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現代の性(げんだいのさが)精神障害と禁欲主義、過酷な21世紀を生きる者へ向けて

小さい頃から、私の気持ちを汲み取ってもらえることはなかった。

私は母親というものは、子どもの情緒を汲み取れる力があることでもって母親、というと思っている。

その点において私の気持ちに焦点が当たることは、この22年間19万時間においてほぼなかった。

ご飯とか、洗濯してもらうとか、物質的な援助はあった。それだけでもありがたい、と言えるのだろうか。

しかし私の心に焦点が当たることは、ついぞ無かった。

父は過去の夢を追っていた。そして今も追っている。故に父はいなかった。

母は母ではないし、父は父ではない。

私の気持ちに焦点が当たることは、なんと皮肉にも絶望的になかった。

話は通じないのだ。

あまりにも自分の気持ちに焦点が当たらず、ただ頑張る、というエネルギーだけで動いていた生活が限界を迎え、16歳の時についに学校に行けなくなった。

体が動かなくなったのだ。

そして高校を退学した。

それを気遣ってなのかは分からないが、父が家族旅行を企画し、家族で大阪まで行った。

しかし私の精神はだいぶ極限であった。私は移動中本を読んでいた。

父はそれが気に入らなかったらしい。

激しく叱責された。

高卒認定試験に受かった時、その合格証をすぐに父親に見せなかった。

なぜかその時は見せたくなかった。親から聞いてほしかった。

しかし父はそれが世界で最も気に入らなかったようだ。

私は弾劾された。

「お前はそうだから、学校に行けないのだ。」

そう言われた。

それから半年で躁鬱病になった。

明らかな精神異常、明らかなハイテンション。

と思ったら過酷な、地獄の、悲烈の、うつ。

とうとう一週間一睡もできなくなり、突発的に川へ飛び込んだ。

しかしたまたま川が地面に足がつく深さで、私は川の端の枝に掴まった。

その時だけ「生きている」と思った。

その一瞬だけ、猛然と生きる力が湧いてきて、「まだ俺はやり直せる」と確信した。

後から見て、あれが火事場の馬鹿力というやつか、と悟った。

急性病棟、いわゆる閉鎖病棟に17歳の時に入院した。

知り合った女の子はみんな手首に傷があり、夜中は老人の怒号、統合失調症患者の呪文、自殺苦を抱える壮年の方の「助けてくれ」という悲鳴。

これが三方向から聞こえてきた。

3ヶ月の入院生活の中で、ある日サイレンが鳴り響いていた。

どうやら心臓マッサージをしているらしい。

それは壮年期の「助けてくれ」と叫んでいた人の部屋だった。

一連の騒動の後にその部屋には外から見られないように柵が設けられ、その方のご家族と思われる人が到着した。

家族の方たちは泣いていた。

その後朝の作業療法に移ったが、そこで流れる日本のアイドルグループの曲があまりにも綺麗で、私は泣きそうになったのを今も鮮明に覚えている。

父は入院中の私に言った。

「あまり経験できないことを経験できて、よかったんじゃないか?」

急性病棟を退院し、さて私は今後どうするか迷った。

あまりにも人生に迷い苦しんでいたため、お坊さんのもとへカウンセリングを受けに行った。

70代の強面な住職だった。

住職からは様々なことを教わったが、

その教えを一言で説明するならばこうだ。

「社会不適合や社会の落伍者になってはいけない。君は実力をつけて社会に羽ばたきなさい。」

一見いいアドバイスのように聞こえるが、これはつまり「今の自分ではダメだよ」ということだ。


故にひどく緊張し、毎回切羽詰まった気持ちで住職とのカウンセリングに向かった。

定時制高校からやり直してはどうか、

そう言われ私は定時制高校に入ることを目指した。

そして一年後、19歳の3月に定時制高校への編入試験に合格した。

僕は嬉しくなって、少し鼻高々、住職のもとへ向かった。

そうしたら住職はこう言った。

「甘い。」

私は叱咤されたのだ。

高校に編入し、嬉しくなっていた私は、叱咤されたのだった。

本当にやばい、と思った。

もっと頑張らねば、と思った。

それからは簡単だった。

仏教を学び始め、浄土真宗の教義を学んだ。

みんなより早めに登校し、英検の資格の勉強をし、授業をひと言も聞き漏らさないようにメモする。帰ってきて仏教専門のブログ(友人が作ってくれた)を開き記事を推敲する。帰ってきて眠らずに夜中2時3時を過ぎてもひたすら書く。これを半年続けた。

