成る」ものです」
 それこそ何をどうしようとも、神の意志も人の意志すらも関係なく。そんな洒落ているのか微妙な言葉で、私を諭しているつもりらしい。
 馬鹿馬鹿しい。
 仮にそうだとしても、私からすれば見えない未来の不確定な要素でしかない。信じろと言うのも無理がある。
「どうせ人間はすぐ思い上がりますしね。一度や二度成功したくらいで「人生安泰」なんて思い上がりも良いところですよ」
「だからって一度も成功しないで失敗続きで良い理由には、成らないと思うが・・・・・・貧困や病がなければ人間は思い上がる、ということか」
「人間には不幸か貧困か、病が必要だ。なぜならすぐに人間は傲慢になるからだ。ツルゲーネフですね」
 よくそんなどうでもいいことだけは知っているな、と口には出さなかったが察したようだった。「三つコンプリートしている私は何なのだ?」
「良かったではありませんか。身の程を弁えられて」
 などと冷たいことを言うのだった。気分を害してしまった私も悪いのだが。
「・・・・・・実際、敗北を事前に知れる、というのは貴重ですよ。人間が失敗する大抵は、思い上がりによる傲慢さですから」
「嬉しくもない・・・・・・」
 だからって敗北と失敗を押しつけられてたまるか。と、思うと同時に、やはり成長しきっていない、例えば十万年前ほど前の、まだ地球で暮らしていた頃の自分が、大金を手にしたところであっさり破滅するかもしれないことを考えると、世の中良くできているのだろうか?
 だとしても嬉しくもないが。
 私は、今、金が欲しいのだから。
 平穏を買う為に。
「それは屁理屈だな。実際その通りなら苦労はしない。現に、「成功しか知らない」人種は、確かにいるのだからな」
「虚栄の繁栄ですよ。現実には彼らもアルコールを飲み過ぎて身体を害しているだけです。こと健康問題に関して言えば、それは顕著ですね」
 確かに。
 健康的な成金というのは、流石の私も見たことは無い。だが、彼らの生態と私の現状は、やはり何の関係もないものだ。
「言葉遊びなどどうでもいいさ。所詮口で回すだけなら、人間は何でも言えるものだ」
「・・・・・・まぁ、いいでしょう」
 これが今回の標的です。そう言って彼女はいつものように写真を取り出した。余談だが、この時代に写真はかなり珍しい。電脳世界にアクセスすれば、大抵の娯楽は叶うからだ。
 現実に夢を語る人間も、随分減った。
「・・・・・・パイプラインか?」
 そこには、資源供給用の大型施設が写されていた。どうやら、コストのかかる大型テレポーターよりも、安価なパイプライン構造を使っているらしい。
 時代が変われど、企業の気質は変わらないな。 現地の人間には大迷惑だろうが。
「ええ、そこへ向かって欲しいのです。そして、現地のガイドを手伝って欲しい」
「現地のガイド?」
「ええ」
 言って、狩人のような男の写真を取り出して、彼女はこう付け加えた。
「時代遅れの、老人です」

   3

 己の「誇り」を「仕事」にする人間がいなくなって、もうどれだけ経っただろう?
