合同会社Uluru(ウルル) 山田勝己

合同会社Uluruの代表:山田勝己と申します。愛知県名古屋市が本拠地ですが、これまで東…

合同会社Uluru(ウルル) 山田勝己

合同会社Uluruの代表:山田勝己と申します。愛知県名古屋市が本拠地ですが、これまで東は埼玉、西は大阪まで呼んでいただき、児童虐待など子どもの人権問題、地雷被害の問題、海洋プラスチックなどSDGs関連をテーマに、人権教育・国際理解教育のファシリテーターをさせていただいております。

記事一覧

GW西尾フィールドワーク② 西尾城と大給松平家

 西尾市の岩瀬文庫で開催されていた「船頭重吉の484日漂流ギネス記録パネル展」を見学した後、初めて西尾城を訪ねてみた。西尾城を幕末に治めていたのが、大給松平家だ。…

GW西尾フィールドワーク① 世界最長漂流ギネス記録:小栗重吉

 4月に佐久島へのフィールドワークに出掛けた際、江戸末期に重吉という船頭が遭難に遭い、その漂流期間記録がギネスに認定されたと知った。重吉は佐久島の百姓善三郎の次…

390

GW知多半島を巡る旅④ お江が暮らした大野城

 愛知県常滑市に大野城という城郭跡がある。知多半島の旅から名古屋に戻る途中で気まぐれに立ち寄ってみた。なんと二代将軍徳川秀忠の正室お江が再婚であったことを初めて…

GW知多半島を巡る旅③ 野間埼灯台に初登頂

 半月ほど前、私が現在勤務する専修高等学校の1年生の知多半島美浜でのオリエンテーション合宿にて、2日目のグループオリエンテーリングの最終目的地が野間灯台だった。…

GW知多半島を巡る旅② 岩屋寺奥之院

 以前から一人では何度か訪れているが、家族と一緒に来たのは初めてかもしれない。第2弾は長い長い歴史をもつ岩屋寺。  岩屋寺のホームページの情報によると、開基は相…

GW知多半島を巡る旅① 時志観音

 ゴールデンウイーク…どこに出掛けても混雑は免れないと思い、あえて日帰りで家族4人の知多半島フィールドワークの旅を計画した。  第1弾は、以前妻とも母とも訪れた…

ビキニ環礁での水爆実験が生んだゴジラ

 ビキニ環礁は、かつて日本委任統治下南洋諸島の1島で1945年8月15日のアメリカ合衆国への割譲以降、1946年7月1日のアメリカ合衆国による第二次世界大戦後の最初の核実験(…

日本から世界を照らすソーラーランタン

 2009年2月、カンボジア地雷撤去キャンペーンという博多のNGOが主催するスタディツアーに参加した。私にとっては初めての途上国への訪問だったは、カンボジアの人々と関わ…

390

「メダカの学校」から思う

 体長3~4センチの可愛らしい日本メダカ。体が小さい割には目が大きく、その目が上のほうに付いているという理由から、「目高=めだか」というのがその名の由来だとのこと…

390

マラリア根絶への道:かつて光源氏も感染?

 人類を長く苦しめてきた病、マラリア。いまも年間2億人以上が感染するなかで近年、ワクチンの開発が進み、根絶に向けた闘いを後押ししはじめた。一方で、気候変動の影響…

地球の未来を守るグリーン・リカバリー

 世界中に深刻な打撃を与えた新型コロナウイルス感染症。コロナ禍からの回復に向けて、いま国際的な気運として高まっているのが「グリーン・リカバリー」と呼ばれる考え方…

『空海』ってこんなすごい人だったんだ!③

 奈良国立博物館での生誕1250年記念特別展「空海 ~密教のルーツとマンダラ世界~」の第3弾。  言い伝えでは、空海が42歳の時、弘仁6(815)年に四国霊場を開創したと言…

『空海』ってこんなすごい人だったんだ!②

 奈良国立博物館で開催中の「生誕1250年記念特別展『空海』~密教のルーツとマンダラ世界~」での学びから「空海を知る」の第2弾。  恵果和尚は空海に持ち帰らせるため…

390

『空海』ってこんなすごい人だったんだ!①

 4月14日、妻のたっての希望で奈良国立博物館で開催されている『生誕1250年記念特別展 「空海 ~密教のルーツとマンダラ世界~」』を見学した。空海が『性霊集』に遺し…

ネパールの国旗はなぜ三角形なの?

