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2000文字以上の長文記事

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#エッセイ部門

社会からの疎外感、理不尽のいじめ、心のメカニズム

社会からの疎外感、理不尽のいじめ、心のメカニズム

ブログ書いて、発信して、これでよかったのかなと思い悩んで、ひどいときにはノイローゼになる、これをもう1000回はやっている気がします。出した記事はそこまでいっていませんが、一つの記事に何度ノイローゼになるか分からないことを考えると、妥当な数字なのです。発信者はそれを発信したという時点で、一つ肯定されるべきであろうと思います。されるべきというより、発信した時点で肯定される、これが原則としてあるような

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塾と商売

塾と商売

塾にいる子たちは、町での夏祭りに行ったり、夏休み前の課題に心がやられているようでした。女の子が3人和気藹々と話していて、私はどこまで話していいのか探り探りだったため今日は話せませんでしたが、ああ中学生の時には私もこのように青春することもできたのか、と思いました。

とてもアットホームなことに気づきました。塾長(30代のママさん)と生徒たちがほぼ家族のように話しているのです、ああここは塾だけども、生

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疑問の解決

疑問の解決

そもそも思い返してみれば、学校に行けなくてショックを負うのは、比較相対的に「できない自分」を見せつけられるからで、でも考えれば自分は常に本気を出してきたし、たまたま授業というもので点数を取れなかっただけで、私が生きていること"人生"に関しては、ちゃんと貯金していると思い直す。

さっき自分で言ってああなるほどな、と思ったことで、努力は比較相対的な目線が消え失せること、それ故に「自分には価値がない」

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怒り、全体的に。

怒り、全体的に。

朝父に人格否定チックな小言を言われ、朝はいつも自己否定感が強まっていることも作用して、かなりショックを食らってしまった。昨年の2月11日あたりだったかに言われた小言の時と同じくらいのショックを食らったのは久々だった。父は家庭でやることといったら贖罪しかないのではないか、と前々から思っているけれど、どうして贖罪で勢いついているのか、私には分からない。罪を犯して有罪判決を受けて、その受刑中の容疑者が俺

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思い出す

思い出す

稲盛和夫さんの「心」を18歳の頃から読んでいます。それと同時に松下幸之助さんの「素直な心になるために」も読んでいます。18歳の時に読み進めた本質的な書物は、同じく松下幸之助さんの「道をひらく」と、見城徹さんの「読書という荒野」、合わせてこの4冊くらいだったかな、と思います。

19歳から仏教に興味を持ち、いろいろありましたが今も学んでいます。一緒に学んでいた友人がいたのですが、宗教団体や現代の自愛

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授業

授業

お金を稼ぐことができたら、バイトを始めようと思っています。自分の生活を担保できるだけのお金を稼げるようになったら、バイトを始めたいです。気になっているのは友人がやってる除雪作業員の仕事、カラオケの店員、別の友人がやってる梱包の仕事です。引越しはやりたくないな...(いい思い出がない)

大学の先生が仏教の女性差別観を題材として授業をしていたのですが、仏教は本来差別を否定するところから出発するわけで

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1人の浪人生

1人の浪人生

機能不全家庭の最もな本質は、その子が自立できない、というとこにある気がする。だからその子が自立することができれば(それは精神的な苦痛が伴わないという意味で)、機能不全は解消されたと言っていいのではないか。だから私はお金を自分で稼ぎたくて、ブログを400記事ほど書いたのだ。自分でお金を稼ぎたい。ただそれだけなのだ。新海誠監督の「天気の子」が好きなのだけれど、そこでヒロインの天野陽菜が、自分は早く大人

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どこへ行く

どこへ行く

ばあちゃんは「お前は何になりたいのか」ということをことさらに聞く。「お前は何になりたいのか」「何者になりたいのか」。私は過去ばあちゃんとじいちゃんだけは愛せると言った。それはなぜならばあちゃんとじいちゃんは人生の悲運を経験してきたので、一つの諦念がついており、そこから謙虚さが生じている、と分析したからだ。しかしばあちゃんは諦念を持っていなかった。

ばあちゃんは自分は勉強をまともにできなかったから

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悩む

悩む

昨日は少し調子がよかったのに、今日はあまり調子が優れませんでした。そういう日はだいたい朝から何か重い感じ、がします。朝から何のやる気も出ないのです。でも思い返してみれば日曜日はいつも具合が悪くなる流れがありました。もしかしたらと考えると、土曜までは学校があって、それが日曜に解放されるから、それまで溜めてきた苦労が今になって出てきているのかな、なんて思いました。そう考えれば、この日曜の不調も実は望ま

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褒めてあげたい

褒めてあげたい

私は北海道に住んでいまして、札幌郊外に住んでいます。電車で一時間ほどで札幌に行くことができるところで、私の町は自然に溢れています。家もわりと自然に囲まれていて、自分はこんな周りに大自然があるのに、その自然の恩寵を受けないで都市部都市部に(成果を出そうという志向)行っていたのか、と思うと少しゾッとします。大切なものに気づけて、よかったです。

ブログの書き方がここ数日で変化しまして、今までは世界に私

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色えんぴつ

色えんぴつ

大学で芸術の授業を取っている。私は人文学部の所属なので美術とかそういうアート系の学校ではない。ただ一般科目で芸術が取れるのだ。やる内容としては難しいことは求められない。えんぴつを60層塗りつぶして濃いグレーを作る課題や、色えんぴつを同様に60層塗りつぶして濃いグレーを作る課題などである。最後に応用が入って、それらの技術を使って氷の溶けた少し水が溜まっている状態の絵を描く。陰影をつけて、よりリアルな

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友人とカラオケ

友人とカラオケ

眠たい。今日は冬に除雪作業員をやっていた友人とカラオケ(もう定番の流れになってきている)に行ってきた。

除雪作業員のお話↓

友人はカラオケで演歌みたいな歌い方をする。どんなに有名なJ-POPのアーティストの歌でも演歌みたいなビブラートの使い方をする。

その友人がアニメについて力説していた。どうやらアニメはストーリーも大事だし、作画力も大事だが、本当に大事なのは"リアリティ"なのだと。友人は「

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自分を生きる

自分を生きる

日々かなり色々と思い悩む中で、こんこんと悩みを突き詰めていくと、見る映画や見るアニメがなんだか一つの"人生"を表しているように見えてくる。おそらくこれはかなり自分が苦悶しているからこそつまり「自分が追い詰められている」からこそ、その一つの作品に"生きる意味"を見出そうとする働きがあるのだと思われる。

そんな中でブログや発信の方向性について色々と分からないことがあって、ふと「では現にブログの一線で

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現代の性(げんだいのさが)精神障害と禁欲主義、過酷な21世紀を生きる者へ向けて

現代の性(げんだいのさが)精神障害と禁欲主義、過酷な21世紀を生きる者へ向けて

小さい頃から、私の気持ちを汲み取ってもらえることはなかった。

私は母親というものは、子どもの情緒を汲み取れる力があることでもって母親、というと思っている。

その点において私の気持ちに焦点が当たることは、この22年間19万時間においてほぼなかった。

ご飯とか、洗濯してもらうとか、物質的な援助はあった。それだけでもありがたい、と言えるのだろうか。

しかし私の心に焦点が当たることは、ついぞ無かっ

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