 時代遅れ。
 まさにそれだ。だが、時代に遅れているだけでそれらが「不要」かどうかは判別できまい。
 むしろ逆だ。
 資本主義経済が発達してからというもの、金を稼ぐというのは「言いなりの奴隷に満足する」ことへ成った。これは事実だ。少なくとも「何かを誰かに伝えたい」だとか「自分の信じることを生活の主軸にしたい」と考える奴はもういまい。
 道徳は金で買える。
 品性ばかりは買えないようだが、しかし、その品性のなさをルールにする権利は買える。
 何でも買える。
 買えてしまう、世界だ。
 無論世界がどうなろうと金を求める私の姿勢は揺るぐことはないが、こうも「中身のないモノ」が「大金」に変わる社会構造というのは、はっきり言って見るに耐えない。
 見苦しい。
 本来、それこそ何をするでもなく自然に生き甲斐とするべきものだが、それを受け継ぐ人間はどこにもいない。本来脈々と受け継がれるべき生き様を、ロクに引き継がなかったツケと言える。
 戦争だの差別だの搾取だの奴隷だの、そして何より「頑張ることを美徳」としたりして、そんな下らない、中身のない綺麗事を互いに押しつけ、馴れ合いとその場の勢いの善意で、物事を進めてきた、その末路がこれか。
 これで若い人間に何かを期待するのは無理がある。散々戦争だの植民地だのを作り上げ、そのくせそれらの責任を一切取るつもりもなく、何一つ改善せず来た人間が、「真面目にやればいいことがある」などと・・・・・・お前等の真面目は、ただの自己満足だろうに。
 真面目に奴隷で有れば、考えなくていい。
 だからだろう。真面目に奴隷をやって来た人間の世界の果てに、「己の道を信じる個人」の住める世界は無い。生き苦しい。 
 偽善と独善が臭すぎて。
 臭くて臭くてたまらない。
 考えない人間、いやそういう生き方もあの女の言に乗っ取って言えば、いずれは「報い」を受けるのだろうか? そういう事例は多いだろうが、しかしそれが「法則」なのかは定かでない。
 考えない人間を利用して美味しい汁を啜る人間に報い、か。些か信じられない。そういう人間が敗北するのは非常に稀だ。
 そして信じるつもりもあまりない。
 私には関係のない噺だ。
 物事は所詮「結果」ありきで語られる。結果がでなければ過程に何が有ろうが、誰も感心を払いはしないし、興味も沸くまい。
 華々しい結果だけだ。人間が興味を惹かれるのは・・・・・・そこへ行くと「物語」は過程を重んずるものだろうか? そうかもしれない。人間の苦悩や信念、その生き様を疑似体験するものだ。過程がなければ噺にならない。
 そういう意味では私の物語も、どこか偉そうに構えている誰かが、読み解いて満足するためにあるのかもしれない、なんてな。
「なぁ先生」
 といつもながら人工知能の分際で、人の思索を邪魔するのだった。今回は現地の惑星情報などを探らせているため、報告を先にしろと、思わざるを得なかったが。
 無論思うだけで言わない。
 大抵の出来事は言わぬが花だ。
 言うことを強要する馬鹿には、噺は別だが。
「世の中の不平等について、どう思う?」
「なんだ、急に」
 前振りが有ればいいって訳でも無いが。
 宇宙船の個室、そこそこ値は張るのだが、私は毎回この席を取る。無論、非合法な人工知能が話し出すからであり、それとは別に、移動中くらいは静かな時間を過ごしたい、という目的だ。
 その目的はあっさり瓦解したが。
 迷惑な噺だ。
「先生はこの世界を平等だと思っていないだろ」「当たり前だ。聞くが、いちいち聞くのも馬鹿らしいが、ジャック。「完全に平等な世界」が実現しているなら」
 もっとつまらない世界になっている、だとか、資本があり貧富がある社会構造の時点で妄言だ、とか、あるいは人間という生き物は「平等を壊すために生きている」だとか、そういうことを言おうとしたのだが。
「作家なんて世界に必要ない。作家は不平等の中から産まれるものだ」
 と私は答えた。
 不思議だ・・・・・・作家という肩書きに、それほど愛着があるわけでもないだろうに。
 たまたま、だろうがな。
「先生は不平等が嫌いなのか?」
「いいや、差別も支配も貧困も、あればあるだけ世界全体で見れば」
 豊かになる、と言おうと思ったのだが、あの女の言ではないが、世界全体の富も資源も、最初から総量そのものは一定だ。
 豊かになっていると、一部が思いこむだけ。
 世界の形は色眼鏡で変わる。
「いや、「持つ側」の目線で見れば、ますます豊かになるからな。だから問題は」
 問題は、何だ?
