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国境の壁と人の心の繋がり

コロナ禍でマレーシアから帰国してから1年が経過するな、と振り返っていた。あちらで中途半端になっている仕事をどうするか、悶々としながら過ごした日々。そこに光明が射した。マレーシア投資開発庁(MIDA)が「既存の投資家または投資検討中の短期出張者に対する、入国後14日間の隔離免除の(最長14日間までの)入国許可」を出すと発表されたのだ。

早速、マレーシア側の仲間(会社)に出張招待状を出してもらい、諸々書類を整えて申請。最長の14日間、宿泊先、移動手段、面談者の詳細など、細かな予定表も確認され、滞在期間中ずっと貼り付くMIDAのリエゾンオフィサーに掛かる費用(交通費、宿泊費その他)としてMIDAから請求される金額を振り込み、許可証を得た。

ほぼどこの国へでも、パスポートのみで、所謂ビザ無し渡航が当たり前になっている現代の日本人にとって、これほどの時間と労力を掛けないと2週間の出張のための入国が認められないというのは、貴重な体験だと感じた。しかし、国境の壁を感じたのはそれだけではない。

クアラルンプール国際空港で諸手続きを終え、迎えに来てくれた仲間の車に乗り込み、リエゾンオフィサーも同乗のうえで目的地へ向かう。その間、当然のことながら、この数日以内にPCR検査を受け陰性証明を持っている者同士でありながらも、マスクを着用したまま、お互いを気遣いながら、細く窓を開けたり、小声で挨拶を交わしたり改めて自己紹介めいた話をしたりした。

以前であれば、握手をし、肩を叩き合い、口角泡を飛ばして語り合っていた仲間とでさえ、「国境を越えて来た人」「国境の向こう側にいた人」という意識がお互いにそこにあることは明らかで、「こんな時勢下に来てしまってごめんなさいね」と感じたことをそのまま言葉にしてみたりもした。「来てくれて嬉しいけど、今じゃなくてもよかったかもね」という無言のメッセージが仲間の顔にあるのを感じ取ったからだ。私は、目の前に透明の国境の壁があるのを、言葉の魔法で消そうと必死だった。

宿泊先で食事の提供は無く、外食も禁止されていたので、テイクアウトを買ってきてもらうしか食事のしようが無い中、一日3食ほぼ毎食を一緒にしながら、トーンは抑えめながらも沢山たくさん話した。1年間で積もり積もった話を語り合い、一緒にやって行こうとしていることを伝えたり、お互いが考えていることを感じ取り合いながら、そうそうこういう間合いだったな、と思い出したり、味わってみたりする時間が続いた。

その輪には、リエゾンオフィサーも加わり、様々な制限のある厳しい環境下、限られた時間の中で、同じ目的のために最善を尽くして同じ方向に向かって歩くメンバーの一員になっていた。人と人が目的を一つにして何かを成し遂げようとする時、厳然としてそこにあるはずの国境の壁が、気付けば、消え去っていて、物理的には手を繋ぐことは出来なくても、うん、うん、と目でうなづき合って、心が繋がっていくのを感じた。

当然のように手違いやハプニングがありながら、あっという間に実質13日間は過ぎ、クアラルンプールの空港で別れねばならなくなった時には、すっかり一つのチームになった私たちは、またね、必ず会おうねと目と目で約束し合った。コロナ以前とは変わってしまったと感じられる世界の中、実は、変わっていない部分がよりはっきりと浮かび上がったように感じた。寧ろ、以前の世界ではここまで感じることが出来ていなかった、人の心の繋がりの強さや深さを知ることが出来たことは何よりもの収穫だった。

どこにいてもあなたたちのことを忘れることは無い。




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