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学術的(?)、研究者的(?) 考察

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#五感

日常の一瞬一瞬をこそ大事にする

日常生活の一挙手一投足をまず大事にする。一瞬一瞬をでき得る限りを尽くして生ききること。これこそが、初めて自分の人生を形作っていきます。 ですので、例えば、噛むこと「も」ではなく、噛むこと「を」大事に満喫すると、それだけで人生の質はいつの間にか向上します。騙されたと思いやってみてね

ちなみに、「噛む」ということの効力を別の角度からお話することもできるのだが、「立つ」「歩く」「噛む」・・・・こんな当

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「視覚障碍」「見える・見えない」「見ることができない」とは、どういうことか

「見る」に対して「見えない」という対比的に言葉を浮かべてしまうのだろうと思う。
視覚障害者は、「見えているのか」「見えていないのか」というような白黒はっきりしろというような目で見られることが非常に多いようだ。

つい、「見える」という言葉で表現されるから、対比して「見えない」が出て来て、頭がどうしてもどちらかにわけたがるのだろう。
これは、顕在意識の特徴というものでもある。

「これ見える」「あれ

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生活で視力を使えるとはどういう状態なのか―私が誤解されやすいところ・困っていること

私の、困っていること。
そして私自身の特徴でありながらも、それを家族にすら(いや、逆に近く長い付き合いの人であるほど、逆にひたすら隠し誤魔化してきてしまったがために)わかってもらうことがひどく難しいことについて、綴ってみたいと思います。

私は、ながらく、視覚障害であるとは思われていなかった時期がありました。
しかしながら、だからといってそれまで「視覚」で生活をしてきたかというとどうもそうではなく

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「痛い」「眩しい」という言葉の一般的語弊

つい先日、私の主宰コミュニティで、ゲストも交えての座談会の収録を行った。
第1回目として、まずは、私自身の「視覚」の状態について。

私は、「眼球使用困難症」という呼び方をする他ない、という、要するに国の判断基準には当てはまらないが「視覚」自体を使うことが実質困難な、文字通り「眼球(というより視機能)使用困難状態」であるわけだ。
この辺りについては私の過去の記事をお読みいただきたい。

さて、とこ

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でき得るならば遊んで暮らしたいひとへ―「遊ぶ」の本当の意味

唐突に聞きます。

人生、遊んでいたい人、
もしでき得るならば遊んで一生涯暮らしたい人、

この記事を見ているだけなら誰にも見えていませんから、頭で、もしくは心の中で、頷いてください。

かくいう私も、そうです。

いや、人生遊びたくなんか、ないよ。
というかたは、あまりいないのではないかな?
もしいたとしたら、それは「遊んではならない、遊ぶわけにいかない」と思っておられるか、「遊び」という言葉の

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人生の可能性を拓く人、不利な人生を歩み続ける人―人生の勝負は、どこで決まる?

勝負は、その勝負の前についている。-升田幸三

有名な棋士の言葉です。
ちなみに、この人の他の有名な言葉として、「錯覚いけない、よく見るよろし」などという言葉もあるとか。

「外界」に現れる結果・勝負は、その勝負の前についています。
そして、今は科学的な実験などにおいても、例え顕在意識ではどうでもよく何気なく選んだようなものであっても、実は顕在意識が「こちらを選ぼう」と思うより前に、既にそちらを選

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胎児に意識はあるのか?

面白い議題をいただいたので、少し、あくまで個人的に、考察してみたい。

ただ単に、「胎児に意識はあるのか?」という言葉を投げかけられると、
それを考えるためには、「では、そのあなたの言う『意識』『意識がある』とはどういうことですか?」というところをはっきりさせる必要が生じてくる。

物事、疑問などを提起するとき、その提起者自身が自分の使っている言葉の意味をそもそもどこまでしっかり自覚できているか、

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私のカウンセリングやセラピーを受けられるかた、検討されるかたへ―心理療法の対象

私のカウンセリングや心理療法を受けられる場合(基本的にどこのセラピストの心理療法や身体アプローチ療法でも同じだとは思うのですが…)、こういうクライアントさんを対象としていますよ、ということを、記事としてみます。

まず、前提として、前回、心理療法と医療行為の違い、という点をある一角度から記事にさせていただきました。心理療法とはまずこういうものですよというところ。

なので、まず、クライアントさんが

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音楽も心理カウンセリングーこの歴史上のすべては「体感」から始まる

実家で少々面白い話を。

音楽家ではないが趣味としてギターや笛などを演奏する父より、その場にいた音楽家である母と私に向けて、「弱起(アウフタクト)の曲と通常の曲はどうやって区別するのか」と聞かれた。

弱起(アウフタクト)とは1拍目からメロディーが始まるのではなく、その少し前の要するに3拍目や4拍目から始まる曲のことを言う。その説明はまあいいのだが、そこで思うことが、

曲の「1拍目」を感じること

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24時間365日繰り返される”セルフトーク”―あなたの人生は常に改造し続けられている

世の中には、ありとあらゆる医療、心理療法や身体的アプローチの技法がある。

そして、その中でも、今までの記事でも何度か書いているが、催眠療法というのは、潜在意識(ひとや人の人生日常の実に9割以上を占める部分)を扱う理論であるため、それら総ての技法、理論に根底で繋がるものだ。

世の中の多くの人は、ご自身の人生で身体や精神に何か自覚として不調を感じたとき、やっとのことで、専門家にかかろうとする。

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自分、人間関係、世界…外界に対して疑問や不快を持ったことのある人たちへ

自身の五感の性質、システムを勘違いしているがために、人間関係や人生で嫌な思い苦しい思いを自分から引き寄せてしまっている人が、そしてそれを相手との関係のせいだ、相手がいるからこうなっている、環境に振り回されてこうなっているのだ、と思い込んでしまっているがゆえに更に本人に不利で不要な苦しみや不快な感情を引き受け背負いこんでいる人が、あまりにも、あまりにも、あまりにも多い。

…まあ…五感だけでなく、自

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「身体の声」「本当の体感」「自分自身と繋がる」とは

ある方が、こんな発信をされていた。
この方は、セラピストではない。しかし、私が体系化してクライアントさん達にひたすら伝えている真髄と本当に共通するものを、まるで私の代弁をして下さっているかのように私には感じてしまうほどに、見事に短い言葉の中で表現されている。
今回も、本当に通ずるものを深く感じたので、引用させていただこうと思う。

「『内臓感覚』を忘れてしまった人が多すぎる。
内臓感覚って『胃が痛

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人生は、「目の見えない世界での道」

俺とて未だに、人と話す時、所詮結局この器の声帯を通したこの器の声としてしか聞こえていないのだということにある種のショックというのか、再認識することはある。

なぜなら通常人が自分の話す声を聞こえているのと同様に、俺も交代人格時代から自分の話す声も聞こえているわけだから。
(内部で話していた時は交代人格としての己の声が聞こえていたし、器の意識を持っている時は個人の声と器の声と両方の声を認識していた)

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世界や自身への認識がひっくり返る

私とセッションを共有していると、受講生も含め、クライアントさんたちは、私と会うたび、話すたび、どんどんどんどん、認識が変化していく。個々の中に、新たな世界が開けていく。

そして、中でも不思議なほどに、面白いほどに、特徴のひとつとしてあるのは、
その人が今まで思っていた、無理やり言葉で表現するならば「これが世界だ」「これが世の中の常識だ」「これが心の世界の常識だ(心とはこういうものだろう)」「あた

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