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本能寺の変1582 目次小 13上総介信長 7弟、信勝の謀叛 第108~109話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 13上総介信長 7弟、信勝の謀叛 第108~109話 

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 第108話
  
信勝に、謀叛の噂が立った。            『信長公記』
  信長は、那古野城に出向いた。           『信長公記』
  林兄弟は、信長の殺害を企てた。          『信長公記』
  林兄弟の謀叛が明らかになった。          『信長公記』
  信勝が敵対行動に出た。              『信長公記』
  信長は、名塚に砦を築いた。            『信長公記』
  信勝方は、千七百余。               『信長公記』
  信長の御人数、七百には過ぐべからず。       『信長公記』

 
第109話
 
☆稲生の合戦。                   『信長公記』
  敵は、信長の気迫に圧倒された。          『信長公記』
  信長は、自らの手で林美作を討ち取った。      『信長公記』
  信長は、勝った。                 『信長公記』
  翌日、首実検。                  『信長公記』
  信長は、那古野城と末盛城の城下を焼払った。    『信長公記』
 ☆信長は、信勝を赦した。              『信長公記』
 ☆信長は、林秀貞を赦免した。            『信長公記』
 ☆信長は、執念深い。



 ⇒ 次へつづく
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