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輪をつなぐ

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平和に関する記事を集めます。主に、みんフォトつながりです。
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記事一覧

ヒロシマを偲ぶ

ヒロシマを偲ぶ

 先日、広島平和記念資料館に足を運んだ。
連休中だったこともあり、家族づれや海外のかたでいっぱいだった。
失礼ながら手向けるものは手になかったが、この地に足を踏み入れることへのご挨拶やどうか安らかに眠れるようにという気持ちを込めて慰霊碑に手を合わせてから向かった。

 正直なことをいうと、ショックすぎて何も覚えていない。でも、ただ一つだけ言えるとしたら、戦争を赦してはいけない。そして、我々は平和に

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【読書】ドキュメント…なぜ昨日は10冊も買ってしまったのか?

【読書】ドキュメント…なぜ昨日は10冊も買ってしまったのか?

きのうはどうかしていた。
10冊も文庫を買ってしまった。

まず、お昼にコーヒー飲んでた
岩波書店系列のカフェで。

今月の岩波の新刊文庫が
なかなか良かった。

1冊は『吉本隆明詩集』。岩波文庫。
2冊目は、岩波が推してる作家
佐藤正午のエッセイコレクション
『かなりいいかげんな略歴』。
岩波現代文庫。

それから、そばにあった
佐藤正午
『彼女について知ることのすべて』。
光文社文庫。

吉本

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【戦争】今から読んでおきたい戦争小説、戦争漫画

【戦争】今から読んでおきたい戦争小説、戦争漫画

7月7日、七夕。

七夕が来ると、夏の到来だなあ
という実感します。

夏は日本では、 
戦争の記事や特集番組も
増えてくる。

決して単なる風物詩にしては
ならないと思うのですが、
なかなか暗いトーンになるから
戦争特集の番組や
戦争文学は、敬遠されていく。

どうしたらいいんでしょうね。

私は今日は、
戦争の小説、戦争文学について
書いてみたいと思う。

戦争文学といわれて、
すぐに浮かぶの

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SFの巨匠レムさんの初期作品集「火星からの来訪者」

SFの巨匠レムさんの初期作品集「火星からの来訪者」

<文学(93歩目)>
SFではないレムさんの才能に触れる作品集です。「火星からの来訪者」「ラインハルト作戦」「ヒロシマの男」が熱かったです。

火星からの来訪者: 知られざるレム初期作品集 (スタニスワフ・レム・コレクション)
スタニスワフ・レム (著), 沼野充義 (翻訳), 芝田文乃 (翻訳), 木原槙子 (翻訳)
国書刊行会

「93歩目」はSF界の巨匠スタニスワフ・レムさんの最初期の作品集

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(映画「マリウポリの20日間」を観て)

(映画「マリウポリの20日間」を観て)

「マリウポリの20日間」
(監督:ミスティスラフ・チェルノフ、2023年)

──

先日行なわれたアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した本作。奇しくも、ウクライナ史上初のオスカーとなりました。
ジャーナリストであり、本作の監督を務めたミスティスラフ・チェルノフさんは「この映画が作られなければよかった」と受賞コメントを発表。

内容は、ウクライナ東部に位置するマリウポリにロシアが侵攻を開始し

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ビキニ環礁水爆実験から70年。「グローバル・ヒバクシャ」は世界各地に。

ビキニ環礁水爆実験から70年。「グローバル・ヒバクシャ」は世界各地に。

今日は3月11日、2011年の東日本大震災から13年です。
東京電力福島第一原発事故で12市町村に国から避難指示が出されました。
すべての市町村で避難指示は解除されましたが、放射線量が比較的高い「帰還困難区域」が7市町村に残され、居住率は平均で3割です。
県の発表だけでも約2万6千人が故郷に戻れていません。
放射能被害の影響は今も続いています。

70年前の1954年3月1日、アメリカは太平洋マー

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広島原爆 被爆者シマ子

広島原爆 被爆者シマ子

はじめに

昭和20年当時、シマ子(25)の記録です

シマ子は私の祖母です

シマ子は平成3年に78歳で亡くなりました

少しずつ書き足している途中で公開しています

解読できない部分もあります

間違っているところや解読できる人は教えてください

時系列も並べ替えた方がいいところも教えて下さい

シマ子の夫 小川正三(享年32) 戦死

大島春江さんから小川清一への手紙

シマ子の
夫 小川正

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巡礼【エッセイ】一八〇〇字(本文)

