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「命の再生」:広島口伝隊を知っていますか?

 いつの時代も、戦争はもっともらしく飾り立てた言葉によって始められる。「われわれの権利や利益を守るため」「野蛮しか知らない人たちに文明の恩恵を広めるため」「自由と民主主義を守るため」など、歴史上その言い表し方はいくつもあったが、いざ戦争が始まってしまうと、そこには残酷な殺し合いと略奪、暴力と破壊しかない。

 19世紀から20世紀への変わり目の時期、長い鎖国から目覚めた近代日本は欧米の強国に対抗し、東アジアに勢力圏を広げようとして中国(当時の清国)、ロシアと戦って勝利し、さらに1930年代に入ると中国東北部(旧満州)に広大な領地を求めて本格的な侵略戦争を開始した。このとき掲げられたのも、「王道楽士」「犬東亜共栄圏」(東アジア一帯を、王道に基づいてともに栄える理想郷にする)という美辞麗句にすぎなかった。

 ヨーロッパの強国もアジアやアフリカに多くの植民地を所有していたが、急速に台頭した日本の強引なやり方は国際的な批判を浴びると同時に、中国国内でも抵抗運動が広がった。結局、日本は同じように頭角を現してきたドイツやイタリアと同盟を結び、その他の国々を敵にまわした世界大戦へと突き進んでいった。そして、その結末が、広島と長崎への原子爆弾投下という悪夢のような大量殺戮だったのだ。

 井上ひさし氏は、戦争がどれほど残酷か、戦争がいかに人間を狂わせ、不幸に陥れるかを書きつづけた小説家であり、劇作家だった。「そんなものに熱狂してはいけない、人間はもっと楽しく、もっとまっすぐに、他人を不幸にすることなく生きられるはずだ。」と言い続けていた。さらに、「枕崎台風って、ありましたよね….原爆投下から1か月と10日後、広島を襲った超大型台風です。日本海から東北地方まで抜けて、広島を中心に4千人近い人が亡くなった。戦後の三大台風のひとつですよ。敗戦直後の混乱時だから、ほとんど報道もされなかった…。広島は原爆と台風と、たてつづけに二度の惨禍に見舞われ、二度とも放っておかれたんです。」と語っておられる。
 さらに、「被害の大きさだけを嘆くようなことはしたくないんです。広島の大地、広島の自然は、原爆と台風によって二度傷ついた。しかし、大地とと自然が再生、再々生の道を歩むのであれば、自然の一部である人間もまた…と、ずーっと調べたり、考えたりしているうちに、やっぱり事実と事実のあいだの人間の物語を書きたいと思うようになるのです。」という言葉を遺されている。
 そして、朗読劇『少年口伝隊一九四五』は、2008年2月、日本ペンクラブ国際フォーラムでのオープニング公演として、井上ひさし氏が演劇研修所の研修生のために書き下ろした。『少年口伝隊一九四五』は2013年、井上ひさし氏の朗読劇が小学高学年以上を対象にした作品として出版されている。内容は以下の通りだ。原爆で家族を失った3人の少年が、新聞を発行できなくなった中国新聞社にやとわれ、「口伝隊」と一員として、ニュースを口頭で人々に伝える。そして1か月後、原爆で壊滅した広島を巨大台風が襲う、というストーリーだ。

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