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1人の浪人生

機能不全家庭の最もな本質は、その子が自立できない、というとこにある気がする。だからその子が自立することができれば(それは精神的な苦痛が伴わないという意味で)、機能不全は解消されたと言っていいのではないか。だから私はお金を自分で稼ぎたくて、ブログを400記事ほど書いたのだ。自分でお金を稼ぎたい。ただそれだけなのだ。新海誠監督の「天気の子」が好きなのだけれど、そこでヒロインの天野陽菜が、自分は早く大人になりたいです、というところがあって、それにひどく共感してしまうのです。

アニメと漫画に夢を見せられて生きています。そのほかには夢を持った大人がいないから、だからアニメと漫画とそして映画に夢を見せられています。

私は本気になる、ということは恥ずかしくなる、ということと同義なのではないか、と思っています。だから本気を出した人間は一旦落ち込むんです。それはその人の主観で相対的に"自分何もできないやつだ"という思い込みが強まる過程のことを言うと思います。でも実は、本気を出してる手前、実はその退行は、とんでもない前進だったんですね。それはのちのち他の人間が全く本気でないことを見抜く眼となって現れます。恥ずかしくもなっていないのに、人にあれをしろこれをしろなどと、指図するからこの世界の生産性は上がらないのだと、個人的には思います。逆に言えば自分は何もできないやつだという苦悶を感じない人間のみが、世の中で道徳を振り撒いているのかもしれません。

私は父と母からもらったものは、何もない、と個人的に思っています。私が今も生活を送れているのは、母と父に愛があったからではなく、自分が生の息吹を頑張って取り返したからです。私は親に感謝しろ、という道徳を聞く時、その浅ましさに心底腹が立ちます。限りなく奪われた人間だっている、そのことにちっとも彼らは気づいていないからです。

有名人になるからこそ楽に生きれる、こういう人が世の中にはいると思います。有名人の自殺などが問題として取り上げられますが、私は逆に有名になることによって生きやすくなる部類の人間も少なからずいるだろうと思っているのです。

ヘルマンヘッセの「荒野のおおかみ」という小説に、こんなニュアンスの言葉があります。自殺をした人の中には自殺者と言えるに該当する人間ではない人間がいる。このような言葉が出てくるのです。よくよく思案すると、悩んでいると言っていながら悩んでない人間もいるし、自分は悩んでないと言いながら誰よりも悩んでいる部類の人間がいます。このことを鮮明にヘルマンヘッセは見抜いていたということです。だから世の中の人はがんばっている、という言説を聞きますが、そして私もそれを聞くとそうだよな、自分も頑張らないといけないよな、と人並みに倫理観を正される思いになるのですが、実際は頑張っていると思っていながら、頑張ってない部類の人間たちが数多く存在する、ということが目に見えてきたのです。

私はそれを一言で"空虚"と言っています。中身が空っぽなのです。主体性がないのです。そしてつまるところもっと本質的なことを言うならば、主体性とは生産性から離脱した時に起きてくるものなんじゃないか、と思うのです。生産性に捉われているうちは、それは生産性じゃない気がするのです。

ではその空虚はどこから生じたのかというと、様々な着眼点はあるとは思いますが、その親が空虚なこと、強烈に寂しいこと、だと思います。

空虚な人間は強烈に寂しいのだと思います。強烈に寂しいのが、空虚なのです。すっぱ抜かれて嫌な思いをする人もいるかもしれませんが、これは過去の自分も含めてそうなのでした。悩んでいると言って悩んでない部類の人たちは空虚であり、その人たちは強烈に寂しいのです。強烈に。強烈に寂しいのが、空虚そのものなのです。これがおそらく現代の病理です。

その点に関して言えば私はもう寂しくない。世の中に実在した教え、の本質の部分を受け取らせていただいて、今もその不思議と素晴らしさに感服しながら、自分というものを、その孤独を、生きています。孤独を生きれる、これが主体性だと思うのです。

そうなるとこうも言えますね。生産性でない人間は、強烈に寂しい。強烈に寂しい人間は、孤独を生きれない。ということになります。強烈に寂しい人間は、見かけ上孤独になります。周りに誰もいなくなります。頼れるのは自分が教育を施した家族だけ。でももっと本質的なところまで考えていくと、その本人が真に孤独を生きれない、ところから現実世界での孤独に苛まれている、ということなのだと思います。

孤独を生きれないから、他者に自己実現を転嫁するわけですね。

だから毒親というものは、真の意味で孤独になれなかった、1人でいられない人間だった、ということですね。

これがハッキリしたことなのです。

私はお金さえ稼げればそれでいい。自分で生きていくだけのお金が稼げれば。世の中に価値を創造しろ。そんなことを言われるが、別に世の中にそこまでの恩はない。もし私が世の中に価値を創造するならば、それはお金を持った時にまた考える。

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