「・・・・・・私個人に関係ないところでやっているかどうか、だ」
 無論私個人の中に「理不尽への嫌悪感」が有るのは否めないが(それがなければ作家とは呼べまい)あまり私の個人的感情を教える義理も、特にあるまい。
 どうでもいいことだ。
 どうでも。
 少なくとも、ジャックに教えるかどうかは。
「どういうことだ? 答えになってないぜ先生。関係有るところでやっていれば、どうなんだ」
「・・・・・・作品のネタにするだけだ」
「そうなのか?」
「ああ」
 実際、するだろう。
 平等かどうか、私がどの位置にいるのか、それはどうでもいいことだ。「結果」だけを求めるので有れば、誰が有能か誰が豊かで札束に溢れているか、誰が売れている作家か、なんてことはどうでもいいことだ。
 無論私は豊かな人間が嫌いなので、突然頭が爆発して死なないかな位の気持ちは持つのだが、しかしそれだって思いつきみたいなものだ。
「平等も不平等も、見る人間の中にしかない。だがそもそも「平等」と言う言葉そのものが、有りもしない幻想でしかないのだ。民主主義の腐った典型的答えだな。多数決で物事を扱い続けたなれの果てだ。平等、などというのはな、

 それが有る様に魅せればいいんだ。
 
 実際に無くても問題ない。平等、だと思いこませればいい。誰かから何かを「搾取」したいときに使う言葉が「平等」だとも言えるな」
「そんなヒネたモノの見方、よくできるな」
「そうでもなければ「作家」をやっていないさ」 得意げに答えたが、しかしどうだろう。そうだったから、そんなモノの見方しかできないから、作家に成った訳では無い。
 金の為だ。
 あくまでも金の為に、やった。
 動機としてはそれで十分だが。
「調べた限りでは、だが。これから行く火星在住の原住民たちは、どうもそれを求めているみたいだぜ」
 火星、およそ十万年の歴史を保つ自然保護惑星だ。地球とは違って科学技術の恩恵が有るため、最低限の科学と同居することを選んだ人たちが、住んでいるという。
 狩りをして生きる人間が多く、動物の肉のみを食して生きる、まさに「原住民」という呼称がぴたり当てはまる連中だそうだ。
 原住民、か。
 しかし誰の土地になるかは、所詮金の有る無しで決まるものなので、誰が先に住んでいるかは、あまり関係ないのだろうが。
 まったくな。
 こんな時代でも「民族主義」は無くなっていない。そういった「心の支え」が無ければ自己を確立できないのだろう。そしてその割を食うのは原住民のみだというのだから、社会構造からして人間という奴は「誰かを踏み台にして」でしか、幸せには成れないのではないかと、思わざるを得なかった。
 何かを差し出すことが「美徳」であると信じる人間は多いが、事実はそうではない。敢えてすべてを差し出したところで、飽食の読者どもが金を支払うことはない。搾取して奪って美味しい汁を啜る人間こそが、得をする。
 楽で羨ましい噺だ。
 金を払わないで扱うサービスが主流になっているのは、そういう事実から来るものだろう。
 タダで美味しい思いをしたい。
 自分だけ美味しい思いを出来ればいい。
 人間の本質は、結局それだ。
 そのくせ、評価だけは一人前。デジタル世界が繁栄してからと言うもの、二次元の世界でだけは人並みに意見が言える人間が異常に増えた。安全圏から高みの見物を決め込んで、偉そうにモノを言う快感を、覚えたのだろう。
 自分たちが軽蔑している為政者と、やっていることは同じだと、気づかずに。
 中身がない人間という点では、同じだ。
 この火星でもそういう人間が増えているらしい・・・・・・要は中身よりも実利、本質よりも見栄えの良さというわけだ。こんな調子でどんどん世界がつまらなくなってしまえば、私としては商売上がったりもいいところだ。無論、そういうところにこそ、作品のネタになりそうな輩が、混じっていたりするのだが。
「求めている、か」
 迫害されたから、恐らくはそんな理由で求めているのだろうが、「その後」はどうするのだろう・・・・・・自由にも平等にも求めればキリは無い。
 私のように個人的な満足で自己満足できれば、別なのだろうが。
「いやだから先生。先生はもう少し、自分がどれくらい「化け物」なのか自覚するべきだぜ」
「・・・・・・? もてはやしたところで、何もやらんぞ」
 素直な感想だった。
「いや、もてはやしているんじゃなくて、先生は「怖い」って言っているのさ」
「前にも言われたが」
 ええと、誰に言われたのだったか。確か女だった気はするのだが。
 「怖い」か。
 それは「恐怖」ということだろう。
