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『ピノキオ』(原作)を我流で解説する。

児童小説『ピノキオの冒険』は、1883年に、トスカーナ大公国のカルロ・コッローディ(これはペンネーム)という作家によって書かれた。

トスカーナ大公国は、今はなき国家。その国家のあった辺りは、現在、イタリアのトスカーナ州。

他の、我流で解説シリーズ。


ディズニー・アニメ版の内容を確認したい人は、下のリンクから。のっけから他力本願で、申し訳ないが。文字数がいきすぎるため。

2022年のディズニーによる実写化は、一部の人たちの反感を買った。私は観ていないのだが、炎上した理由は知っている。

ブルー・フェアリーの見た目の印象は、人々に深く刻まれていて、当然、ブロンドの白人女性が演じるものと思われていたのだろう。個人的には、大の大人がそんなに怒らなくとも……と思うが。

コドモオトナによる “伝説の” 憲法クイズ

うるさいから黙ってもらえますか、小西さん。
子どもみたいですよ、あなた。

『ピノキオの冒険』は、実写化を含め、これまでに何十回も映像化されてきた作品だ。別に、いろいろな表現があって、いいではないか。

怒るのなら、こっちに怒ってはいかがか。世界には、ピノキオをモチーフにしたポルノなどというものがある。内容に対して、嫌な予感しかしない。原作者も、さすがに、これには悲しむだろう。


原作者は、50代になってから、子供向け作品を書きはじめた。それまではずっと、政治記事や風刺を書いていた。

子供用の新聞に連載された、人形の物語の冒頭は、こんな感じだった。

昔々あるところに……「王様が!」
私の小さな読者たちは、こう続けるだろう。
子供たちよ、そうじゃあない。
昔々あるところに……木片がありました。

最後まで読めば納得してもらえると思う。
『ピノキオ』と『ドラゴン桜』は同じジャンルだ。

原作でもピノキオはウソをつくが、それは、彼の数々の「悪いところ」の1つにすぎない。

顔に鼻があるのは誰が見ても明らかなこと。
嘘をつけばそれはどんどん大きくなっていって、
いずれ、そのくらい隠せないものになるの。

生まれた瞬間(ゼペットがピノキオを誕生させた瞬間)、家出。表でさまざまな騒動を起こす。

それをとがめて、家に連れ帰ろうとしたゼペットの方が、逮捕されてしまう。完全に誤解だが、児童虐待を疑われて。

ピノキオは、うるさい親がいなくなって自由に暮らせると、ゼペットの逮捕を喜ぶ。


ところが。今度は、人語をあやつるコオロギが現れ、お説教をしてくる。この世界で正しく機能するためには、学校に通うか・働くかしなければならないと。

イラッときたピノキオ、ジミニーを木づちで殺害。

かんしゃくを起こす様子は、なかなか凄まじく。誤って殺してしまった旨の記載があるが、物を投げただけで殺す気はなかったーーでは通らない感じなのだ。直後に、しれっと料理をしようとするし。😅

原作では。亡霊になったジミニーが後々現れて、まだピノキオに助言をする。そんな〜もういいって〜。

これでやっと好き勝手にやれると。しかし、生まれたてで、独りで生きていけるわけもなく。

近所の家をのぞけば、不審者かと疑われ水をかけられる。木と火を近づけたらどうなるかもわかっておらず、足を焼失してしまう。怖。

身動きがとれなくなっていたところに、釈放されたゼペットが帰宅。新しい足をつけ直してくれる。


さすがに感謝したピノキオだが、次は、空腹をうったえる。

ゼペットに朝食をゆずってもらっても、特に礼もいわない。早くその果物の皮をむけと、催促する。待っていられず、結局、皮も芯もむさぼる。

作中でピノキオは、終始、飢えの恐怖にさいなまれる。

後半で詳しく書くが。作者の人生の苦悩が反映されて、このような内容になったことは、明らかである。

「ナイフで身を切られるほどの空腹」という文言が出てくる。作者は、木の人形でも痛覚があることを、ところどころで強調している。そんな気がする。


誰もが慢性的に空腹である世界では、食べられる危険性もある。

『BEASTARS』のこのエピソードは、私に、原作ピノキオの世界観を彷彿とさせる。友人をかばったことが生死を左右した点など、この後に紹介する話と、とても似ている。

