本能寺の変1582 目次小 9光秀という男 4教訓 第59話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
目次小 9光秀という男 4教訓 第59話
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第59話
光秀は、土岐の歴史から教訓を得た。
一、主君ならばこそ、油断すべからず。
一、頼むべきは、己の力ただ一つ。
一、判断を違えれば、消滅する。
光秀の脳裏には、常に義満と信長があった。
光秀は、土岐康行を、自身と重ね合わせた。
光秀は、粛清を怖れていた。
⇒ 次へつづく
目次小 9光秀という男 5斎藤氏の盛衰 第60~61話
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