合同会社Uluru(ウルル) 山田勝己

合同会社Uluruの代表:山田勝己と申します。愛知県名古屋市が本拠地ですが、これまで東…

合同会社Uluru(ウルル) 山田勝己

合同会社Uluruの代表:山田勝己と申します。愛知県名古屋市が本拠地ですが、これまで東は埼玉、西は大阪まで呼んでいただき、児童虐待など子どもの人権問題、地雷被害の問題、海洋プラスチックなどSDGs関連をテーマに、人権教育・国際理解教育のファシリテーターをさせていただいております。

最近の記事

近江歴史研究フィールドワーク③ 朝鮮通信使の通訳:雨森芳洲の生涯 その1 人となり

 ゆいネット・ナゴヤのフィールドワークのメインが雨森芳洲について学ぶことだった。かつて高校生で日本史を学んだ際、朝鮮通信使が徳川将軍のお祝いなどのために日本を訪れたことを学んだはずだが、当時の教科書には1~2行程度の説明しかなく、「朝鮮通信使」という用語をかすかに覚えている程度だ。  1990年(平成2)年5月、来日した当時の韓国の盧泰愚大統領は宮中晩餐会の答礼のあいさつの中で「270年前、朝鮮との外交にたずさわった雨森芳洲は誠意と言義の外交を信条としたと伝えられます…」と

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    • 近江歴史研究フィールドワーク② 小谷城戦国歴史資料館

       「ゆいネット・ナゴヤ」のフィールドワーク。次に訪れたのは小谷城戦国歴史資料館。小谷城を築城し、北近江を台頭した初代城主・浅井亮政融和政策に努め内政を良くした二代・浅井久政、せんごくの動乱に巻き込まれ、最期まで戦い抜いた浅井長政。戦国時代に名高い浅井三姉妹の|茶々・初・江《ごう》。  浅井三代の繁栄は初代亮京極家家臣団の中で、頭角を現していくことから始まる。京極家は室町時代に四職と呼ばれる中央政権の役職を担う名門であった。しかしながら、応仁の乱を過ぎた頃から北近江を支配する

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      • 近江歴史研究フィールドワーク① 大谷吉継の首塚

         名古屋にある人権擁護ファシリテーションの仲間たちと一緒に近江地方のフィールドワークに行って来た。「ゆいネット・ナゴヤ」と名乗る私たちのグループは、名古屋市教育委員会生涯学習課とタイアップし、毎月1回自主的な学びの場を設けながら、2月には5回シリーズで一般市民を対象に「人権擁護ファシリテーター養成講座」を開催している。  私たちは年に1回、10月の定例会を日帰りや宿泊型のフィールドワーククを実施している。これまでは、近いところだと名古屋城近辺や熱田神宮近辺、岡崎城近辺などの歴

        • 世界史から考える日本の外交 ②16世紀後半以降の対外政策

          【1】豊臣政権の国際戦略 (1590年代) 1.「天下統一」の阻害となった「地域国家」外交権  16世紀末、豊臣秀吉は強大な軍事力と朝廷の権威を利用し、天正18(1590)年までに日本列島各地の諸大名を降伏させ、日本の陸上の「領土」としての全国統一を実現した。しかしながら、豊臣秀吉にとっては、列島各地の現実を見た時、統一政策の完成とは言いがたいものだった。統一政権下に組み込んだはずの諸大名が個別に国外勢力と結んで外交や交易を行う体制が「天下統一」以降も温存されたままだった

        近江歴史研究フィールドワーク③ 朝鮮通信使の通訳:雨森芳洲の生涯 その1 人となり

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          世界史から考える日本の外交 ①16世紀後半以前の対外政策

            名古屋学院大学教授の鹿毛敏夫教授が著書「世界史の中の戦国大名」をもとにご講演される機会があったので、新たな学びを求めて名古屋学院大学大宝校舎にて開催された国際文化学フェスタ「戦国大名と秀吉・家康の国際戦略」を受講させていただいた。 【1】「倭寇」となった大名たち ~戦国大名と中国~(~1550年代) 1.足利義満による日明貿易  15世紀、元に代わった漢民族王朝の明は、中国を中心とする伝統的な国際秩序の回復を目指し、近隣諸国に朝貢を求めた。応永8(1401)年、室町幕

