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#旅行記
私欲で始めるボランティア ~インドのフリースクールでの出会い~
昨年から地元の小学生が集まる施設でボランティアをしている。
そもそもはとある不登校の中学生との出会いだった。その子と話しているときに、その子含め何かしらの形で子どもの力になれればと思った。またシンプルに昔から子どもといる時間が好きだ。実際大学時代も児童を対象としたボランティア団体に顔を出していた。だから、私欲ではあるがそんな時間も欲しかった。
その施設に初めて伺ったとき、スタッフの一人から「なぜ
インドの大根畑と「目に映るすべてのことはメッセージ」
ここ、大根畑なんだ。
そんな感動はタージマハルを見たときより大きかった。
私も、インドの人も大根を育てて食べている。それ以上でもそれ以下でもない事実が、なぜか嬉しい。
学生時代のある日「まだ分からないかもしれないけど、知性はセクシーだから、今のままの君で居てね」と言ってくれた人がいた。40歳手前だという彼とは旅先の沖縄で出会った。当時、私は大学院の修士課程を終えようとする頃だった。
30歳を
だから、何やねん 〜ガンジス川と『朝のリレー』に寄せて〜
空は繋がっている、とあの歌は言う。
だから、何やねん。
いつの日だったか、カムチャッカの若者はきりんの夢を見ていた。そしてメキシコの娘は朝もやの中でバスを待っている。
そんな彼らと小学校の教室で出会った。国語の教科書の硬い表紙の裏側に彼らは住んでいた。
当時、故郷の大阪に居た。小学生の私の空がどこかの空と繋がっているなんて露とも思わなかった。
というよりむしろ、空はもはや校区内に限られていた。
甘すぎる麦茶とミャンマー旅行
記憶は味に宿る。
思い出せない異国での日々最近とあるお笑い芸人が、学生時代に足しげく通った中華屋の味によく似たつけ麺を見つけたらしい。そのよく似たつけ麺を食べると、人生でほとんど思い出していなかった学生時代の記憶が雨あられのようによみがえってきたという。そんな話を耳にした折、
とふと学生さんに尋ねられる機会があった。一番と言われると案外難しい。印象的な思い出はどこの国にも、沢山あるはずなのに。
「よく生きてた、乾杯」〜充電切れ&紙地図で辿り着いたのは酷道439号線の最難関・杓子峠でした in 高知・原付旅②〜
国道という字面に安心したのが、馬鹿だった。
スマホの充電0で迎えた19時前実家付近の国道1号線は、たしか4車線近くあったように思う。だから国道なら大丈夫だろうと、四万十市のTSUTAYAで地図をみていた。
高知の原付旅の二日目。カツオを食ったり、海沿いでブラブラし過ぎたせいたせいで、日が暮れてしまったのだ。9月半ばの19時前は、もうすでに真っ暗で。
それでも私はこれから、今いる四万十市・中村