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古代ギリシャの最高級娼婦。その価値と人生。

古代ギリシャに、ヘタイラと呼ばれる女性たちがいた。

『アレオパゴス会議のフリュネ』
ジャン・レオン・ジェローム作

この絵の中の裸体の女性は、古代ギリシャの有名なヘタイラ、フリュネさんなのだ。

彼女が、「敬虔(けいけん)ではないこと」を理由に、裁判にかけられているところを描いた作品。

ヘタイラとは、売春婦のことである。

彼女のフル・ヌードを見た陪審員団が彼女を無罪にしたーーという話が有名だが。

本当にそんなことがあったのかなど、詳細が気にならないだろうか。

今回は、古代ギリシャのヘタイラの話。


フリュネには、本名が別にあったのだが。世には、それで通っていた。

ああ、源氏名みたいなものかと、思うだろう。

違うんだ。

一部の人たちが、彼女を中傷するためにつけた、イヤミ的なあだ名だった。彼女は、むしろ、その侮辱的なあだ名を使い続けた。

このエピソードだけでも、すでに、彼女に魅了されそうだ。

イメージ

不敬罪。フリュネは、一体、何をしたというのか。

フリュネの並外れた美しさは、アテネで、大きな話題になった。有名な彫刻家が彼女にモデルを依頼し、彼女はそれを受けた。立象が製作された。

それは、人々からは、女神像にしか見えなかった。仕方ないことだった。人間の、しかも一般人のモニュメントなど、普通なかったのだから。

〇〇さんの新作見た?広場にあったの!
見た見た〜めっちゃ綺麗だった〜
あれ何の神様?アルテミスじゃないよね?
ええ!ヘタイラのフリュネさんなの!?
大きい声じゃ言えないけど、素敵
正直、憧れちゃうよね
(定番の私の空想。笑)

見たい見たいと人が押し寄せ、観光地化したらしい。

そして、フリュネは、冒涜の罪で告発された。


それにしても、アレオパゴス議会にかけられたとは。いち娼婦が、アレオパゴス議会に。にわかには信じがたいほどだ。

アテナイ(アテネの)政治における貴族勢力の牙城。古代ローマでいうなら、元老院のようなものだったのだから。

アレオパゴス (正面)の復元図

これは私の推測だが。

フリュネは、買売春を象徴する存在と、とらえられた。議会は、社会で買売春が流行りすぎることを懸念して・全体的に一度警鐘を鳴らすために、彼女に白羽の矢を立てた。政策として。

これなら、話がアレオパゴス議会にまであがったのも、合点がいく。


フリュネは、複数の著名な男性の愛人だった。

リアルに想像してみてほしい。このことは、無罪判決と、無関係ではなかっただろう。

社会的に力のある男は、自分が愛でている女を守るだろう。圧力をかけるだとか根まわしをするだとか、権力者なら、方法はいくらでもあるはずだ。

彼女の肌は、ぜんぜん日焼けしていなかった。

陪審員たちは、それを見て、野外で労働をする必要が一切ない人だということを実感した。少なくとも1人以上の上流階級の人が、彼女のバックについているということを、実感した。


この日の協議メンツの中にさえ、彼女と “親しくしていた” 男性がいた。

恋人を有罪にしたくなかった彼は、裁判中、フリュネを裸にする方向へもっていった。(すごい発想だったと、この後、彼は世間から絶賛された)

内面的な善良さは外面に現れる。心の美しい人は見た目も美しい。その頃にあったこのような考え方は、今よりももっと、ガチなものだった。

これほど完璧な体を彫刻できるのは、神だけである。きっと、神々の「お気に入りの存在」に違いない。彼女を投獄したり処刑したりすることの方が、よっぽど神への冒涜である。と、このような弁論がなされた。

アテナイオスが、著書の中に、このように書き残している。

「彼女の美しさを見せることで、裁判官たちに、迷信的な恐怖を抱かせた。 アフロディーテの女預言者や巫女を死刑にするということに、彼らは、 耐えることができなかった」

映画『300』の1シーン。これと前後のエピソードは、当時の力関係をよく表せている。

「今後、いかなる弁論者も、同情を起こそうと努めてはならない」

これから先、弁護にこのような方法をとられたら。どんな罪人でも、究極的に美しい女性であれば、罰することができなくなってしまう。

議会がそう悟ったことが、よく伝わってくる記述だ。


フリュネがモデルであるとされる銅像
フリュネにモデルを依頼した芸術家は複数いた。

誰でも彼でも、願い出たり報酬を渡したりすれば、フリュネのヌードを見ることができたのか。それに関しては、こんな文献がある。

「フリュネの裸を見るのは、簡単なことではなかった。彼女は、全身をおおうチュニックを着ていて、公衆浴場には一度も入ったことがない」

なのに、宗教的な祭りの日には、突然全裸でビーチをねり歩いたりしていた。

今日はめでたい日だから、みんなにご褒美〜みたいな感じだったとしたら、おもしろすぎる。こんな推測をしているのはもちろん私だけ (?) で 、学者さんたちはもっとまじめな考察をしている。