二度目の鬱に陥ってしまった。

私は申し訳ないと思った。

あれだけ私を叱咤してくれた住職に、なんと申せばよいのか。なんと説明すればいいのか。

面倒を見てもらって入学した挙句、二度目の鬱に罹患するなど、どう住職に説明したらいいのか。

私は最高の罪悪感を育てた。

父にもう一度病院に行きたいんだ、と言った時、

父は嘲笑していた。

おそらく何度も精神疾患を繰り返す息子が情けなかったのだろう。

その時私は、自分はこの父親を殺すために生まれてきたのではないか、と勘繰った。

しかし幸運なことに、本当に幸運なことに、何の気づきかこれを殺したところで、私だけが苦しむようになるではないか、と

私は気づくことができた。

それから2年間、私は憎しみや憎悪というものをメモに書き連ね、そうすることによって殺人事件を一つ防ぐことができた。

20歳の夏休みは過酷だった。生きる力がなかった。

21歳の夏休みは自殺苦だった。8回目か9回目あたりの自殺苦に見舞われていたが、

私はあの川に飛び込んだ日以来、自ら命を断とうとしたことはない。

そして自殺苦がやってくるのはしょうがないから、なんとか今日もこの地獄を乗り越え、生きる意味は分からないけども、もしかしたらあるかもしれない安寧の生活を夢想し、生きとどまってきた。

その自殺苦は20回続いた。

私は自分の気持ちに焦点を当てられたことがないので、仏教の欲を廃せ、という教えを素直に感受してしまった。

つまり元々禁欲的に生きていたのに、さらに禁欲的に生きる教義がそこに二重に三重に重ねられたのだ。

故に二度目の鬱、回数で言えば二度目の自殺苦は文字通り苦患であった。地獄であった。

仏教では六道輪廻の中に地獄界が説かれるが、私の認識上あれを地獄界としないで何を以てこの世の地獄界とするのか判別がつかなかった。

精神はひどく狼狽し、しまいには離人症が起きた。

なぜか自分がふわふわ、外から自分を見ているような感覚なのだ。

しかしよく考えてみれば普通のことで、自分の欲を無くすのだから、自分が死ぬ、つまりは自分が自分でなくなるのだから、離人症は非常に妥当であった。

2023年の11月30日に18回目の自殺苦が来、翌月12月30日についに街でパニック発作を引き起こした。

そこで私はもう自分を頑張らせてはいけないのだ、と半ば経験則から察し、とにかく高校4年(定時制高校は4年まである)の冬休みは何もしないことにしよう、と決めた。

そして幸運なことに精神科医の泉谷閑示先生の著書を手に入れることができた。

泉谷閑示先生は、「精神障害が起きるのはこの効率主義の社会においてまともな反応が起きているとも取れないだろうか」と言っていて、

私はこんなことを言う人に出会ったことがはじめてだった。

今までは「今の自分はダメだから、未来の自分はもっと強くなろう」と言う人たちばかりであった。

それなのにこの人は「いや今の自分が実にまともだよ」と言っていたのだ。

私はこんな人を見たことはなかった。

そしてその泉谷先生は鬱が治る過程で、全ての価値体系が燃やし尽くされる経験をする、そしてその先に静寂な境地が訪れる、これを精神の深化と言う、と言う趣旨の発言をされていた。

それを私も1月18日に経験した。

その時は学校のスクールカウンセラーにもお世話になっていて、その人も「いや君はよくよく頑張っているでしょ」と言ってくれる人だった。

それも幸いしてか、私は著書によって鬱を一つ回復した。

しかし完全な回復とは言えなかった。だがしかし精神の深化、すべての価値体系が燃やし尽くされ静寂な境地が訪れる、その訪れた景色こそ仏教など哲学の真髄の部分に合致する、ということをまず一回経験したのだ。

現にスクールカウンセラー以外、誰にも人生というものを教わらないで、本のみによって鬱を回復した。

これは自分でも誇りである。

しかし完全に完治したとは言えなかった。機能不全による過労信仰はまだ残っていた。

受験が2月にくるわけだが、これも悲痛だった。

受験によってすべて自分の価値が決定づけられるような感覚に陥り、ここでも自殺苦的な苦しみを感じた。

しかし自殺苦的と表現したのは、1月18日以前の自殺苦とこの受験の苦しみとでは、確かに極限に苦しいということは合致しているけども、明確に精神の闇と言われるものは無くなっているような印象を受けた。

