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私たちを取り巻く環境・世界

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命の受け渡し

命の受け渡し

若い頃から、ジビエが好き、と言ってその季節になるといそいそとジビエ料理のレストランに足を運んでいた。と書き始めたものの、さらに遡れば、中学校時代には、友だちのお父さんが猟で獲って来たという鴨や鹿肉をいただいては、家でひとり料理していた。大学時代にお世話になっていたスキースクールの校長先生のお宅で、地元で獲れた鹿や猪が届くと嬉々として調理して同宿しているスキー部の仲間や、訪れるスクールの先生方に振舞

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そこからしか見えない景色

そこからしか見えない景色

大変な思いをして山頂に辿り着き、そこからしか見えない景色を眺めて感動する、という状況を表す言葉だが、何にも登頂などしていないながらも、そんなふうに感じることがあったので記録しておく。

こうなったらいいな、こんなふうに出来るのでは?と想像を膨らませたり、もう少し具体的にプランを立ててみたりすることはよくある。その時に、今すぐそのために出来ること、すべきことはコレ、次はコレと計画する。このくらいまで

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東京プロトコル

東京プロトコル

人世のほとんどを過ごしてきた東京の家から離れて、マレーシアで8年弱、帰国して早々にまた東京を離れて早2年経とうとしている。最近やっと、自分が静岡県民で神奈川の端っこが生活圏の(ほぼ)住民であることがしっくりくるようになってきた。農家になった、ということの方は、早々にしっくりきていたのに、なんとなくその土地に受け入れてもらったなと感じるまでは、ぼちぼち行こうという気持ちからなのか、たまに東京に「帰る

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しかない

しかない

最近よく耳にする言葉、「~しかない」。感謝しかない。尊敬しかない。なんて、ポジティブに使うと最上級のように聴こえるということもあって、文化人というカテゴリーのメディア出演者の間でも大流行りだ。

日本語に詳しい方によると、本来の、というか、これまでの日本語では、「~」の部分には、限定された良くない意味の名詞句が入るというのが定説で、「しか」は限定の意味を副える副助詞とのこと。
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そこは職人の里だった

そこは職人の里だった

昨年末に引っ越してきた先は、東京から電車で1時間半、車ならもう少し早く着いてしまうような近郊の温泉地だ。日本は地面を掘ればどこでも温泉が湧くような国ではあるが、ここは万葉の昔から、河原に温泉が湧き、その後も時の為政者の直轄になったり、傷病兵の治療地になるなど、温泉が活用されてきた土地として有名だ。

とはいえ、川一本を隔てた隣には、温泉を中心とした一大観光地として栄えた街があり、そちらとは対照的に

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兎に角引っ越しました

兎に角引っ越しました

神奈川県の端っこに最寄り駅がある位置の静岡県の端っこに引っ越した。すると、移住したんですね!と言われ、違和感を覚えた。引っ越しただけだ。いつから、国内でも引っ越すことを移住する、というようになったのか?今回、ヤマトの引越部門が売却されてしまったので、初めてアート引越センターのお世話になった。もといアート移住センターに社名変更?!

以前、マレーシアのジョホールバルに駐在すべく引っ越した際は、「母子

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名字呼び

ちょっとした外科手術のため、お産以来はじめて入院生活を体験した。薄味の病院食、手術室に歩いて入って行った時のドキドキ、瞬速で落ちた全身麻酔、ブロック注射で丸太になり数日間私のものでなくなった脚、面白い患者さんやスタッフさんたちとの出会いなど、書ききれないほどの体験をしたのだが、その中で、記録しておきたかったことは、これだ。

医師はもちろん、看護師さん、助手さんと呼ばれるスタッフ、リハビリの理学療

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環境の中の自分

環境の中の自分

やっと緊急事態宣言やら、マンボーやらが全面解除され、面白いほど世の中がうきうきしたムードになった。ちょっと街を歩いてみただけでも、やはり、誰よりも辛い立場に追いやられていた飲食店が(ほぼ)通常営業の権利を取り戻し、マスク飲食ながらもお酒を片手に、久しぶりに直接顔を合わせて話しをするという、人間らしい時間を取り戻した客たちの笑顔、通りを歩く人々の活気がそういったムードを作り出しているのだな、と感じる

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農業と自然

農業と自然

忘れていないか?農業は自然ではない、ということを。

野菜は、言わば、入植者。自然にそこにあった木々や野草たちは原住民。

その自然に戦いを挑み、破壊し、畑という人工物を作り、野菜を植えて育てるための場所を確保し続ける。人間好みの弱々しい「野菜」と言う名の植物を育てるために、必要に応じて、その土地の原住民たる植物だけでなく、虫や獣も殺戮する。

畑は自然ではない。自然を切り拓いて作った人工物だ。

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ボランティアって

ボランティアって

何年越し?で待っていた東京2020ボランティア活動を終えた。長野の冬季オリンピック大会でボランティア活動に参加し、もし次にまた日本でオリンピックが開催されるようなことがあれば、何歳になっていてもボランティアに申し込もう、と思った。あれは、期間中に誕生日を迎え、28歳になった年だった。

なんていう話をし、さらに、キリスト教の学校に通っていたため、ボランティア活動は常に身の回りにあり、多くの人が当た

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「ねき」と「そね」

「ねき」と「そね」

バスの中で、お母さんが子どもに「もっとこっちに来ておきなさい」というのを見て、この言葉を思い出した。その年頃だった私に、「ねきに来とき」という大阪のおばあちゃんのことを。

私は、京都の病院で生まれて東京で育ったが、言葉を覚えて自分の周りの小さい社会を広げていく時期に、多くの時間を大阪で過ごした。大阪生まれの大阪育ちの人からすれば「えせ」かもしれないが、頭でものを考える時、人と敬語で話そうとすると

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国境の壁と人の心の繋がり

国境の壁と人の心の繋がり

コロナ禍でマレーシアから帰国してから1年が経過するな、と振り返っていた。あちらで中途半端になっている仕事をどうするか、悶々としながら過ごした日々。そこに光明が射した。マレーシア投資開発庁(MIDA)が「既存の投資家または投資検討中の短期出張者に対する、入国後14日間の隔離免除の(最長14日間までの)入国許可」を出すと発表されたのだ。

早速、マレーシア側の仲間(会社)に出張招待状を出してもらい、諸

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ご贔屓

ご贔屓

「一見さんお断り」という店にどんな印象をお持ちだろうか。かつて私は、嫌な感じだな、何様のつもりだ?そんな店には行くもんか、と思った時代があり、それから暫くすると、そんな店に入れるのはどんな人なのか?どういう条件があるのか、と興味が湧いてきて、さらに年が進むと、あれれ?気づけば自分をご贔屓さん扱いしてくれる店主がいて、自分も自然とそういう店には足繫く通うようになり、周りのお客さんもそんな人が集まって

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新幹線め

新幹線め

このところ、ちょうど1カ月前にひょんなことで知り合った「師匠」と山を歩いている。といっても、登山ではない。トレッキングどころか、ハイキングとも言えないような、車で師匠のとっておきの場所まで連れて行っていただき、そのあたりを山菜を摘みながら歩いて、山野草や樹木、鳥の名前などを教えていただいているだけなのだが、山で必要なものが全部装備された師匠の軽自動車で行く大人の遠足は最高に楽しい。

今日はココ!

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