原作者に見せてあげたかった。まさに私の伝えたいことだ!と、喜んでくれそう。


夕食に肉を焼くために薪を必要としていた人形遣いが、ピノキオを火の中に投げこもうとする。

イタリアの、ピノキオで有名な街には、この人形遣いの名前の飲食店があるそうだ。ピザ屋のような、釜のある店だったら?想像してみた。けっこう辛口のブラック・ジョークな気が。笑

このキャラクターは、案外やさしいところがあるのも、描写されている。ピノキオの家庭事情(貧困)を知ったり、彼が人形の友人をかばうのを見たりして、金貨を与えて解放してくれた。

だが、私は個人的に、こちらの表現の方が気になる。→ ピノキオにミスターやナイトと呼ばれても、聞く耳をもたなかった人形遣いが、閣下と呼ばれると満足する。


また、ある漁師は、ピノキオに小麦粉をまぶし、フライパンで揚げようとする。

これは、無知な者は犯罪をおかしやすい、という表現だといわれている。無知?魚介類と間違えてるってこと?それはなかなか……笑

ピノキオに困っているところを助けられたことがあるマスチフ犬が、恩返しにと、ピノキオを救出する。


ピノキオは学校へ通うことに。(無知だと、犯罪者になったりしてしまうかもしれないからね)

ゼペットが、自分の服を売ったお金で、教科書を買ってきてくれる。

通学路には誘惑がいっぱい。

自分も人形なのをよく理解していないのか、人形芝居小屋を観たくてたまらないピノキオ。教科書を売って、チケットを買っちゃおうかな。

そんなことを考えてふらふらしている間に、人形芝居小屋を営む人間に、捕獲される。彼は特別な人形なのだから、当然、その可能性はある。

いかにもわかってなさそうな表情で草。

言うほど危なくない。私も、それはわかる。

新宿区に住んでいても、=で、危ないわけでは全くない。アメリカに住んでいた時でさえ、=で、危なかったというわけではなかった。

しかし、用心しなくていいという理由も、どこにもない。危険なことにまきこまれる時、私はあと5分で危ない目にあうなどとわかっている人は、誰もいないのだから。


キツネとネコが、ピノキオから、金貨をだましとる。足が悪いふりなどのうまさから、詐欺の常習犯であることが、うかがえる。

だます方が悪い。それは間違いないが。奇跡の畑にコインを植えれば、金貨が生える木に成長するなどという話を信じこむ、ピノキオも悪い。

自分自身が、奇跡の木から生まれた特別な人形だから、信じてしまったーーだとか。擁護してあげたいのは山々だが、ピノキオは、そこまで考えていない。

こんな感じの話に、リアルにだまされている現代人は、ゴマンといる。

先に言っておく。この2匹は最後にピノキオを殺す。

ピノキオは法にうったえる。

サルの裁判官は、「年長者・あごひげ・金縁メガネ(実はレンズが入っていない)」があるために、尊敬されている。富や権力を誇示するための、空虚なものを示唆している。

司法制度に多くを期待しないように、という警告でもある。

ピノキオは、犯罪の被害者になったという理由で (?笑) ろうやに入れられる。刑務所全体に恩赦が発令された時には、犯罪者ではないので対象外だと言われる (??笑笑)。


今度こそ学校へ通い、勉強に専念していると。

友人が、遊んで暮らせる国へ行くと言い出す。ピノキオも、その友人について行ってしまう。なんと、そこに5ヶ月も滞在。

だまされてやってきた怠け者の子を、ゆくゆくはロバに変えて売りとばすという、人身売買だった。

ディズニーアニメ版もここはけっこう怖い。

ここに長くいると、謎の熱病にかかり、ロバになるのだと。突拍子もないが、これ(ロバ)にも、ちゃんと意味がある。後ほど解説する。

ロバになった子どもに、サーカスで芸をさせる。弱って使いものにならなくなれば、太鼓の皮にするのだとか。「骨までしゃぶられる」ことを表現しているのかもしれない。

ちなみに。物語終盤で、『千と千尋の神隠し』のように、ピノキオが、元友人現ロバを見分けるシーンがある。そして、たらい回しにされていた友人を救い出す。ピノキオ、グッジョブ。


