5万円のコロッケ

「人を殺すことは悪い」ことだと、恐らく多くの人が思っているだろう。ぼく自身もそうだ(先にこれを書いておかないと後々に言いがかりをつけられそうだから、ここではっきり述べておく)。

先日(と言っても数ヶ月前だが)、『ミステリと言う勿れ』(田村由美, 2016-, 小学館)をネット広告から飛んだ有料漫画サイトで試し読みした。この類の広告で出てくる漫画では珍しく、単行本を買いたいと思った(そして本屋に行く度に買い忘れるのを繰り返し、今に至る)作品である。
この作品で印象に残ったのが、「人を殺してはいけないという法律はない」といった主人公の台詞である。実際に調べてみると、殺人罪について刑法199条には「人を殺したものは死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」とある。なるほどこれはもっともだ。主人公の言う通り、人を殺してはいけないとは書かれていない。

ここから先はぼくの完全なる世迷い言である。そして「法律」と書いた場合、上述した刑法199条と置き換えてほしい。

極端なことを言ってしまえば、人を殺すことは禁じられていない。少なくとも法律によっては。
こう書くと、「殺人はこうした罰則があると書かれているのだからこれは事実上の禁止だ」などと宣う方も多そうだ。しかし"法律そのものが述べている"のはあくまでも「人を殺すと罰則がある」ということだけであり、「人殺しを禁じる」というのは"我々人間の解釈"に過ぎない(法律の世界には慣習法というのもあり、この話題に当てはめられるかは別として、近い観念を持ち出されると話がややこしくなりそうだが)。

それでは我々の持つ「人を殺してはいけない」という意識は何か。ぼくには倫理観としか答えようがない。おかげで大多数の人は殺人を犯さずに、言い換えるならその意味で社会秩序を乱さず平穏に生きられるのだ。
ところが同時に、これまた多くの人が「法律さえ許せばこいつを殺したい」と一瞬でも感じたことがあるのではなかろうか。そう感じた瞬間、もし法律がなければ、あなたはその人を殺していたかもしれない。
あなたがなぜ犯行を思い留まったかといえば、「殺人は割に合わない」という考え方のためだろう。目の前のその人を殺すことと、警察に捕まって罰を受け、何もかも失うこととを天秤に掛けた結果だ。逆に考えると、もし捕まって罰を受けるマイナスよりもその人を殺すことのプラスが(その時限りであれ)勝つのであれば、あなたはその人を殺していたかもしれない。

フラっと入ったレストランのメニューに1個5万円のコロッケがあったとしよう。通常の状態・環境にあればあなたはまず注文しないだろう。なぜなら、コロッケに対して5万円の価値を見出していないからだ。1個のコロッケに対してあまりにも割が合わなすぎるからだ。
しかし万が一、そのコロッケに対して5万円もの金額を払う価値を感じたのであれば、コロッケを食べることによる味覚的多幸感に相応しいと感じたのであれば、あなたは5万円のコロッケを注文するだろう。

法律は5万円のコロッケだ。コロッケを注文することが人を殺めることで、5万円を支払うことが罰を受けることだ。
あなたも含めて世間の大多数の人々は、コロッケに5万円の価値を見出していないし、同様に、他者を殺めることにメリットを見出していない。
それでもコロッケを頼むというのなら、それは自由だ。そして最初に述べたように、法律は殺人を禁止しているわけではないのだから、殺人もその意味では自由だ。
当然、殺人は他者の命を奪い、さらに被害者の周りの人をも奈落に叩き落とす行為だ。しかしそれもまた我々人間の解釈、あるいは我々のレンズを通して見たものである。そういったものや、被害者の苦しさ、遺族の苦悩といった感情的なものを全て排してみると、5万円のコロッケを頼むことと人を殺すことの間にそう変わりはない。

こう考え始めてから、殺人のニュースを見る度に、犯人はただコロッケを注文しただけなのだと思うようになってしまった。もちろん被害者の苦しみや遺族の苦悩といった感情的な事柄も考えはする。しかし純然たる思考を前には、感情を抑えなければならない。
けれど同時に、ぼくのなけなしの倫理観も、蓋をできぬほどの声を上げる。悲しいかな、人間という動物は所詮感情抜きに生きられないのだ。そしてこの二律背反を解決するのが、「食い逃げを許さない」ことになるのではないかと思う。コロッケを頼んだのなら、お代は払わなければいけない。人を殺したのなら、罰を受けなければならない。

こう書くと殺人そのものの発生は容認しているようにも見えるが、これはこれで良いのかもしれない。既に述べたように、大抵の場合コロッケ1個に5万円は釣り合わないのだ。同様に、大抵の場合殺人も割に合わない。だからぼくたちの社会の秩序は、基本的には守られているのだろう。開き直るわけではないが、どういう考え方であれ満足できる結果が出力されているのなら、それで良いのだろう。所詮は名もないちっぽけな存在の世迷い言なのだから…

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