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考えたこと

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内部構造理解

内部構造理解

表現する対象の内部構造理解(身体的、精神的、歴史的)の深度が、
すなわち作品の完成度に直結すると考えると、
確かにその通りだろうなと感じるが、
いったいどれだけのクリエイターがこういうことを考えているのだろうな、と思う。
飲食も、というか価値提供者すべて。

デッサン人形を相手にしているわけじゃない。

”懐かしさ”に連れられるものについて

”懐かしさ”に連れられるものについて

2020年9月17日の日記から

昔遊んだことのあるスーパーファミコンのゲームを、switchで遊んでいた。BGMやSEを聞くたびに懐かしさを感じるのはどうしてだろうか。
この懐かしさはどこから来るのだろうか。
”懐かしい”という感情が、過去の情景を愛しいものとして思い出した結果生まれるものであるなら、自分は過去を愛しいものとして捉えていることになる・・?

そんなことあるのか。
自分の過去を恥ず

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"嫌い"が"好き"を育む

"嫌い"が"好き"を育む

晴れの日は好きだが、雨の日は嫌い
けれど雨の日も適度になければ、私の別の"好き"が不足することになる
おいしい果実、潤いのある自然

こういう意味で、私の"嫌い"が私の"好き"を育み、維持していることはいつも考慮しておくべきだ。
忘れてはならない。

オーラの定量的評価

オーラの定量的評価

”オーラの存在”というなんとも感覚的な、不可思議なものを確かめたくなったら、牧場に行くと良いと思っている。
そしていろいろな動物と触れ合ってみる。

そうこうしているうちに、次のことがなんとなくわかってくる。
「ああ、動物が近寄ってくる人とそうじゃない人がいるものだなあ。」
ウサギ小屋やアヒル小屋など、たくさんの動物と触れ合える場所に行ってその数を計測してみれば”オーラの定量的評価”として何かの参

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食べられたものの意識は残るのか

食べられたものの意識は残るのか

食べられたものの意識は、動物や植物の意識は
消えるんだろうか、残るんだろうか?
食べられたことがないからわからない。

もしかしたら、自分が意識できていないだけで、実態はこんな感じになっているのかもしれないと思うと少し恐ろしい感じもする。
ハガレンのエンヴィーの姿のように。
(過去にその命を取り込まれてしまった人間たちの、かすかな意識が残っている。)

          『鋼の錬金術師』(C)荒

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「五感の共有」と「思考・思想の共有」の耐えられない対比

「五感の共有」と「思考・思想の共有」の耐えられない対比

「これいいよ、あなたにもぜひ試して欲しい」
”自分が本当に良いと思ったものだから、大切に思う人にもぜひ伝えたい”

こうした気持ちは僕の中にも常にあって、例えば本当に美味しいコーヒーを出してくれる京都の喫茶店Windyさんのことはたくさんの人に紹介したし、東京から遊びに来てくれた友人たちを連れて行く場所になっている。

彼らはコーヒーの味だけでなく、お店の雰囲気やBGM、マスターとの会話など五感で

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続・「教養としての〇〇」って本への違和感

続・「教養としての〇〇」って本への違和感

以前書いた記事の続きということで。

今回の結論(先に書いておく)「教養としての〇〇」に対する嫌悪感は、100円ショップで買ったものを全身に纏って、それっぽく振る舞おうとしている、そしてそうさせていることへの軽蔑からきている。

こんな本をありがたがって読んでなんかいないで、
見ろ!聴け!読め!
そうする中で、自分の心に起きた変化を感じろ!
そしてそれを書き留めて、できるだけ具体化しろ!
これを繰

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幸せとは

幸せとは

「幸せ」とは、自分が直接的であれ間接的であれ関わってきた他人の不幸を思わずにいられる、そんな状況であることが大前提としてある。と思う。

例えば、過去に交通事故で人を怪我させたり死亡させてしまったとして、その後の人生において自分や自分の家族だけ幸せを感じていいのか?という話。

休日に家族と公園で遊んでいて、「ああ、幸せだなあ。」と思うその瞬間、

「あの家族は今頃どうしているだろうか・・」

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自己を見つめる

自己を見つめる

自分の本当の姿が見つけたかったら、自分というものを一切見失うまで、自己解析を続ける事。中途で止めるなら、初めからしない方が有益である。途中で見つける自分の姿はみんな影に過ぎない。
小林秀雄 「手帖Ⅰ」

自己同一性(アイデンティティ)の解像度を高めていくこと。
これが自己解析だと思っている。

その過程では、外的自己と内的自己の激しい擦り合わせが起きる。
本物の強さや自分が望む本当の人生は、これら

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「教養としての〇〇」って本への違和感

「教養としての〇〇」って本への違和感

歴史やワイン、投資などなど。
ググってみれば、「教養としての」という冠をつけた本が色々出てくる。

このタイトルに惹かれて購入してしまう消費者層が、それぞれの分野に本当に興味を持って心から楽しんでいる人たちと”ちゃんと”会話することができるのだろうか?

全ての知識が表面的なものに留まってしまって、
「Aを知ってるんですね!?
てことは、A+についても??」
という感じで一つのテーマを深掘りしてい

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目隠しをして生きている

目隠しをして生きている

ビジネスアイデアを考えるとき、はて、自分が興味を持ったその分野の登場人物はどういう悩みや課題を持っているのだろうと考えることになる。

なんだろなーなんだろなー、と外野から眺めていても、彼らの本当の悩みは見えてこない。
見えるはずがないのだ。
なぜなら、本当の悩みは隠されているから。
なぜなら、無意識にでも隠さなければ、前向きに生きていくことが難しいから。
それらを直視していられるほど、人間の心は

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心は息をしているか

心は息をしているか

この愛くるしい日々の
この中に囲われて
脱皮することを
いつの間にか忘れてしまいそうになるその境目に
タッチしているのではないか
善く生き、生きて生き通す
そうじゃなければ、死
心が腐れば、だらっとした幸せさえ続かない

「よいしょ〜」て言う時・言わない時

「よいしょ〜」て言う時・言わない時

電車に乗ってて、次のことを目にし耳にした。

目の前の座席に、若い男女が座った。
座るとき、女性が「よいしょ〜」と声を出した。

「よいしょ〜」は自然に発せられた。
隣の男性も特に気に留めた様子はなかった。
ここで何となく疑問に思ったことがある。

・この女性は一人で電車の座席に座るときも「よいしょ〜」と言うのか?
  これは勝手な考えだけれど、たぶん言わないんじゃないか。
・どうして言わない? 

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表現活動をしている自分がなんとなく自然なんだ

いま、具体的なゴールが見えているわけでない状態で物書きをしている。
絵を描いている。

身体が自然に動いてしまうからだ。
何か表現したい対象がほわっと浮かび上がってくるもんだから、それを捉えたくて形に残している。
ただそれだけのことをしている。

これの延長線上に何を見ているわけでもなく。
小林秀雄も、自分が書きたいものを書いていたら、自分のことを世間が小説家でも詩人でもなく批評家として見ていたに

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