 妻と一緒に自宅近くにあるネパール料理店に初めて行ってみた。エスニック料理が好きな私たちはネパール料理(カレー,ナン,タンドリーチキンなど)を堪能したのだが、妻…

日本で苦しむ外国籍の子どもたち

 外国籍や他国にルーツを持つ人たちが、この日本にはたくさん暮らしている。家族とともに日本にやって来た子どもも多いのだが学校で必要な支援を受けていなかったりする恐…

390
GW西尾フィールドワーク② 西尾城と大給松平家

GW西尾フィールドワーク② 西尾城と大給松平家

 西尾市の岩瀬文庫で開催されていた「船頭重吉の484日漂流ギネス記録パネル展」を見学した後、初めて西尾城を訪ねてみた。西尾城を幕末に治めていたのが、大給松平家だ。ちなみに松平家は18もあり、大給松平家は、徳川家康の高祖父松平長親の弟である松平乗元が初代となる。三河国加茂郡大給(現在の愛知県豊田市)を領したことから大給松平家と称する。以下の文章は、西尾市資料館の企画展「大給松平のお殿様と転封」という

もっとみる
GW西尾フィールドワーク① 世界最長漂流ギネス記録:小栗重吉

GW西尾フィールドワーク① 世界最長漂流ギネス記録:小栗重吉

 4月に佐久島へのフィールドワークに出掛けた際、江戸末期に重吉という船頭が遭難に遭い、その漂流期間記録がギネスに認定されたと知った。重吉は佐久島の百姓善三郎の次男として生まれ、尾張半田村百姓庄兵衛の養子となった。29歳のときに廻船督乗丸の沖船頭として乗組員13名とともに師崎から江戸へ航行し、その帰路に伊豆子浦沖で暴風雨に会い、約17ヶ月間、太平洋を漂流した。イギリス船フォレスター号に救助され、アラ

もっとみる
GW知多半島を巡る旅④ お江が暮らした大野城

GW知多半島を巡る旅④ お江が暮らした大野城

 愛知県常滑市に大野城という城郭跡がある。知多半島の旅から名古屋に戻る途中で気まぐれに立ち寄ってみた。なんと二代将軍徳川秀忠の正室お江が再婚であったことを初めて知った。

 浅井長政とお市の方の娘である3姉妹の末娘「江」が常滑市大野の領主・佐治一成に嫁いできたのは1583年のこと。父の佐治信方が永禄初年頃に信長の妹・犬を室に迎えていることから、一成と江は従妹であり織田一門格ということになる。父・信

もっとみる
GW知多半島を巡る旅③ 野間埼灯台に初登頂

GW知多半島を巡る旅③ 野間埼灯台に初登頂

 半月ほど前、私が現在勤務する専修高等学校の1年生の知多半島美浜でのオリエンテーション合宿にて、2日目のグループオリエンテーリングの最終目的地が野間灯台だった。知多半島を旅することの多い私にとっては、まさにシンボルであり、野間灯台の真っ白な雄姿を見ると海に来たなぁと感じられるスポットだ。昨年秋に妻と一緒に美浜町のイベントに参加した際、野間灯台に灯台守のカップルが就任されると聴いた。野間灯台の灯台守

もっとみる
GW知多半島を巡る旅② 岩屋寺奥之院

GW知多半島を巡る旅② 岩屋寺奥之院

 以前から一人では何度か訪れているが、家族と一緒に来たのは初めてかもしれない。第2弾は長い長い歴史をもつ岩屋寺。

 岩屋寺のホームページの情報によると、開基は相当古い。
 草壁皇子と元明天皇の娘である元正天皇が即位された霊亀元(715)年に勅使として押小路中納言実直卿が都より派遣され、 後に東大寺建立に尽力され日本で最初に大僧正になられた行基菩薩が導師となり聖観音の開眼供養が行われたのが始まりと

もっとみる
GW知多半島を巡る旅① 時志観音

GW知多半島を巡る旅① 時志観音

 ゴールデンウイーク…どこに出掛けても混雑は免れないと思い、あえて日帰りで家族4人の知多半島フィールドワークの旅を計画した。

 第1弾は、以前妻とも母とも訪れたことのある時志観音へ。
 もともとは慈雲山影源寺称し、永正元(1504)年、聖窒有賢和尚を開山として創立された真言宗のお寺だ。本尊の時志観音は十一面観音菩薩で、天長4(827)年、三河湾に浮かぶ佐久島の漁師の網にかかり島内に安置されていた

もっとみる
ビキニ環礁での水爆実験が生んだゴジラ

ビキニ環礁での水爆実験が生んだゴジラ

 ビキニ環礁は、かつて日本委任統治下南洋諸島の1島で1945年8月15日のアメリカ合衆国への割譲以降、1946年7月1日のアメリカ合衆国による第二次世界大戦後の最初の核実験(原子爆弾実験)と、それ以降1958年まで23回の核実験(原子爆弾および水素爆弾)が行われた環礁である。現在はマーシャル諸島共和国に属する。

 1946年7月の原子爆弾の実験が由来となって水着のビキニの名称が生まれた。1946

もっとみる
日本から世界を照らすソーラーランタン

日本から世界を照らすソーラーランタン

 2009年2月、カンボジア地雷撤去キャンペーンという博多のNGOが主催するスタディツアーに参加した。私にとっては初めての途上国への訪問だったは、カンボジアの人々と関わる中ですぐに大好きな国になった。ツアーにツアー中に理事長から、名古屋で当NGOの団体の責任者を引き受けてほしいと依頼され、それ以来、カンボジアへの渡航を8回ほど経験してきた。

