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本能寺の変1582 目次小 15信長の台頭 9光秀と長宗我部元親 第146~147話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 15信長の台頭 9光秀と長宗我部元親 第146~147話 

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 第146話
 
☆長宗我部元親が石谷光政の女と婚姻した。      「土佐物語」
  元親には、理由があった。             「土佐物語」
 ☆元親は、斎藤利三の義弟になった。         「土佐物語」
 ☆斎藤利三は、後に、光秀の家臣となる。       「土佐物語」

 
第147話
 
☆元親は、やがて、土佐を平定する。
 ☆元親は、さらに、四国統一を目指す。
 ☆同じ頃、信長は、本願寺攻めに苦戦していた。
 ☆阿波の三好氏は、信長と元親、共通の敵であった。
 ☆信長にとっても、好都合。
 ☆元親は、信長に誼を通じる。
 ☆その橋渡しをするのが、光秀である。
 ☆これ以後、光秀が元親の取次となる。
 ☆元親、四国制覇へ向かって、破竹の進撃。
 ☆本願寺の勢力は、この頃がピークだった。
 ☆元親は、十分、時間があると思っていた。
 ☆光秀、丹波を平定。
 ☆光秀、絶好調の時期。
 ☆全て順調、うまく行くかに思えた。
 ☆しかし、ここで、状況が一変する。
 ☆本願寺、降伏。
 ☆信長、方針を変更。
 ☆四国停戦令、発令。
 ☆信長は、初めから、そのつもりだった。
 ☆光秀も、これに同じ。
 ☆光秀は、元親がわかってくれると思っていた。
 ☆元親は、こうなることを覚悟していた。
 ☆元親の不満 → 反発。
 ☆元親は、出来るだけ時間を引き延ばそうとした。
 ☆光秀の説得は、 暗礁に乗り上げた。
 ☆そして、天正十年1582へ。
 ☆一月、光秀は、石谷頼辰を土佐へ派した。
 ☆五月、石谷頼辰、未だ帰らず。


 ⇒ 次へつづく
   目次小 15信長の台頭 10三好長慶の死 第148~150話 


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