見出し画像

塾と商売

塾にいる子たちは、町での夏祭りに行ったり、夏休み前の課題に心がやられているようでした。女の子が3人和気藹々と話していて、私はどこまで話していいのか探り探りだったため今日は話せませんでしたが、ああ中学生の時には私もこのように青春することもできたのか、と思いました。

とてもアットホームなことに気づきました。塾長(30代のママさん)と生徒たちがほぼ家族のように話しているのです、ああここは塾だけども、生徒たちの憩いの場としても機能しているんだな、そう思いました。

30代のママさんと塾の月謝を払いに来た保護者の方がやり取りをしていて、私は商売というものをこの目で見ました。そして感じるに、そこは無私、私が一切ない世界でした。お互いの謙遜。それ以上には何もない。私はこうして一つの経営体が動いているのかということを垣間見ました。

私が帰るころ、今は高校生か、昔塾に通っていた生徒さんが来て、塾長が喜んで話していました。私の帰りの挨拶はほぼ聞かれませんでしたが笑、やはりここは憩いの場になってるのだと思いました。

一つ驚いたのは、担当している中学1年生の女の子が教えない方が自力で問題を解く力があったことです。こちらが教えない方が、自分で問題を進める。ここが発見でした。

また一つ、解法がシンプルになればなるほど、教えるのは至難になります。中1の数学ですが、例えば −(7a +1)という式があったとして、これは中身の項の符号が変わるだけなんだよ、と言っても伝わらなかったのです。この場合その女の子は−1を分配する必要があった。それが学校で習ったやり方だったんですね。

しかし面白いのは、その分配を一緒に作業のようにやっていくと、一つリズムが浮き上がった。女の子がコツを掴んだ瞬間があったことです。そしてここでのポイントは私は理屈で教えたのではなく、解法パターンを教えたということ。理屈から教えようとすると通じないので、まず解法パターンを練習問題でこなしていく、ということをしました。読書猿さんの独学大全という本に、「数学の理解は遅れてやってくる」という言葉があって、それはこういうことか、と思いました。無論読書猿さんのいう数学とは高校数学、あるいはそれ以上の話だとは思いますが、現に解法パターンをひたすら解いていく、ということで女の子は問題を解けるようになることが分かったのです。

疑問なのはそのパターンだけを覚えて、理屈を知らなかったら、それは数学と言えるのか、ということですが、第一に私にそこまでの数学の学識がなく、そもそも私が解法パターン止まりでの理解をしているため、原理的に女の子にはその式がその式である理由を説明することはできませんでした。得点を上げることはできるが、知的好奇心を発育することはできないということです。

しかしながらああそうか、解法パターン止まりでも塾の先生は続けていくことができるのだな、ここに非常なる安堵を感じたのです。一つ、私の社会的地位が保たれた。現にまだ物事がなぜそうであるか、を説明できなくても、物事がこうである、ということを教えるだけで、許されるのですから。そして一つ誓うのです、いつか絶対になぜを説明できる先生になりたい、と。

日々を汲み取り、生きる。私はそれを心がけています。なるべく心をきらめかせて生きていたい。まあ何も感じれない日もよくあるけれど、それでもときたま、ああこれを味わうために自分は生きていたんだ、そんなものに出くわす時があるのです。そしてそれは案外、見栄えや体裁のあるものではない、何気のない日常であることが多いのです。しかし何気のない日常でありながら、こちら側の心が煌めいているのです。

何気のない日常にこちら側の心が煌めいている。これを日々感じて生きていたいのです。求めるものは、たったそれだけ。よく思うのは、何回か言っていることですが、自分の生活費だけを稼いだら、あとは遊んで暮らしていたい。遊んで暮らすと言っても、豪遊するとかじゃない。カラオケに行って好きなアーティストの歌が前よりもうまく歌えるようになる、友人とのドライブでひょんなことを友人が口に出す(そういう時はお互い何も気を遣っていない)、道端の花が咲いていることを発見する、街中でカップルが喧嘩している、こういうことを感じて生きていたいのです。これをできるなら、別に何もいらない。ただそれだけなのです。

ただそれだけのことに、人は惑い、時には自ら命を縮めるまでに至ってしまうことを思うと、やっぱり平和を訴えていきたいなと思うのです。根底の部分は平和でいたい。上部の部分は怒りや悲しみがあるだろうけれど、その深部は平和でいたい、そう思うのです。

研究というものは、この静かなる生き生き、から生まれてくるのではないでしょうか。静かなる生き生き、これこそが本当の意味での仕事を創るのではないでしょうか。本当の意味で人々の夢を創るのではないでしょうか。私にそれを伝えてくれた先人たちは、きっといつでも青春していた、そう思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?