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本能寺の変1582 目次小 9光秀という男 2立入宗継の証言 第53~54話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 9光秀という男 2立入宗継の証言 第53~54話 

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 第53話
  
「立入左京亮入道隆佐記」
  前代未聞の大将なり。         「立入左京亮入道隆佐記」
  立入宗継は、歴史の証人。       「立入左京亮入道隆佐記」
  光秀は、土岐氏の家臣だった。     「立入左京亮入道隆佐記」
  弓取りはせんじてのむへき事に候。   「立入左京亮入道隆佐記」
  光秀は、随分衆だった。

 第54話
  
立入宗継は、朝廷の御蔵職。
  立入宗継は、光秀のことをよく知っていた。   「立入宗継文書」
  光秀は、美濃の出身である。      「立入左京亮入道隆佐記」
  光秀は、美濃に親戚がいた。            「兼見卿記」

 


 ⇒ 次へつづく
   目次小 9光秀という男 3土岐氏 第55~58話 


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