太鼓の皮ってwと笑わずに、まじめに、考えてみてほしい。これも、現実におきかえれる。→ 臓器の密売

去年の記事。SNSでも話題になっていた。実態を知りながらも、宣伝に協力していたか?(真実は闇の中)という女性を、私も覚えている。

マクロな話。同じ女を地獄の底に堕として、高笑いできるような女は存在する。シャレにならない危険は、本当に、すぐそこに存在する。

ポイントは、あなたが一線を引けるかどうかだ。それが大きな違いだ。喰われちゃダメだ。


コオロギの亡霊が言う。「お前はいいカモだ!ロバになったら人からバカにされるのがわからないのか!」

Essere un asino ロバになる。Asino はイタリア語でロバ。イタリアで使われる、愚か者であることを表す慣用句だ。当時は、最低賃金で働く人たちも、ロバと呼ばれていたそう。

作者の実体験。1861年に、彼の母国を含む複数の都市国家や公国が、1つの国に統一された。

イタリアが統一された当初、読み書きのできる者は、全体の2割ほどだったという。しかし。1880年までには、義務教育(無償化されていた)によって、識字率は4割近くまで上昇した。平均より高い報酬が得れる職につけたのは、その4割だったはず。

そんな中に生きた作者は、勉学にいそしむこの重要性を痛感したのだろう。


だが、そもそも飢えていては、学習どころではない。

『パンと本』という書簡の中で、彼は、こうも書き記している。「全ての人間には、食べたり飲んだりすること、風雨から守られること、寝る場所が必要である」

作者のきょうだいは、本当は10人いた。成人まで生き残ったのが、彼を含め4人だけだったのだ。1838年には、数ヶ月の間に4人も亡くなった。みんな6才以下で。

両親は、作者だけを母方の故郷に預けた。比較的ゆとりのある家に。長男だけでもせめてーーといったところだったのだろう。


作中に、青白い顔の少女が出てくる。

少女はピノキオに、「私も」死んだのと、自己紹介をする。モデルは、作者が少年時代に寄宿していたところの庭師の娘、ジョヴァンナ。2人はなかよしだったそう。彼女も、成人前に亡くなった。

本の中では、少女は、大人の女性へと成長する。そう、青い妖精だ。

これが作者の Wish か……。もしかして初恋の子とかだった?などと想像すると、泣ける。


当時、あまりにも希望がなさすぎるという批判を受け、修正され再掲載された内容がある。

以下は、修正される前の内容、本当の本当の原作である。

ピノキオは、キツネとネコからリンチを受ける。具体的には、樫の木に首吊りにされ刺される。木製のピノキオは、簡単に死ねない。長時間、痛みに苦しむ。彼の最期の言葉は、「お父さん!あなたさえここにいてくれたら!」

彼の死亡を待つ2匹。変装用途の黒服が死神みたい。

たしかに、これではエグすぎる。


修正版では、青い妖精がピノキオを救う。

ハヤブサが縄を切り。プードルが牽引して(馬車じゃない。プードル車だ!)家まで送り届け。高熱が出ていたため、妖精やフクロウ(名医らしい)が薬を飲ませようとする。

苦いから飲みたくないと、薬を拒否するピノキオ。あんなマズいものを口にするくらいなら、死んだ方がマシだとまで言う。

言っていいよ。私も思ったから。
じゃあほっとけばよかったわ……
そして、子育ての大変さを思う。

いよいよ、黒ウサギが棺をかついでやってくる。あわてて薬を飲む。

秒で完全回復。ポーションか。


スピルバーグ監督と故キューブリック監督がタッグを組んだ、『A.I.』は、ピノキオをふまえた映画である。

知らない人のために。人間の少年にしか見えないが、彼はロボットだ。

作品終盤のネタバレになるため、詳しくは書かないが。主人公は、ブルー・フェアリー探し求めて、旅をする。

相棒のテディ(ロボ。声はおじさん)がかわいい。
ジュード・ロウの演技がとてもよい。
性的なサービスを供給するロボットの役だ。

この作品の中で、私が一番好きなシーンは、ここ。ピノキオの、人形芝居小屋とロバのビジネスのエピソードが、うまく転用されている。美しい月だと見とれていると、ハンターに捕まってしまうよ!