私の空想の方が、この絵の雰囲気にハマる気がするんだけどね笑。「歴史」はニンゲンのしたことのまとめなのだし。

銭湯へ行かなかったのは、単に。私ほどの女が普通の女たちと同じお風呂なんか入らないわよ、ということだった気がする。彼女なら、自宅に、プライベートなお風呂をもっていそうだし。


古代ギリシャには、複数のタイプの、性的労働者が存在した。

性的快楽のために身体を提供する、売春宿や街娼で働く者。特定の家に永住する妾。ヘタイラ。

妾を性的労働者に分類するのは、古代ギリシャの男性の価値観や、その頃の社会の風潮にもとづいて。

後継ぎを生み出すための妻、性行為を楽しむための側室、遊びを楽しむためのヘタイライと。実質的に、ヘタイラには、正妻や側室よりも多くの自由時間があった。

この時代この場所に生まれていたとして、あなたなら、側室とヘタイラのどっちになりたい。

ヘタイラの方がいいかも、と思った人へ。ヘタイラは、なりたいからと言ってなれるようなものではなかった。


ヘタイラという言葉は、アッティカ・ギリシャ語では「女性の伴侶」を意味する。「宮廷女官」と訳される場合まである。

ヘタイラには、高いレベルの美と教養がないと、なれなかった。

全ての国や環境でこうではないが。現代は、男女の差なく、学習やその他あらゆる機会が得れる。当時のギリシャ社会は、そんな状況では全くなかったことにも、留意したい。

現存するギリシャ語の資料に、ヘタイラの地位をハッキリと定義するものはない。しかし、推測することはできる。


彼女らは、シンポジウムによく参加していた。今でいうシンポジウムとは、異なった。

一緒に飲むという意味の言葉に由来し、若い男性を貴族社会に紹介する機会であったり、運動競技や詩のコンテストでの勝利を祝う場であったりした。

ヘタイラ、シンポジウムで楽器を演奏していた。
ヘタイラ、シンポジウムの後には乱交もしていた。

大変な仕事だ……。

美しいことなど、基本中の基本。知識豊富で賢く、巧みな話術をもち、楽器の演奏が得意で、ダンスもうまく。

もっと現代風かつ具体的に、書こうか。

学年トップの成績なのに、球技大会では一番活躍。友達とバンドを組んでいて、文化祭ではクールなギター演奏を披露。 学校一の美女でスタイルも抜群。けれど病んでいて……なんてオチはなく、誰よりもコミュ強。

それでも、性的労働は欠かせなかった。

現代で、たとえばパパ活女子や港区女子に嫌悪感を抱く人は、ヘタイラにも同様の嫌悪感を抱くだろうか。私は、そうは思わない。


シンポジウム(食事会など)が終わった後、一部の男性たちが残り、政治・哲学・宗教などのテーマについて、ざっくばらんに話しあった。

乱交したくらいなんだから、そりゃ、ざっくばらんだったろう……

イメージしてみてほしい。二次会で彼らが、裏事情(公になっていない真実)や、より一層の本音をもらしたであろうことを。

アテネの知識人社会の、頂点に立つ者らは、有名なヘタイライの家に集った。その様子を描き表した絵画などが、数多く存在する。

女性の中で唯一、男性と同じテーブルで食事をすることが許されていたのが、ヘタイラだった。

ヘタイラは、一部の男性がアクセスできない社会の情報にも、アクセスできたということ。人間は、変わらないところは変わらない。

また私の推測だが。

ヘタイラの中で人気に差をつけた要素の1つに、情報をもらさない・口がかたい人かどうかというのが、あったと思われる。(口の軽かったヘタイラの実例について、後で書く)

① 口から出す内容を吟味できること。
② 誰に・何を・どのようなあんばいで話すか。
③ いろんなことを話してくれるざっくばらんな人という印象をもたせつつ、実のところは、何一つもらしていない。

古代も現代もない、同じ。難易度はこの順で上がる。(主観)