まあそれにしても地獄ではあったが。

そしてそこからブログを300記事書くことになる。

大学が始まった時も非常に不安定だった。

とてつもない罪悪感があったのだ。

自分は何も悪いことをしてないはずだ。

しかしこんな自分が大学なんかに入っていいのか、この感覚が常にあった。それは今でも続いている。

はじめた塾のバイトも緊張は酷だった。そんなに緊張しなくてもいいのかもしれないが、毎日命を懸けるつもりでバイトに行った。

これを全体、すべてを含めて"生きづらさ"というのだと、私はやっと気づくことができた。

振り返ってみれば16歳で体力の限界で不登校、17歳で躁鬱病・自殺未遂、18歳で世の落伍者になってはいけない、頑張りなさいと言われ、19歳で仏教の禁欲教義の機能不全のマッチによって二度目の鬱、それから21歳の1年間のうちに19回の自殺苦を経験し、12月30日のパニック障害でもってこれはどうにかしなければいかんと思い、冬休みは家に篭りとにかく自分の鬱の解決のヒントになりそうな書物を貪り読む、そして1月18日にその手がかりを、静寂な境地を見出す、そこから受験は相変わらず苦しく、罪悪感に基づいたヒリヒリとした頑張りで300記事のブログを書いた、のだから、

もう何だか、一言で言えば"過酷"である。

熾烈であって、極限である。

最近また大学の授業に行けない日も出てきて、そこで罪悪感を深めていたのだが、つまり「自分はどうして大学の授業にさえも行けないのだろう、自分は本当に弱い人間だ」などと感じていたのだが、 

よく考えてみれば、おい、
どうして私が大学の授業なんかに行かなくてはならないのだ?(笑)

なぜ私が現に社会適合を目指す大学に行かなくてはならないのだろうか。

限界である。限界なのだよ。どだい精神の。

これだけの過去を持ち、普通な生活が送れるわけがないだろう。

学校に行けない生きづらさを抱えるのは、実に正当だろう。

それを言ってくれる人はどこにもいないけども(本しか)、私は私を認めよう。

私が辿ったこの生き方は、とりわけ白隠禅師が修行していたころ目上の僧侶にひどく修行を叩き込まれ、極限まで追い込まれた白隠は「もうすぐ悟りが近いかもしれない」と勘繰り、さらに修行を続けた結果禅病に陥ってしまった、という話(これはWikipediaやネットの記事によって知った情報なので正確かどうかは分かりかねる)、と類似している。

また18回目の自殺苦あたりで「このままのやり方ではやばい」と思い、とにかく冬休みは何もしないように努めたのも、釈尊が苦行によって悟りは開けないと確信し、菩提樹の下に座って悟りを開くまでここを立たないと決意した一連の流れに類似している。

私が聞いた仏教では六大煩悩が指摘され、これは以下のものである。

欲 怒り 妬み(憎しみ) 慢心 疑 邪見

この中で疑と邪見は分かりかねるが(詳しく内容を聞いたことがない)、欲、怒り、妬み、慢心は説明することができる。

よくは欲しい欲しいと思う欲である。人間はこの欲で行動する。

そしてこの欲が満たされなかった場合、それは怒りと変化する。つまり自分の思う通りに物事が進まなかった場合、欲が阻害された場合、怒りが沸き起こる。

妬みはその怒りを向ける対象が逆らえない対象、つまり目上の上司などだった場合、それは妬みや憎しみとなる。

つまり欲が阻害されれば、それは怒り、か憎しみになるということ。

慢心はそれとは別だが、自惚れてしまうことを言う。

そしてこれを禁欲的に当てはめると、

欲は廃さなければならない、つまり物事を欲しがってはいけない、しかし怒りが湧いてしまった、怒りが湧いてしまったということは私は欲を持っていた?いけない!私は欲を廃さなければ、これを何百回と繰り返す、するとなんとも言えぬどす黒い感情が湧いてくる、それは憎しみである。あの特定の人物が訳もわからず憎い。自分はここまで我慢をしているのに、奴はあんなに適当に、欲を解放して生きている、ああ憎い憎い。ここまでくる。しかし、いけない!こんなことを思ってしまうのはあの人はまだ修行の途中で自分は修行の最前線にいる、つまりは私はあの人よりも修行している、そう思っている。これはいけない!慢心だ!慢心してはいけない、欲は廃さなければ!欲を廃せ!欲を廃せ!廃せ!クソ野郎!ああ憎い!殺してやる!ぶっ殺してやる!!