 されたところで、何が出来るわけでもないが。「先生は物理的にも「怖い」ぜ。そのサムライの刀があれば、有機物無機物を容赦なく区別無く、この世界から消しされる。その上、先生にはどんな個性も通じない。肩書きも産まれも能力差も、全て「引き剥がされ」ちまう。どんな言い訳も通じないし、理屈の上では、だが、先生を相手に回して生き延びられる存在は、どこにもいない」
「馬鹿馬鹿しい。いいか、そんな暴力面での役に立たない能力など、必要すらない。この世で最も役に立たない才能と言っていい。暴力など下らん・・・・・・腕っ節の強い奴を、雇えばいいだけだ」
「そうなのかい。けど「事実」だぜ」
「だとしたら、何だ? 今回の件に、何の関係があるというのだ」
「先生みたいに開き直った化け物ばかりじゃ、無いって事さ」
 普通にどうでもいいことで挫折して、立ち直れず、それでいて過去を悔やんだりするのさ、とジャックは言うのだった。
 確かに。
 登場人物が私のように、義理も人情も優しさも無い奴ばかりでは、一ページで噺が終わる。
 そういう苦悩する人間の姿、も作品のネタとしては、中々良いかもしれない。
 まぁ私は誰に何と呼ばれようが、目障り耳障りでなければ構わないので、「化け物」だろうが何であろうが、どうでもいい噺だ。
 興味はない。
 己の怪物性にすら、な。
 それこそどうでもいい噺だ。
 「過程」はどうでもいい。「結果」こそ望むものだ。過程にどんな謂われが有ろうが、結果が良ければそれでいい。
 私はそういう人間だ。
 今までもこれからも。
 結果、即ち金以外に、あまり興味はない。
 無論、それと作品のネタは別だがな。
「俺の身勝手な判断だが、間違いなく先生は人間じゃないね。保証するよ」
「保証されたところで、という気もするが」
「人間並みの幸福なんて、人間じゃない先生にはどうせ無理なんだから、いい加減諦めたらどうだってことさ」
「ごめんだな。人間かどうかはどうでもいいが、私は私個人の身勝手な願い、野望を叶えることを諦めたりはしないさ。「ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活」の為なら何人死んでも構わない。私以外の全てを犠牲にしてでも、必ず成就させてやるさ」
「・・・・・・何気に先生以外の全てが勝手に犠牲にされている辺り、本当はた迷惑な人だぜ」
「それで「私」が困るのか?」
「いいや。確かに。困らないな」
 こりゃ傑作だ、とでも言わんばかりに、彼は笑うのだった。
 笑われたところで変わるわけでも無いが。
 私の生き方は。
 一ミリも揺るがない。
 微動だに、するはずがない。
 私が好き勝手に動かすだけだ。
「私は他人を慮っているフリをして、無責任な説教を垂れて自己満足に浸るような人間共が、どうなろうと知ったことではないだけだ」 
 誰かの為だとか。
 何かの為だとか。
 これは君のことを思って言っているんだよ、後は本人次第さ、などと「口だけ」の馬鹿共へ、どんな影響が及ぼうが、知ったことではない。
 私には関係ないしな。
 逆に言えば、世の中にはそういう人間が非常に多いとも言える。実際、「誰かにそうするべきだと言われたから」進路や就職を決める。そしてその「結果」望んでいたものが全く手に入らずとも「口だけ」だした周囲には、何の責任も無い。
 偉そうに言うだけだ。
 何か彼らが責任を取ったり、指示している道へ繋がる手助けをするわけでも、無い。
 そんな人間共、人間でなくてもいいが、役立たずの代表格みたいなカス共が、どうなろうと知ったことではない。
 どうでもいい。
 どうせ、何をするわけでも無い奴らだ。
 何も出来ないから口だけ動かしているのかもしれないが。
 まったくな。
 馬鹿が栄える世界に成り下がったものだ。
 そういう奴らに限って「中身の無いもの」を、安ければ求めるというのだから、手に負えない噺ではある。
 「確か、火星には単一の「万能麦」が栽培されているらしいな」
「ああ、それも調べたが、とんでもないぜ。火星の豊かな土地を吸い尽くして、あらゆる食品に加工可能な「万能麦」を生産している。およそ280億トンほどな」
「そんなにどうするんだ?」
「先生はなじみがないかもしれないが、万能食品として広く愛されているのさ。元が小麦だから、あらゆる食品に加工が出来るし、栄養素も操作しているから、極論これだけでも、栄養は維持できるみたいだぜ」
「小麦だけ食べるのか?」
 ベジタリアン、という訳でも無いのだろうに・・・・・・もしその「小麦」に重大な欠陥でもあれば、どうするつもりなのだろう?