前述したように。娼婦としての能力に加え、ヘタイラは、文化や機知で男性を楽しませることに長けていた。有名なヘタイラや高級とりのヘタイラほど、その技能が高かった。

ヘタイラの多くは、都市国家の征服後に奴隷となった、元・上流階級の女性たちだった。スタート地点が違う。それも事実なのだが、これも事実だった。競争は激しく、売春宿働きに転向しなければならないヘタイラがいたこと。一方、売春宿働きからヘタイラになり、より自由になった者もいたこと。

常に、研鑽を積む必要があった。

最も若いヘタイラに対抗する時、年長のヘタイラが、美を最大の武器としただろうか。そんなわけがない。何を自分のセールス・ポイントとしたのか、書かなくともわかるだろう。

1オボルで買える娼婦がいたのに対し、トップ・クラスのヘタイラは、3000オボルが相場だった。

アテネの通貨オボルの例

ヘタイラが高値で取引きされていたことは、彼女らに課税をする政策がとられていたことからも、うかがえる。


言うて、売春婦やろーーここまで読んで、そんな鈍感な人はいないだろうが、今一度。

社会のつくりが全く違う。教師になったりできない。レジ打ちの仕事についたりもできない。私は、職業の上下の話などしていない。選択肢のバリエーションなど、なかったのだから。

古代ギリシャの古典文献にて。

クセノフォンやプラトンは、女性は男性よりも劣っていると、ハッキリと語っていた。アリストテレスの『政治学』にも、こう記されている。本質的に、男性は優れていて女性は劣っている。男性は支配者であり、女性は臣下である。

中でもアテネは、女性に対して、最も厳しいレベルの態度をとっていた。

貧しい女性や奴隷の女性は、家事全般と乳母や助産師をしていた。遺体を清潔にすることなどもしていた。

こういう話の時、スパルタを例にとり、もっと自由な女性たちが存在していたことを語る人もいるが。スパルタの女性はスパルタの女性で、一種独特な「地獄」の中に、生きていた。


ヘタイラ級の娼婦になる以外では、宗教的な場面だけである。古代ギリシャの女性が、より複雑な役割を得れていたのは。

ギリシャ神話には、アテナやアルテミスなどの、強力な女神が大数登場する。そのおかげで。巫女として生きること。ここには、突破口があった。

まれなケースだが、高い教育を受け、芸術や科学に貢献した女性もいた。

プラトンに師事して哲学を学んでいた女性が、実在したという。しかし、彼女は、男装をしていたと伝えられている。

『ギリシャ哲学者に囲まれたアスパシア』
アスパシアについては後述する。

余談

花魁は高級娼婦、太夫は最上級芸妓、とハッキリ区別することは、正しいとは言いきれない。

当時の芸妓は、遊女の側面ももっていた。花魁はもちろんのこと、人気の遊女には、高い教養も求められていった。

間夫よりもマブに聞こえる、「まぶを信じて何が悪い!」の部分、私は大好きだ。

今回の主題からズレるようではあるが。私の本音中の本音は、こちらということで。余談だから許してほしい。

たとえ、できたとしても。男の裏の顔に気づけたり・男の策略を読めたりすることで、私は知機に富んでいるーーなどと悦に浸るのは論外である。男に騙されないことなど、心から愛する人や惚れこむ人ができることに比べたら、なんの自慢にもならないのだから。


娼婦の階級が区別されるようになったことは、ギリシャ社会の変化を反映していたのだろうと、考えられる。

中産階級が増加したことにより、以前よりも多くの男性が、売春のサービスを利用することができるようになった。

おそらくは、こうだ。
上流階級の男性らが、もしくは、彼ら向けの商売をねらった人らが、ヘタイラを生み出した。より洗練された、いわゆる高級娼婦という概念をつくり出した。これにより、上流階級は、中流階級と自らとの間に、一線を画すことができた。

あのくらいのレベルの奴らが抱いているのと、同じ女なんか、俺たちレベルの男が抱くものか?。やはり、人間は、変わらないところは変わらない。


売春は、ギリシャ社会の、公然かつ合法的な一部であった。

ハマりすぎると身を滅ぼしかねない、ほどほどにと。ギャンブルと同じような位置づけだったと思われる。

そのことは、一部の売春宿が国家によって資金提供されていたことから、推測できる。公営の売春宿があった。 


『アスパシアとしてのマリー・ブーリアールの自画像』

アスパシアという名のヘタイラは、修辞学の教師や著述家として、有名だった。

アスパシアとソクラテスは、かなり仲のよい友人だった。彼に最も影響を与えたのは彼女の教えだった、という説まである。

彼女は貴族の出身。アテネの政治家 兼 将官のペリクレスと恋仲になり、ずっと同居した。2人の間には、息子もいた。

同居 → ヘタライは通常、元捕虜の、自由な外国人(メティクス)だった。アテナイの法律により、市民の妻になることはできなかった。

ペリクレスとアスパシア

ペリクレスは、類まれな知恵と思慮深さを備えた女性であったがため、彼女に惚れこんだと。そう、伝記の中に書き残している。また、多くの著名な政治家が彼女の演説を聴きにきて、誇らしく感じたとも。