巡礼【エッセイ】一八〇〇字(本文)

― 原爆の図 巡礼 ―

 「どうして、埼玉? しかも、東松山のはずれの田園地帯にあるのか。広島ではなく」と思いながら,市ヶ谷から車で向かった。(関越道)東松山IC降り、10分。田畑や工場を過ぎ、車一台がやっとの小道に入ると、「原爆の図 丸木美術館」があった。近くに都幾川。丸木位里の郷里(現・広島市安佐北区)には、爆心地近くまでを流れる太田川がある。その川を想いおこすことが、妻・俊との移住先、東松

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#019 骨つぼが後ろに並ぶ教室で

#019 骨つぼが後ろに並ぶ教室で

#日経COMEMO #NIKKEI  2023年12月3日 朝刊 春秋
約560字

<すぎ>
1945年8月15日、広島市に 原爆が 落ちました。
高橋さんは その日 用事があって 広島市に いませんでしたが、
友だちが たくさん 死にました。
高橋さんは たくさんの 友だちが 死んで
自分だけが 生きていることを とても 悲しいと 思いました。
高橋さんは 90歳になって その悲しい 気持ちを 

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【131】【映画】超絶ハイクオリティ作品のこの世界の片隅に

【131】【映画】超絶ハイクオリティ作品のこの世界の片隅に

頼むから見てほしい映画です。
この世界の片隅を

作品になります。
見ていて絵の感じや頭の中ではわかっているけどそれ以上感動があるから見てほしいと。
戦争の話で広島に住んでいる女の子の話、最後は原爆が落ちてというストーリーで展開もわかりやすいけど、それ以上のものが書かれているので見てくれと思ってます。
こういう作品に出合いたく沢山映画を見てきて、ひさしぶりに見たら感動し過ぎました。
そういう映画に

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記憶に残る1枚

記憶に残る1枚

月曜日の朝のこと。
職場に届く新聞を読んでいたら
『「安全への逃避」今も感謝』というタイトルの記事が。

そこに載っていた写真が、沢田教一さんというカメラマンが撮った、ピュリツァー賞受賞作の「安全への逃避」

ベトナム戦争の際、川を渡って逃げる母子を写した写真で、そこに写っている子ども達(今は60~70代)を取材した記事だった。

この写真、私が子どもの頃に、戦争に関する展示を見にいった時に見た1

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被爆者に寄り添うアメリカ人がいた!

被爆者に寄り添うアメリカ人がいた!

 終戦直後、原爆で家を失った人々のために広島と長崎に家を建てたアメリカ人がいたことを知った。平和活動家フロイド・シュモー氏。カンザス州出身の森林学者だ。知人に送った手紙にこう記した。
 「わが国が爆撃によって日本の罪のない人々に苦悩を与えたことを申し訳なく思う多くのアメリカ人の気持ちの証しになるものだ」
 
 原爆投下に衝撃を受け、1949年に広島を訪れて被爆者のための家を建てる「広島の家」プロジ

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平和の思いを次の世代に

平和の思いを次の世代に

私は、近年の日本を見て、不安を感じずにはいられません。
社会全体の雰囲気として、平和への思いが薄まっていると感じるからです。
今年の夏のテレビ番組表を見ても、戦争関連の番組は大幅に減っており、国の予算も教育や福祉の予算が減らされ、防衛費に多く充てられています。
「日本という国は、再び戦争に向かっていっているのではないか。」そう思わざるおえません。

フリースクールのスタッフとして、子どもたちの学び

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【神話エッセイ】 平和78年

【神話エッセイ】 平和78年

平成から令和に元号がかわるとき、ぼくは元号を「平和」にしてはどうだろうと考えていた。

太平洋戦争が敗北で終わり、その後曲がりなりにも平和が78年続いている。これはこれで喜ばしいことではないかと思う(太平洋戦争を経験した人々はもう二度と戦争がごめんだと、心から思ったことだろう)。それなら毎年その平和を確認するためにも元号が平和だったら年の初めに否でも意識するのではないかと考えた。

しかしながら、

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