行方不明になったピノキオを探す中で、ゼペットも行方不明に。彼も、災難にまきこまれるのだ。現実世界でも、あり得る話だ。

ゼペットは、巨大なサメに飲みこまれてしまっていた。(アニメ版ではクジラ)

「サメにのまれる」とは何なのか。
作者の父親は、借金の返済におわれていた。詐欺的な高利貸しから金を借りてしまったこと。一家が貧乏だった理由の1つは、これだったのだ。

ピノキオ自身もサメにのまれるが、ハトやイルカやマグロの助けもあって、起死回生&ゼペットを救出。ハトやイルカやマグロ、ありがとう。他者のサポートがあったとはいえ、立派に、危機から親を助け出したピノキオ。

このあたりも、作者の自責の念や叶わなかった願いが透けて見えるようで、切ない。


これだけで、今までのピノキオの愚行全てが、チャラになるわけではないが。

ピノキオの話に、ウシジマくんをあわせてこないでよ?笑。絵面はともかく、内容はすごくあうでしょう。


このように、何度も何度も、あやまちをくり返してきたピノキオだが。

たくさんの痛い目をみて、最終的には、生きる術を身につける。本当に大切なことは何なのか、ついに、理解する。

ここからが、彼の、本当の勝負といっていいだろう。


以上、さまざま書いてきたが。

『ピノキオの冒険』を一言でいうならば。これは、無邪気さの危険性を戒める物語だ。

政府やビジネスは、腐敗している恐れがある。社会構造は、不条理な可能性がある。だから、みんな、気をつけなさいと。だから、みんな、知識をつけなさいと。

統一されたばかりのイタリアで、はじめて発行された子ども向け出版物は、こんな内容だった。作者は、木の人形の物語を介して、子どもたちに政治的なメッセージをおくったのだ。コッローディは、「イタリア人の第一世代」を教育しようとしたのだ。

教養を身につけること。正しい情報を入手すること。一方的に利用されないこと。諦めずに懸命に生きること。他者を思いやること。みんなで協力しあうこと。

つまり、人形ではなく人間になれと。

同じく人形の友人が、以前にピノキオに、このように言っていた。「私たちは、糸であやつられている内は、ダメなんだと思う」


『BEASTARS』の主人公レゴシは、本能のままの獣から「何か」になろうと、奮闘努力するキャラクターだ。

思春期の恋のお悩みが、とんでもなく重い試練へとつながり、大変な主人公。

2021年版『ドラゴン桜』のセリフから。

「本質を見抜く力がなければ、権力者と、同じ土俵にすら立てないんだ」
「その時はじめて、馬車馬は人間になれる」

19世紀のイタリアと現代の日本で、同じ説教がされているのは、なんだか複雑な気持ちだが。

「一番手っとり早い方法が、東大に入ることだ。だが、人間を気取っているくせに、自分のあたまで考えようともしないお前らなど、東大の方からお断りだ!」


ある朝、ピノキオが目を覚ますと、彼は本物の少年になっていた。

人形の体は、椅子の上に、生気を失い横たわっていた。


余談 ①

作者は家庭をもたなかったが、どうやら、とある女性との間にできた子が1人いたらしい。互いに事情があり、公にできなかった子なのだとか。

会うことのかなわぬ我が子に、たくましく生きてほしいと伝えたくて、この物語は書かれたのではないか。評論家たちは、そのように推測している。

唯一の子ども新聞に載っていたのだから、読んでくれた可能性は、かなり高いかと。


余談 ②

イタリアに、有名な、ピノキオの公園がある。

このモザイク画は、ピノキオを道に転ばせて大笑いしたことで動脈が破裂して死んだヘビ。
ピノキオとゼペットの像。
公園の中央にある噴水。
人々を飲みこむ巨大な海洋生物のデザイン。

『パンズ・ラビリンス』や『シェイプ・オブ・ウォーター』のギレルモ・デル・トロが、ファシズム時代のイタリアへと舞台を変更し、新しいピノキオを生み出した。(2022年)

知った時、それだ!と思った。彼とピノキオの相性は絶対に良い。

ブルー・フェアリー問題も。こちらの新解釈には、誰も文句を言わないだろう。



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