ちゅら

バラバラな思考のまま。もう誰も泣かなくていいように。

ちゅら

バラバラな思考のまま。もう誰も泣かなくていいように。

最近の記事

ヒロシマを偲ぶ

 先日、広島平和記念資料館に足を運んだ。 連休中だったこともあり、家族づれや海外のかたでいっぱいだった。 失礼ながら手向けるものは手になかったが、この地に足を踏み入れることへのご挨拶やどうか安らかに眠れるようにという気持ちを込めて慰霊碑に手を合わせてから向かった。  正直なことをいうと、ショックすぎて何も覚えていない。でも、ただ一つだけ言えるとしたら、戦争を赦してはいけない。そして、我々は平和について真摯に向き合う必要があるということ。    原爆が落とされた1945年8

    • 「ピノキオを殺したら殺人か?器物破損か?」

       SEVENTEENのYoutubeコンテンツ「GOING SEVENTEEN EP101.13인의 성난 사람들#1」にて、「ピノキオを殺したら殺人か。それとも器物破損か。」と言う議題について12人(S.CUPSは不在)が議論した。  すごく納得のいく意見が多かったのでこちらも是非見てほしい。(というか、リスペクトを込めてこの記事を書いているので見てください。)  さて、ここでは私なりに考えた意見を述べていこうと思う。まず結果から言うであれば            ピノ

      • ヒーローを思い出した話

         部屋でパソコンを眺める。  最近は暑いから、紅茶を淹れてから、氷がたくさん入ったカップに移し替えるのがルーティーン。  茹だるような暑さと、こなしてもこなしても湧き出てくる課題から逃げるようにふと幼稚園の卒園アルバムを開く。 「幸せに暮らしてる?」 「あの時はごめんね」 「優しいところが大好きだった。」  何にも興味がなかった私に音楽をくれた人。要領が悪かった私に対していつまでも優しくしてくれて、いつだって私の味方でいてくれた。  音楽だけじゃない。幼稚園で泣かされ

        • 気持ち。

           私は深夜1時を越えると寝れなくなってしまう。自分を責め立てるだけの今日の反省会を終えた後、勝手にこの世の中の被害者の会を設立して頭の中で活動し始める。だから夜中は怖い。夜の暗さに甘えて弱音を吐いてしまう自分も、闇に囲まれて実際の立ち位置を見失う自分も全てお昼の私とは全く違う。  この日も確かそうだった。一人反省会を終えてから、ネットサーフィンをしていた。 「思うようにいかない毎日。それでも私たちは救いあえる。」  そんな言葉が目に入った。やわらかい日差しの中、暖かい空気を

        ヒロシマを偲ぶ

          受け入れていくということ。

           私たちは、年齢を重ねるごとに少しづつ昔の自分とは姿を変えていく生き物だと思う。それは進化なのか退化なのか定かではないけど。人と関わり合う中で自分を形成していく、知らなかった自分を受け入れていこうとする、その興奮と不安に揺さぶられているのが案外心地よかったりする。だから、人は家族という形態で他人と一緒に暮らすことを許容しているんじゃないかな。  「愛する」ということは何によって明確なものになるんだろう。言葉で伝えること?それとも態度で表すこと?恋愛映画に描かれるものだけが愛

          受け入れていくということ。