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新幹線め

このところ、ちょうど1カ月前にひょんなことで知り合った「師匠」と山を歩いている。といっても、登山ではない。トレッキングどころか、ハイキングとも言えないような、車で師匠のとっておきの場所まで連れて行っていただき、そのあたりを山菜を摘みながら歩いて、山野草や樹木、鳥の名前などを教えていただいているだけなのだが、山で必要なものが全部装備された師匠の軽自動車で行く大人の遠足は最高に楽しい。

今日はココ!という場所で、折り畳みの椅子と小さなテーブルを出してお弁当を広げ、師匠の奥様の手料理もつつかせていただき、お湯を沸かして、自家焙煎のコーヒーを淹れていただいたり、今っぱやりのキャンパー気分も。これ、いわゆるチェアリングじゃないかな?とか思いつつ。しかし、一番の面白みは、師匠のお話。初めて、「師匠」とお呼びした時に、あれ?という顔をされて、照れながらもなんだかおかしなリアクション。後日、お宅にお邪魔しておしゃべりしていたときに、実は、若い頃からのあだ名が師匠だったので、なぜ!と驚かれたとか。

そして、もう一つのあだ名は、寅さんだそう。何年間も新幹線通勤で東京丸の内で駅から3分のところでお仕事もされていたという方だが、早々に退職され、ずっと野山を歩き回っておられるとのこと。とはいっても、ふらふらと歩き回るというよりは、海では素潜りで銛で魚を突き、貝を採り、山といっても、山岳登山にロッククライミング、様々な絶壁を登って来られたという強者。

その方の行く先々での出会いや自然のお話、乾燥させた珍しいキノコや薬草を見せていただいたりしながらの時間は何ものにも代えがたい興味深さ。時々差し挿まれる質問がまた面白い。その日師匠が、日本の田舎がどこも同じようになってしまった、人の心が変わってしまった、という話をされたときに、私は昨日の晩、寝る前に考えたんですよ、なんでかなあ、なにが原因だったのかなあ、と。そして、気づいたんです、アレだと。なんだと思いますか?

なんだろなあ、と首をひねっている私に、ひとつはね、新幹線だと思ったですよ(←静岡弁らしい)、と。どこへでも、あっという間に行かれるようになってしまった。ゆっくりと時間をかけてその距離を移動しながら、変わっていく風景を眺め、そこにいる人の暮らしをチラチラと見ながら想像し、感じたり考えたりして到着する喜び。そして、その土地に根差した駅舎に降り立ち、駅前から少しずつ裏道やら、どこに続いているかわからない道を歩いて、その土地の風土や歴史を感じる喜び。道に迷って出会う人との関わり合いから感じること、知ること。そんなものが一気に無くなってしまった、と。

スピードや効率と引き換えに、無駄と思われるような周辺の良さや面白みを味わったり経験したりする機会、そしてそこから育まれる感性や感受性が根こそぎ失なわれてしまったのではないかと。都市からどれだけ遠いところへ行っても、同じ形の駅、開発された駅前の様子、どこにいるのだったからわからなくなりそうなほど同じ。並んでいる店も同じ。人々の暮らしぶりも似通って、都市部の暮らし方がスタンダードになっていき、若者はより効率化された都市を目指す生き方が生まれ、その先へ向かい、今ここ。

山の中を歩いていると、何一つ同じものが無い。一歩進めるごとに予想のつかないことの連続で、見えるもの、聴こえる音、におい、踏んだ感触、齧ってみた味、光や影、風向きなど五感をフル回転していないと危険とも背中合わせ。都市での生活では目にしたことも無い美しいもの、珍しいものをに出会う感動で心が震えて、何かわからないホルモンが首の後ろから頭に向かってトクトクと湧き上がっているような感覚がある。

学生時代に田舎の在来線でスキーの合宿や大会を点々と移動していた頃を思い出した。小さな駅で手で電車の扉を開けて、吹き込んでくる粉雪に負けないように、大きな荷物とスキー板2本を引きずって下ろし、これ全部を背負って階段を上って下りるのは無理だと考え、もう一方のプラットホーム側にある改札に向かうため、次の電車が来ないことを確かめて、雪の積もった線路を大急ぎで渡った。初めての駅前で、安そうな蕎麦屋を探して歩いたり、目的のスキースクールまでどうやって行こうか考えたり、お客さんのいないお土産屋さんで話し込んだり。久しぶりに山の中を歩き回って感じたドキドキワクワクがその時のそれにそっくりだった。

あの頃から30年ぶりの感覚を味わい直しながら、師匠の「新幹線だと思ったですよ」という言葉を反芻してみる。


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