          世界史から考える日本の外交 ①16世紀後半以前の対外政策

          愛知の高校生のボランタリズム

           前回はトラウマやPTSDについての記事を書いた。  非常にショッキングな体験は、心に大きな傷を残す。しかし周りの人のサポートがあれば、その傷は後にまで残ることがずっと少なくなる。  阪神大震災が起こったときに、精神科医がもっとも心配したのは、被災者の多くにPTSDが起きるのではないかということだった。家族や友人などを地震で失ったり、あるいは生き埋めになった経験などがPTSDを引き起こす可能性は大いにあった。ところが実際のところ、精神科医が予測していたほどはPTSDは起きな

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          愛知の高校生のボランタリズム

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          ベトナム戦争とトラウマ

           臨床心理学の基礎を築いたジグムント・フロイト博士が精神分析を始めた当初は、「幼少時に受けた心の傷が神経症を引き起こしているのだ」と考えた。大人から身体的・性的な虐待を受けた記憶を、無意識の中に押し込めているために、その無理が神経症となって出てくるのだとフロイトは考えた。こうした、恐ろしい、ふだんしないような体験によって、心に生じた深い傷のことを心理学では「トラウマ」と言う。  ただし「トラウマがヒステリーの原因になる」というアイデアはフロイトの独創ではなく、フロイトの師にあ

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          ベトナム戦争とトラウマ

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          原爆報道の原点担った女性記者:口伝隊としての1945年8月

           前回の記事で井上ひさし氏の「少年口伝隊一九四五」を紹介したが、実際に原爆投下直後の広島にて、中国新聞の記者の女性が「口伝隊」として肉声で被害情報を伝えていたことを知った。中国新聞の記事にその女性記者が紹介されていた。以下は、中国新聞に紹介されていた記事から学んだことである。 ==================================  1945年8月6日の原爆投下…広島は壊滅的な打撃を受けた。それは情報機能も同じだった。県内で唯一の新聞社:中国新聞は本社が全焼

          原爆報道の原点担った女性記者:口伝隊としての1945年8月

          「命の再生」:広島口伝隊を知っていますか?

           いつの時代も、戦争はもっともらしく飾り立てた言葉によって始められる。「われわれの権利や利益を守るため」「野蛮しか知らない人たちに文明の恩恵を広めるため」「自由と民主主義を守るため」など、歴史上その言い表し方はいくつもあったが、いざ戦争が始まってしまうと、そこには残酷な殺し合いと略奪、暴力と破壊しかない。  19世紀から20世紀への変わり目の時期、長い鎖国から目覚めた近代日本は欧米の強国に対抗し、東アジアに勢力圏を広げようとして中国(当時の清国)、ロシアと戦って勝利し、さら

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          「命の再生」:広島口伝隊を知っていますか?

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          オリンピックの歴史⑥ スポーツと人権

          オリンピックにおける「人種差別」 アメリカの人種差別  1936(昭和11)年第11回ベルリン大会は、「人種差別」をオリンピックにもちこもうとした大会だった。その「人種差別」に真っ向から挑んだのが、陸上競技のアメリカ代表のジェシー・オーエンスだ。オーエンスは、ベルリン大会の前年である1935(昭和10)年に世界記録五つと世界タイ記録一つを出し、この時の、走り幅跳びの8m13cmという記録は25年間破られなかった。<上記写真:ジェシー・オーエンス>  オーエンスは、ベルリン

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          オリンピックの歴史⑥ スポーツと人権

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          オリンピックの歴史⑤ ピクトグラムとパラリンピック

