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日々の徒然

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生きながら思ったことを無秩序に。 twitter : @kajacubo
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記事一覧

祖母の時間

この正月、祖母に会った。
4年前に祖父が亡くなってから、沢山会おうと決めていたけれど、3年近く会えていなかった。

縮んだ背。
薄くなった髪。
増えてきた物忘れ。
ほとんど見えなくなった片目。

歳を取ったのだなとは思うけれど、それだけだった。
ぼくの物心がついた時には、とっくに70を超えていたから。

埃の溜まった部屋。
手入れされていない水回り。
作って鍋に入れたままの煮物。
モノを詰めるだけ

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秤に時間を載せて

中学の担任に言われた言葉がある。

「人間は歳を取る程に、人生におけるそれまで生きてきた日々の割合が小さくなる。だから、それだけ1年が短くなる」

当時は「そんなバカな」と思ったが、それから10年近く経った今、彼の正しさしみじみと痛感している。
地球が太陽の周りを1周する時間が短くなったわけではないので、1年の長さは(厳密にどうであれ、少なくとも体感できる程には)変わっていない。しかし1年の長さの

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5万円のコロッケ

「人を殺すことは悪い」ことだと、恐らく多くの人が思っているだろう。ぼく自身もそうだ(先にこれを書いておかないと後々に言いがかりをつけられそうだから、ここではっきり述べておく)。

先日(と言っても数ヶ月前だが)、『ミステリと言う勿れ』(田村由美, 2016-, 小学館)をネット広告から飛んだ有料漫画サイトで試し読みした。この類の広告で出てくる漫画では珍しく、単行本を買いたいと思った(そして本屋に行

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秋の質量

気付けば9月に入って、早くも10日が経とうとしている。それだのに暑さはしばらく続きそうなのだから嫌になる。「これも残暑でござんしょか」などと最初に宣ったのはどなただろうか。思わず口に出さずにはいられない。

とはいえ、確かに秋の気配が感じられるのもまた事実だ。夕方に吹く風には、今までになかったようなどことない涼しさがある。ふと空を見上げると、上へ上へと飛んでみても、いつか見えない何かに行き当たっ

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幸せ、あるいは呪い

行き場のない焦燥感が
真綿のように首を絞める

何かをしなくてはと
執拗にぼくを鞭打つ

でもわからない
何をすればいいのだろう

画面の中の通行人は言った
何かすることで自分を成長させよう
今が絶好の機会だ

でもわからない
なぜ何かする必要があるのだろう

今日の風が囁いた
幸せになりたいのでしょう
チャンスは掴まなきゃ

でもわからない
何かすることが幸福なのだろうか

呪詛の鎖に身を縛られ

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空っぽ

空っぽな世界に生きる
空っぽなぼく

空っぽな人生は
空っぽな気持ちで

風に吹かれて
カラカラと心が揺れる



夜があたりを満たし
ぼくは眠れなくなる

空っぽの世界にあるのは
眼の前も見えない
真っ暗な闇

朝が来るのを待つけれど
朝日は結局なにも照らさない

空っぽな世界では
空っぽの心が揺れるだけ

悪者

一昔前の、とある時代劇。

旅のご隠居一行が立ち寄った街で、困っている人がいた。話を聞くと、誰かに悪さをされていると言う。

許せない!と見ている僕たちは思う。

悪事の証拠を掴み、悪者に突き付ける。はじめから正直に認めることはまずない。チャンバラを挟んで印籠を見せ付け、悪を成敗する。

僕たちは、悪が退治されてスッキリする。
誰が悪いのかがわかって、更に彼(女)を責めることができるから。

悪者

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卒業

卒業

今日、大学というものを卒業した。

卒業式のない卒業。なんだか少し変な感じ。

大学で過ごした5年間はあっという間だった気もするし、それなりに長かった気もする。

誰かと反目したこともあるし、誰かと笑ったこともある。今は昔で、通り過ぎた人たちも多いけれど。

1年間休学して、留学もした。人付き合いは好かないが、それでも向こうで多くの人と出会った。
それから2年が経って、彼らも名もなき存在に成れ果て

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芸術〜『裏切りのサーカス』を観て〜

芸術とは何なのかということを、最近よく考えている。別に僕自身が芸術に携わるわけでもないのに。

事の発端は、ジョン・ル・カレの1974年の小説を基にした『裏切りのサーカス』(原題:Tinker Tailor Soldier Spy)という映画である。内容については、「冷戦下の英国諜報部に潜入したモグラ(東側のスパイ)を探す話」と述べるだけに留めておく。

初めてこの映画を観た時、これが自分の欲して

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出会いの季節
新しい風が
僕たちに彩りをくれる


別れの季節
吹き抜ける風が
僕たちを千々に散らす


期待と不安
温かい風が
僕の心を掻き乱す


生命の息吹
あと幾度だろう
この桜を見れるのは


素知らぬ顔で
気付けばそこにいる
中にはちっぽけな僕

生の盲信

明日は〇〇をしよう。

そう思って眠りにつくことは多いし、きっと大勢の人たちも同じ。

けれど、どうして僕たちは、「明日」が来ると思い込んでいるのだろう。

誰も、明日自分が生きてるかさえわからないのに。

でも、明日が来ないかもしれない、と考えながら布団に入るのは、怖い。

「死」という得体の知れない何かが、夜の帷に乗じて、僕の思考に潜る。それは、眠りという安寧に甘んじることを許さない。

だか

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「生と死」と「死と生」の非対称性

通過電車に飛び込む女性の動画を、昨日見た。

彼女の自殺を称賛するつもりも、だしにするつもりも、ましてや真っ赤な他人の分際で偉そうに冥福を祈る気もない。

ただ一つ、僕の脳裏をよぎった問がある。
世界が暗転するその刹那に、彼女は何を思ったのだろう。

これで全てが終わると、安堵のようなものを感じたのか。それとももっと生きたかったと思ったのだろうか。答えは誰にもわからない。

けれどある意味では、死

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商業主義、あるいは虚構

ぼくたちの世界は奪われている
商業主義によって

流れ行く世界を
窓から切り取ろうとする時

誰もぼくを見ない街を
根なし草のように彷徨いたい時

いつもそれは主張する
こっちを見て!ほら!
そんなものはうっちゃって!

そして気付くといつも
明滅する虚構に目を預けている

否、きっとある人たちには
このがらんどうが世界そのものなのだろう
ぼくにはわからないけれど

今日もぼくは
実態のない存在の

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取るに足らないぼくと空、そして…

立冬を過ぎた空を見上げながら駅へと歩いていたら、駅を見下ろせる場所に続く階段と、駅へと下る坂があった。

時間だけはたっぷりあったから、ぼくは駅を見下ろすことだってできた。足早に行く都会の有象無象を眺めることができたのだ。

それでも、ぼくは駅へと下った。有象無象に埋没することを選んだ。下ってから、ぼくはそのことに気が付いた。

その時に、これがぼくの人生なのだと思った。特別な何かになるわけでもな

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