こうなるともはや。アスパシアがヘタイラだった時期があったことを(わざわざ)歴史に残したのは、ペリクレスの民主主義推進姿勢に反意をもつ、作家たちだったのではないか。などと勘ぐってしまう。


またフリュネの話になるが。

フリュネは、最も裕福な自力で成功した女性だった、という記録がある。

彼女は、アレクサンドロス大王によって破壊されたテーベの城壁の再建に、資金提供をすると申し出た。

その条件として、「王によって破壊されたが遊女によって修復された」という言葉を刻むようにと、要求した。

さすがに断られた。

この時、アレクサンドロスは、「妻や側室にどう説明したらいいか、という問題もあるし」と言い足したらしい。そこ?と思う。不可解な発言だ。そもそも、フリュネは、あまりにも大それたことを言っていた。怖くなかったのか。

彼女は、王とも、肉体関係をもっていた可能性。恋人はサンタクロース (?) ならぬ、愛人はキング。彼が私を処罰するわけがないという、確信があったのではないだろうか。

変な話を出してごめん。アレクサンドロス。

『ギリシャのヘタエラ』

タルゲリアという名のヘタイラは、通算、14回結婚(事実婚を含む)した。バツイチやバツ2くらいなんだ。悩むんじゃない。バツ13の女がいるんだぞ。笑

関係をもった相手の中には、第一次ペルシャ帝国を建国した、キュロス大王も含まれていた。

彼女は、どうやら、スパイであった。

報酬目的などではなかったようだ。彼女は、ギリシャに暮らしながら、かなりの親ペルシャ思想の人物だったのだ。ギリシャ人の恋人らから情報をひき出し、それをペルシャ人に伝えていた。

13回離縁された理由がわかった気がする。笑

古代ギリシャ人にとって、彼女の名前は、「裏切り者」の代名詞になった。

教養があるどころではない。このように、政治的な思想までガッツリあったヘタイラもいた。


フィラエニスという名のヘタイラは、想い人に求愛する際の正しい方法を説く、マニュアルを書いた。いわば、恋愛指南書だ。

誘惑のテクニックや、性行為の体位について。望まない妊娠を避ける方法や、化粧品の有益な使い方なども。

彼女が本当にこれを書いたのか、実は、定かではない。こういうペンネームを使い、男性が書いたのではないか、という説がある。

そうであるなら、現代のSNSと同じで、笑ってしまう。

自身を女性であるとして、恋愛テクニックの紹介をするオジサンは、謎にたくさんいる。政治系や投資系の発信も。オジサンとオジサンがイチャイチャするという、怪奇現象がよく見られる。

好きなものが皇室しかない厚切りジェイソン女子
「乙女心」の幅の広さに笑う。

アルケアナッサという名のヘタイラは、高齢女性でありながら、青年たちを魅了していた。

以下は、若き日のプラトンがアルケアナッサにあてて書いた、愛の詩である。

私には愛人がいる
そのシワの上に熱い愛がある
私と同じような愛の初航海をした者たちよ
君らの中でも炎が燃え上がったに違いない

私はヘタイラのアルケアナッサを抱いている
彼女のシワの上にも甘いエロスが座している

私の勝手なイメージ

さまざまな文献の中で、ヘタイラたちが、男性陣から、身体的暴行や性的虐待を受けていた様子も確認できる。

真っ裸でアクロバティックな姿勢(股を見せたりするような)をとらされ続けたり。男衆は、その姿をながめながら、ワインを飲んでいた。


最後に。

パンドーラーは、ギリシャ神話に登場する女性だ。最初の女性で、神々によって創られ、人類の災いとして地上に送り込まれたとされている。

パンドーラーの “箱” に残った、エルピスをどう解釈するかで、物語の理解がわかれる。

「期待」「希望」

そこには、主に災厄がつまっていたことから、エルピスを悪いものだとする解釈もある。

「悪いことの予期」

女とは、女神なのか魔女なのか。
あなたにはどちらに見える。
あなた次第で、女は、そのどちらにもなり得る。
こんなふうに考えてみるのは、どうだろうか。

ちなみに。パンは「全てのもの」、パンドーラーは「全ての贈り物」を意味する。


今回の話が好きな人には、これらの回あたりも、オススメ。