食べられたものの意識は残るのか
食べられたものの意識は、動物や植物の意識は
消えるんだろうか、残るんだろうか?
食べられたことがないからわからない。
もしかしたら、自分が意識できていないだけで、実態はこんな感じになっているのかもしれないと思うと少し恐ろしい感じもする。
ハガレンのエンヴィーの姿のように。
(過去にその命を取り込まれてしまった人間たちの、かすかな意識が残っている。)
『鋼の錬金術師』(C)荒川弘/スクウェア・エニックス
そう思うと。
自分が食べた命の意識が身体には残るのだと思うと、つい考えたくなることがある。
例えば牛肉ならば、どんな育ちや屠殺をされた牛を食べようか、食べたいか。
幸せな生涯を送れた牛か、劣悪な環境で苦しく生きた牛か。
こんなことを思うと、フォアグラなんか食べない方がいいよな、なんてことも頭をよぎる。
グロすぎて画像を掲載することも憚られるような飼育方法、飼育環境。
あーあ。
スーパーに並んだ肉を見ても、その肉の形しか見ないんだよな。
その肉の元の形やその唯一無二の個体がどう生きたか、とかその命に感謝とか、いちいち思うことなんかしない。
目の前の肉を、どう調理したら、どんな美味しい料理ができるか、それだけのことをクックパッドを見ながら考える。
これがフツーで、これでまあいいんだろうけれど、わかる人には、わかるのかもなあ。
自分の身体に、生き物の悲しみの意識がまた一つ埋め込まれてしまった、なんて、そんなことが。
知らんけど。な話なんだけど、こんなことを考えてみることで、もう少しでも生き物に優しくなれたり感謝できたらいいなとは思うんだよな。
おわり。
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