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自己を見つめる

自分の本当の姿が見つけたかったら、自分というものを一切見失うまで、自己解析を続ける事。中途で止めるなら、初めからしない方が有益である。途中で見つける自分の姿はみんな影に過ぎない。
小林秀雄 「手帖Ⅰ」

自己同一性(アイデンティティ)の解像度を高めていくこと。
これが自己解析だと思っている。

その過程では、外的自己と内的自己の激しい擦り合わせが起きる。
本物の強さや自分が望む本当の人生は、これら2つの自己が一致したところに生まれるんじゃないかと思う。
その時の自分が「善」になるか、「悪」になるか。
やってみなければわからない?どうでしょう。
環境に依るところも大きいかもしれない。
家族や恋人、友人の存在。

去年、長距離のランニングをしている最中にこんなことを考えた。
「どうして一人で酒を飲む時があるのか?」
1人で飲む酒というのは、こういうものなんじゃないか。

普段は粋がって強くあろうとしている心を懐柔し、その仮面の裏側へ、引き剥がした奥の世界へ、地下の世界へ行くためのもの。
そうしてちゃんと自分と向き合い、対話し、外的自己と内的自己を擦り合わせる。
これを繰り返すことで、自己同一性の解像度を少しずつ高めていく。

色々な物事との接触のなかで、心は色々な反応を起こしている。
森の中で綺麗なネモフィラをふと見つけて、知らず知らずに感心していた自分を振り返れば、ああ、おれという人間はネモフィラに心を惹かれる性質を持っているんだな、そうなんだな、と気付く。
また、「どうしてネモフィラにあんなに見入ったのだろう?」と考えれば、それに連鎖して他にも気付くこともあるかもしれない。
過去の記憶が引っ張られることもあるかもしれない。

人によっては、同じ景色を見ていてもそこに花があることすら気が付かないこともある。
目に映ることと、認識することは大きく違う。
自分という人間は、そこに花があったとしても気が付かない人間なんだな、そうなんだな、と気が付くことは少し難しいかもしれない。
自分とは別の、他者の視点が必要になるからだ。

自分が本当にやりたいことはなんだろう?
この問いの答えに辿り着くためには、
心に引っ掛かってきた対象にとにかく手を出してみることが重要なんだと思う。
そしてその時の心の反応を確かめること。
これを繰り返して行こうと思う。

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