           「オリンピック憲章」には、「オリンピック競技大会の有益な財産を開催国と開催都市が引き継ぐよう奨励する。」と書かれている。2013(平成25)年、IOC(国際オリンピック委員会)は、「スポーツ」「社会」「環境」「都市」「経済」の五つの分野をオリンピックレガシーとして掲げた。  過去の大会では、オリンピックの開催が決まると、大会を支障なく進めるために都市のインフラや施設が整えられるため、そこに住む人々の生活水準も向上している。  大会期間中の利便性や効率、安全性はもちろんだが、

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          オリンピックの歴史⑤ ピクトグラムとパラリンピック

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          オリンピックの歴史④ 日本オリンピックの父:嘉納治五郎と幻の東京五輪

           嘉納治五郎氏の銅像は、筑波大学東京キャンパス・放送大学文京学習センターに隣接した公園内にもある。NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公:金栗四三を中村勘九郎が演じた際、大学のロビーで企画展が催されていた。  嘉納治五郎は、1860年、現在の兵庫県神戸市東灘区で生まれた。嘉納は学業では優秀だったが、体格には恵まれなかった。そこで、東京帝国大学に入学後、非力な者でも力の強い者に勝てる柔術に心をひかれ、|天神真揚流柔術の道場に入門した。嘉納の上達は著しく、柔術二流派の長所に自分で

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          オリンピックの歴史④ 日本オリンピックの父:嘉納治五郎と幻の東京五輪

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          オリンピックの歴史③ 近代オリンピックの父と日本オリンピックの父

          クーベルタンと嘉納治五郎 クーベルタンのオリンピックへの思い  1863年、クーベルタンは、パリで生まれた。生家は、祖父がナポレオンの高官も務めたフランス貴族という名家だった。少年時代のクーベルタンは、古代ギリシャ・ローマ文明に興味を抱いていた。その後、クーベルタンは、イギリスの中等教育に興味をもち、20歳のときにイギリスのパブリックスクールを訪問した。このとき、スポーツが青少年の教育に重要な役割を果たしていることを知り、深い感銘を覚えたという。人の成長には肉体と精神の調和

          オリンピックの歴史③ 近代オリンピックの父と日本オリンピックの父

          オリンピックの歴史② 近代オリンピック

           1894(明治27)年6月23日、パリ国際アスレチック会議が開催され、クーベルタンの構想を協議し、オリンピックの復興が満場一致で可決された。その際、第1回大会をアテネで開催することが決定され、同時に次のことも決まった。 ■ 1896(明治29)年を近代オリンピアード(大会と次の大会との間の4年間を一周期とする古代の暦にならった単位)の1年目とする。 ■ 古代の伝統に従い、大会は4年ごとに開催する。また、その理念を広めて  いくために、大会ごとに開催地を替える。 ■ 競技種目

          オリンピックの歴史② 近代オリンピック

          オリンピックの歴史① 古代オリンピック

           古代オリンピックは紀元前8世紀に始まり、約1200年続いたときく。そもそもオリンピックがなぜ、どのように始まったのかを私は知らない。そこで、少しだけ調べてみたことを記事にしてみることにした。  オリンピックとは神に捧げる祭典  紀前8世紀頃、古代ギリシャでは都市国家間の争いが続いていた。エリスという国も、約50km離れたオリンピアという領地の所有権をめぐり、隣国のピサと交戦状態だった。そればかりか感染症も流行したので、エリスの王は行き詰まってデルフィにある神殿で祈りをささ

          オリンピックの歴史① 古代オリンピック

          日本とケニアのSDGs型蚊取り線香

           日本で「金鳥」と言えば、誰もが知っている企業名である。夏には「金鳥」の蚊取り線香や殺虫剤が欠かせない。  夏の季節に日本を代表する防虫対策として長年親しまれてきたのが、緑色の渦巻きでおなじみの蚊取り線香だ。発明したのは「金鳥」の商標で知られる大日本除虫菊の創業者:上山英一郎で、そのルーツは和歌山県有田市にある同社紀州工場が発祥の地だ。名産のミカンが作付けされた段々畑のふもとに紀州工場はあり、敷地内には、上山氏の生家が今も残されている。  ミカン農家の四男として生まれ育った上

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