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ご贔屓

「一見さんお断り」という店にどんな印象をお持ちだろうか。かつて私は、嫌な感じだな、何様のつもりだ?そんな店には行くもんか、と思った時代があり、それから暫くすると、そんな店に入れるのはどんな人なのか?どういう条件があるのか、と興味が湧いてきて、さらに年が進むと、あれれ?気づけば自分をご贔屓さん扱いしてくれる店主がいて、自分も自然とそういう店には足繫く通うようになり、周りのお客さんもそんな人が集まっていることに気づき、店主も自分らしく振舞ってよい雰囲気が出来上がっているではないか、と知る日が来ていた。

そういう店を眺めてみると、「一見さんお断り」と店が謳っているというよりは、ご贔屓さんを大事にしたいということを前面に出している、と言った方が適当だ。ご贔屓さんのことは、常連さんと呼んだり、今風だと、メンバー制度のようなものを導入する場合もあるだろう。

いつも行く美容院のそばに、大好きなラーメン屋さんがある。最初は、美容師さんのおススメの店をいくつかきいて、行ってみた中の一軒に過ぎなかった。店の外には、会員限定の日の説明が書いてあったり、いかにも常連さんがカウンターに並んで勢いよく麺を吸っている様子に、少しひるんだが、あまりにも美味しそうな出汁の香りに惹かれ、次の瞬間には食券を買っていた。カウンターに座ると、強面の大将が、その無駄のない職人の手さばきとは対照的な優しい笑顔で、麺は多めだけど食べられる?と。はい!と言って待つこと数分。どうぞ、と丼。確かにたっぷり1.5人前ほどの麺に具沢山、並々スープだったが、しっかり味わいながら完食。実は、このスープを完飲(かんいん)すると「会員(かいいん)」になれるのだということを知ったのは、ずっと後のことだった(笑)。ダジャレはさておきー。

以来、その店の味のファンになり、大将の人柄のファンになり、そして常連さんたちのファンにもなってしまったのだが、そこにあるのは、常連さんが喜んでくれる味を出したい、という大将の心と、自分たちの好きな味を作ってくれる大将を応援したい、というファンたちの心の絶妙な調和なのだと思う。決して排他的な空気は無く、非常にオープンで、寧ろ、この味が好きではない人もいるだろうから、予め言っておきますね、という親切心すら感じられる。そんな店には、コロナ禍でも人が集まる。SNSで声を掛け合って、励まし合って、人の心っていいな、と思わされたりもした。

飲食店の話は続くが、所変わって、東京からさほど遠くない温泉のある観光地。コロナ禍で観光客は疎ら。地元の人もほとんど道を歩いていない状況下、ちょっとおしゃれなイタリアンレストランに入った。扉を開けて、すみません、ランチ、やっていますか?と、ランチタイムのメニューが店の外にはあったものの、静まり返った店の雰囲気に押されてつい聞いてしまった。すると、しばらくして、ぶっきらぼうに、はい、と出てきた、中年男性。無口なタイプかな、と思いながら、通されたテーブルに着いて、オーダー。料理は、都心のこれまたお洒落地域のレストランでシェフをしていた、という触れ込みの奥さんの料理ということで、悪くない。が、料理を出したら出しっぱなし、その無口さんはフロアの様子を見に戻ってこない。。。

我々の次に店に入ってきた老夫婦が、また、ランチやっていますか?よろしいですか?と尋ねなければならない雰囲気。さらに、テイクアウトを注文しておいた近所のお客さんが受け取りに来ても、すみませーん、と何度も厨房の中に呼び掛け、やっと出てきた、無口さんは、はい、と。お待たせしました、などもちろん無い。ただ一言、一方的に、スプーンとフォークを入れておきました、と。するとお客さんが、いつも注文していますし、家でいただくので、勿体ないから要りません、と言うのに、もう中に入れたので、どうぞ、と言ってきかない。恐らく、毎回同じやりとりをしている様子。

そして、我々の会計時、お店の名前が特徴的だったので、由来を尋ねると、イタリア語のそれをつっけんどんに日本語に直訳。いや、そうではなくて、意味は分かるが、なぜその名前にされたのか?と聞いているのに。まあ、いいや、という気持ちで、なんとなく空虚な気持ちで店を後にした。

後日、その店の話を叔母にする機会があった。すると、あれ?そのお店の名前、知ってる。昔、うちの傍にあったところ。ご夫婦で、奥さんがシェフで。無口なご主人がフロアを担当している、あのお店の人たちだわ、と。その頃から、以前は大手企業のサラリーマンだったと思われる無口さんが、元同僚など自身の知人や、近くの有名企業の客が来店した時ばかり、笑顔満面で嬉々としてそのテーブルについて、他はほったらかし、というひどい店だった、と話してくれた。料理は悪くないし自宅から近かったため、何度か行ってみたものの、その都度、無口さんの応対に嫌気がさして、行かなくなったが、そのうちなくなった、と。

こちらも、常連さんを大事に、という点では一見同じように見えるが、その心が全く違う。身内主義的で、レストランというところに足を運ぶ人が何を求めて来ているのか、ということを考えたり、その期待や心を満たしたいという気持ちが抜け落ちている。自分の知っている人、知らない人で区別してしまう排他性がそこにはある。その店の味が好きで、それを生み出し提供してくれる、シェフ、大将、主人、マスター、店長、女将さんなど、その店を切り盛りしている人が好きで、応援したくてやってくる客がどれだけいるか考えたこともないのかもしれない。

是非うちのファンになって欲しい、という気持ちの入っていない料理や接客サービスには足が向かなくなるものだ。最近もその店のシェフが、同じ町の他の人気店と同様に、SNSで本日の食材などの写真を上げているのを目にするが、空虚な気持ちになる。その食材に愛が注がれて、その愛の籠った料理を笑顔で、美味しい!と食べるお客さんがいて、また来ますね、と帰っていくことが想像できない店。どんなにお店をお洒落にしても、良い食材を使っても、そこに心が無ければ、何もないに等しい、と私は思う。

食材、料理、それを口にする客への愛情がある店には、その店を愛する客が付く、という「相互ご贔屓態勢」が確立するものだ、と改めて感じたので記録しておく。

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