 きっと、何も考えていないのだ。
 私とは違って、「そういう人種」というのは、つまるところ「人生に何一つ大きな障害が無く、立ち向かう必要がなかった人種」だと言える。  だから彼らは考えたりはしない。
 失敗、それも取り返しのつかない失敗をしてから初めて、嘆いたり考えたりするのだ。
 今まで流されるがままに生きてきたことを、何一つ反省せずに、世の中に憤りをぶつけるのだ。 醜い、と素直に思う。
「一種類の万能食品に依存したモノカルチャーか・・・・・・そんなモノがよく維持できるな」
「破綻してきているさ。現地に住んでいる人間だって結構いるが、それらを無理矢理追い出して、田畑を焼き、そこへ田園地帯を作るからな」
「焼く? もっと良い方法があるだろうに」
「その方が安いからだろ」
 なるほど。企業も国家も、安く事を済ませるとロクなことにはならない。その事実を学ぶのに、どうやら数十万年では足りないらしい。
 単に学ぶ気がないだけだろうが。
「第二の地球候補、とも呼ばれているぜ。生物多様性の阻害による昆虫の大発生、それによる農作物の全滅が危惧されている。勿論、そんなことで企業も国家も、田畑をちょいと焼いて、原住民が何人か死んだところで、どうせ自分たちには関係ないし、好き勝手やってるみたいだが」
 力があれば何をしても許される。
 人を殺しても。
 人を搾取しても。
 綺麗事を押しつけても。
 口だけ横から出しても。
 土地を奪っても。
 人を売りさばいても。
 人を追いやっても。
 どれだけ奪っても。
 何をしようが、「許され」る。
 強いから。
 無理を通せるから。
 偉いから。
 正しさを、都合を押し通せるから。
 世の中そんなものだ。
 その程度の価値すら、無いだろう。
 理不尽とは「誰か個人」都合を押し通した結果とも、言えるのかもしれない。
 誰かが得をすれば誰かが損をする。無論、得をしている側は、自分たちのやっていることは正義そのものだと盲信しているし、むしろ自分たちが奪えば奪う程、「奪った奴ら」も「喜ぶ」だろうと思っているし、そして社会的に彼らは絶対的に正しく、それを止める方法はなく、理不尽でも何でも「力があれば」正しい。
 正しく、なる。
 正しさは金で買えるし、暴力で通せる。
 あるいは権威や権力か。
 持つ側の力、という点では、同じ事だが。
「先生は理不尽が嫌いな癖に、そういう所は変えようとしないよな」
「どういう所だ」
 主語を明確にしろ。
「意識的に他者を踏みにじる、今回の焼き畑もそうだが、そういう人間は心のどこかで「罪悪感」を持っているもんだ。けど、先生にはそれすらも無い」
「当然だろう。そもそも気にするならやらなければいい」
「それで悩むから「人間」なのさ。俺は先生がただ馴染めない化け物なのかと思っていたが、先生はかなり自覚的だ。その上自覚しながら周囲を巻き込む事に躊躇しないってんだから、物語における怪物のルールを逸脱しているって思うぜ」
「怪物のルールだと?」
「ああ。曰く「自身が人間に混じれないことに、違和感を覚えなければならない」だそうだ」
 私は自分以外を意識的に駆逐しても、何の良心の呵責も感じない。そもそも心なんて高尚なモノが有るとも思わないし、有ったところで考えることは同じなのだから、結果は同じだ。
 迫害されて泣き寝入りする怪物の噺というのは、どうしても共感できない。迫害する奴らを皆殺しに出来る癖に、「人間らしさ」に拘って、手をこまねいているような余裕有る人物には、到底仲良く出来そうにない。
 邪魔なら始末すればいい。
 混じる必要など無い。
 金の力で「支配」すればいい。
 それを道徳だとか人間らしさで誤魔化して、小綺麗にお上品にあろうとするあまり「結果」を取りこぼすような連中など、どうでもいい。
 結果が全てだ。
 つまり金が全てだ。
 だから私はこう言った。
「下らん。混じる必要などあるまい。大体が怪物というのは力がある癖に、それを有用に使えない連中のことだろう。そんな余裕有る連中と、一緒にされたくはないな」
「なら化け物とでも呼ぶべきかな」
「どうでもいい」
 呼び名など些細なことだ。人間と呼ばれようが怪物と呼ばれようが、化け物と罵られようが、金になるかどうか? 判断基準はそれだ。
 それ一つでいい。
 他は必要ない。
「所詮、私から言わせれば、だが、そういう奴らは結局の所「ただの人間」だったと言えるな。怪物性とは能力差で計るものではないという、良い例だ」
「なら、何で計るんだい?」
 私は答えた。
 基準にするならそれしか有るまい。

「心が「無い」か、どうかだろう」






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