こうなるわけである。

これを全体的に性悪説と言う。

性悪説とは人間は根本的に悪の存在である、という認識のことをいい、人間は絶対的な悪と規定する。

しかしながらこの性悪説は、いったんそれにとらわれるとそれがさも予言のように成就する仕組みがあるのだ。

つまりあの人はよくない人、と決めつけてかかると、その人が本当は良い人、であったとしても、周りがその人を嫌悪し遠ざけると、次第にその良い人の心も荒れていき、しまいにはその良い人はトラブルを起こし、そこで周りの人は「ああやっぱり悪い人だった‼︎」と認識を深めるという流れである。

このように性悪説に捉われると、性悪説は力を増してしまう性質がある。

故に逆に言えば性悪説でなければ、被害は起きないということになる。

それ故に禁欲というものが実は本当の意味で犯罪を起こす根本原理だ、ということが説明できる。

つまりは犯罪者の中に自分の欲がすべて満たされて、自分を愛している人間はいないのだ、ということになる。

なぜなら自分の欲が満たされていれば、どうして人を殺す必要があるのか、という命題が生まれるからである。

このように欲・怒り・妬みは、それ自体が悪いものと断定するのは早計であることが分かる。

逆にいうとこれは私の経験則だが、欲と怒りと妬みこそ人間を突き動かす原動力であって、もっと根本的にいうと欲と怒りと妬みが正当に受け入れられなかった、その時に限ってのみ世の中の諸問題は起きているのではないか、と思うのである。

つまり私が何度もいう「自愛」とはこの欲と怒りと妬みを自分で承認する作業のことに他ならない。そしてそれをはじめて教えてくれたのが、泉谷閑示先生の著書なのである。

このように私は禁欲主義を通して、その禁欲主義こそが人間を最悪に至らしめる事柄だと自認し、そのメカニズムを理解してきた。

もとを辿れば機能不全が根元にあるが、これが一つ私の生きた証とも言える。

しかしながらだからといって「じゃあ機能不全を与えれば、このような人間理解をした人間が生まれるのだ」という思考には、残念ながら断じてならない。

なぜなら機能不全の行き着く先は絶対的にその子どもの「自立不可」であるので、つまりは自立不可ということは「人間の心が分からない」それであるからだ。

故に私がこのような心理の理解をできているのは、私が私として生きようと覚悟し、そして先人の優れた書物(私の場合は泉谷閑示先生の著書であった)を読んだことによって手に入れたその子のその子自身の人生、に他ならないからだ。

故に機能不全の親から、もし機能不全ではない子どもが育った場合、その子どもは必ずと言っていいほど、その親を軽蔑し抜いている。

なので機能不全信仰は原理的に不可能になるのだ。

話は長くなったが、私はこのように生まれ落ちた時から人権を認められたことがなく、しまいの果てには人を人として扱わない禁欲主義に行き着いた。しかしそこで極限のノイローゼを味わい、これでは絶対的に人間としての真理、あるいは自分が自分として生きていくことはできないと思い、よくを捨てるのではなく、欲を認める、という方向をとった。

これが2002年代に生まれた1人の少年の生きた記録である。

故に私はこのような精神障害を含めてそれらすべてを現代の性(げんだいのさが)と命名した。現代の性の影響で私の小学生の頃恋仲になった彼女は自殺したし、小学生からお互いを親友と言った友達はワーカホリックになった。仏教のブログを立ち上げてくれて、一緒に作業をしてくれた男の子はひどい家庭環境によって自傷をせざるを得ない環境だったし、現にこのnoteで繋がりのあるフォロワーさんの多くは精神障害に悩まされている。

これを私は現代の性(げんだいのさが)という。

戦争はやめても心に戦争を作ったこの21世紀を、私は機能不全者ながら何もできることもなく、立ちこめる暗雲の予感にかなりの切迫感をもって将来を危惧している。

しかしそれでも私は生きるのをやめない。

この私の人生を私の力で生き抜いてみせる。

故に大学が行けるとか行けないとか、

そんなのは生きている以上、どうでもいい。

それがこれら諸々の過去から、規定される。

明日も必ず素晴らしい日になる。

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