 カンボジアは、都市部こそ電気や水道があるが、都市部か

もっとみる
「メダカの学校」から思う

「メダカの学校」から思う

 体長3~4センチの可愛らしい日本メダカ。体が小さい割には目が大きく、その目が上のほうに付いているという理由から、「目高=めだか」というのがその名の由来だとのことだ。かつては、小川や田んぼでよく泳いでいたのに、最近はめっきり見かけなくなった。河川改修や農薬によって激減しているからだ。環境省のレッドデータリストで絶滅危惧種に分類されるほど、今では数を減らしている。

 さて、そのメダカだが、”弱い

もっとみる
マラリア根絶への道:かつて光源氏も感染?

マラリア根絶への道:かつて光源氏も感染?

 人類を長く苦しめてきた病、マラリア。いまも年間2億人以上が感染するなかで近年、ワクチンの開発が進み、根絶に向けた闘いを後押ししはじめた。一方で、気候変動の影響が、新たな課題にして立ちはだかっている。

 アフリカのケニア西部ビタの港から小型ボートで15分ほどの距離にあるムファンガノ島は、アフリカ最大の湖・ビクトリア湖に浮かぶ島だ。八丈島ほどの面積に約2万5000人が暮らす。1月初め、島東部の公立

もっとみる
地球の未来を守るグリーン・リカバリー

地球の未来を守るグリーン・リカバリー

 世界中に深刻な打撃を与えた新型コロナウイルス感染症。コロナ禍からの回復に向けて、いま国際的な気運として高まっているのが「グリーン・リカバリー」と呼ばれる考え方だ。直訳すれば「緑の復興」だが、グリーンが意味するのは森林などの自然だけではない。「環境に配慮した取り組み全般を指し、エネルギーや交通、廃棄物など、幅広い領域を網羅します」と説くのは、国内外の環境開発協力に携わる海外環境協力センター(OEC

もっとみる
『空海』ってこんなすごい人だったんだ!③

『空海』ってこんなすごい人だったんだ!③

 奈良国立博物館での生誕1250年記念特別展「空海 ~密教のルーツとマンダラ世界~」の第3弾。

 言い伝えでは、空海が42歳の時、弘仁6(815)年に四国霊場を開創したと言われている。有名な説の1つが、弟子の真済がの遺跡を遍歴したことから始まったとされるもの。空海が生きていた平安時代、四国は修行の地とされ、空海自身も四国で修行していた。空海の入定後(死後)、真済ら修行僧がその軌跡を追って旅を始め

もっとみる
『空海』ってこんなすごい人だったんだ!②

『空海』ってこんなすごい人だったんだ!②

 奈良国立博物館で開催中の「生誕1250年記念特別展『空海』~密教のルーツとマンダラ世界~」での学びから「空海を知る」の第2弾。

 恵果和尚は空海に持ち帰らせるために弟子たちに曼荼羅を描かせたり密教経典を写させたり、法具を用意するなど、付法(師が弟子に教法を授けること)を進めていたが、空海への付法が全て終わると、安心したかのように12月に息を引き取った。
 
 空海が恵果和尚と出会ってわずか6ヶ

もっとみる
『空海』ってこんなすごい人だったんだ!①

『空海』ってこんなすごい人だったんだ!①

 4月14日、妻のたっての希望で奈良国立博物館で開催されている『生誕1250年記念特別展 「空海 ~密教のルーツとマンダラ世界~」』を見学した。空海が『性霊集』に遺した言葉「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きなん(この世の全ての物が消滅し、仏法の世界が尽きるまで、私は人々が救われることを願い続ける)」が素晴らしい。

 弘法大師「空海」は宝亀5(774)年、今でいう香川県善通寺市で、

もっとみる
ネパールの国旗はなぜ三角形なの?

ネパールの国旗はなぜ三角形なの?

 妻と一緒に自宅近くにあるネパール料理店に初めて行ってみた。エスニック料理が好きな私たちはネパール料理(カレー,ナン,タンドリーチキンなど)を堪能したのだが、妻から「どうしてネパールの国旗は四角くないの?」と聞かれ、答えられなかったので、調べてみることにした。

 私たちが知っている国旗という概念は、日本の国旗も含めて横長の長方形を思い浮かべてしまうのだが、国旗が長方形でない国がネパールを含めて3

もっとみる
日本で苦しむ外国籍の子どもたち

日本で苦しむ外国籍の子どもたち

 外国籍や他国にルーツを持つ人たちが、この日本にはたくさん暮らしている。家族とともに日本にやって来た子どもも多いのだが学校で必要な支援を受けていなかったりする恐れもある。世界で紛争が絶えない今、隣人となった外国籍の子たちの教育の現状を知り、互いの文化を大切にしながら生きる学校づくりが求められている。

 文部科学省が日本語教育の必要な外国人児童生徒数の統計を取り始めたのは1991年で、その数は54

もっとみる