めばる

趣味は書道、硯石の研究、やきもの蒐集のほか、禅、ブッダ、芸道、哲学、科学、進化生物学、…

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趣味は書道、硯石の研究、やきもの蒐集のほか、禅、ブッダ、芸道、哲学、科学、進化生物学、宇宙論、歴史などに興味があります。たんなる噂話にならないよう、学びのある情報発信を心掛けています。 @thakuraku #硯 #赤間硯愛好会 #書道 #伝統工芸 #独学 #哲学

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はじめての哲学 自分探し?

 養老孟子 「自分」の壁 では人生には世界の基準、物差しがあるべきなのにそれが揺らいでしまっているとあります。  人間というのは一人一人がそれぞれの世界像をもっ…

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3年前
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少年と鳩

少年と鳩のものがたり ある日、少年の母親が生まれたばかりの鳩の雛をもらってきました。巣から落ちた雛のようでした。母親は、 「春休みだから、この雛を育ててあげてね…

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1日前
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すきま風 人を愛して人はこころひらく

私の好きな昭和の歌謡曲に「すきま風」という曲があります。1976年リリースなのでずいぶん古い曲です。当時歌っていたのは時代劇俳優の杉良太郎さん。たしか「遠山の金さん…

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4日前
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方丈記 鴨長明

あることがきっかけで3年ぶりに読み返してみました。 一切の万物が生滅変転して、常住ではありません。この世におけるすべてのものは時とともに移り変わって、同じ状態に…

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5日前
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東洋哲学「荘子」 万物斉同 無為自然

今回は荘子について考えます。 荘子(荘周)は戦国時代の紀元前300年ごろ、宋の蒙(河南省商邱(しょうきゅう)県)に生まれました。漆を採る漆園(しつえん)の役人などをし…

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11日前
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論語 学而第一

今回は、論語です。東大の先生に安冨歩という大変ユニークな先生がいらっしゃいます。(詳細は調べてみてください) 安冨先生の著作「生きるための論語」についてそのさわ…

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2週間前
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禅と俳句 鈴木大拙「禅と日本文化」より

今回は鈴木大拙著「禅と日本文化」より禅と俳句の関係性について考えたいと思います。 まず、禅の悟りは心理学的に言えば「無意識」を意識することであると述べています。…

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2週間前
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禅語 松に古今の色無し

出典は夢窓国師語録。臨済宗の禅僧、夢窓疎石(1275~1351)の語録に 「便向他道 竹有上下節 松無古今色」 があります。 松は常に緑色をした常緑樹です。松の緑に古今の…

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3週間前
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老子 玄の又た玄

今回は老子の玄の又た玄について考えてみます。 道可道、非常道。名可名、非常名。 無名、天地之始。有名、萬物之母。 故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。 此兩者同出而…

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3週間前
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漢詩 行路難 李白

李白は中国盛唐の詩人です。生地は明らかではありませんが、少年時代は四川で過ごしました。揚子江流域の諸都市を放浪し、途中、玄宗に仕えましたが、宦官の讒言によって追…

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3週間前
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幽霊って見える人もいます。

蒸し暑い日が続いていますね。今回はちょっと異質なテーマでお話しします。少しは涼しくなるかもしれません。 私は小さいころから不思議なものが見えます。火球というバレ…

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3週間前
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硯考 書と禅

今回は大森曹玄 著「書と禅」を参考に気韻生動について考えてみます。 大道に入る門はなく、多くの道があるだけだ。 無門の関を透過して、天下に一人歩くだけ。 気韻生…

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4週間前
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硯考 淡墨で交差する順序が書き順と逆になるのはなぜですか。その2

前回の実験では枯墨(製造後約20年経過)を使用しました。 その結果、淡墨で交差する順序が書き順と逆になることが分かりました。 今回は新墨でどのようになるのか確認し…

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1か月前
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硯考 淡墨で交差する順序が書き順と逆になるのはなぜですか。その1

今回は、淡墨の線が重なるとき先に書いたほうが上に見えるのはなぜですかというご質問がありましたので、調べてみました。 写真A 淡い墨で横画、たて画の順に連続して十字…

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1か月前
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硯考 書の線質について

書の線質とは何かについての話から、先生はこういう引用をされました。 「神気骨肉血」 これは蘇東坡の書論『東坡題跋』に出てくる言葉です。 神気は精神、心のこと 骨肉…

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1か月前
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生き方 心の内側を素直に話してみる

人には自分のことを自ら話すタイプの人と、自分のことはかたくなに話さないタイプの人がいます。私はこういう人だと早く知ってもらいたいので前者のタイプです。こういう人…

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1か月前
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はじめての哲学 自分探し?

はじめての哲学 自分探し?

 養老孟子 「自分」の壁 では人生には世界の基準、物差しがあるべきなのにそれが揺らいでしまっているとあります。

 人間というのは一人一人がそれぞれの世界像をもっています。その世界像に方向づけられて生きているので、自分の世界像が危機に瀕したときそれを見直す必要にせまられます。このときに役立つのが哲学ではないかと思います。

 私とは何かについて他人や自分に対して物語る場面で私たちは自分の世界像をつ

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少年と鳩

少年と鳩

少年と鳩のものがたり

ある日、少年の母親が生まれたばかりの鳩の雛をもらってきました。巣から落ちた雛のようでした。母親は、
「春休みだから、この雛を育ててあげてね。」
といって少年に手渡しました。
鳩の雛の姿は、産毛が生えていてかわいいと呼べるようなものではありませんでしたが、少年はかわいそうだと思って、育てることにしました。
まだ自分で餌を食べれないので、春休みの間は付きっきりで世話を
しました

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すきま風 人を愛して人はこころひらく

すきま風 人を愛して人はこころひらく

私の好きな昭和の歌謡曲に「すきま風」という曲があります。1976年リリースなのでずいぶん古い曲です。当時歌っていたのは時代劇俳優の杉良太郎さん。たしか「遠山の金さん」という時代劇のエンディングの曲だったと思います。ちょいとヤクザな遠山桜ですね。作詞はいではく、作曲は遠藤実さんです。

私はこの歌詞がとても好きです。
(一部省略しています)

「すきま風」
人を愛して人はこころひらき
傷ついて すき

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方丈記 鴨長明

方丈記 鴨長明

あることがきっかけで3年ぶりに読み返してみました。

一切の万物が生滅変転して、常住ではありません。この世におけるすべてのものは時とともに移り変わって、同じ状態にとどまることはありません。
ひとの心も住むところもまた同じ。私はこのすみかとは人が住むところというより、心の居場所ではないかと思います。
長明はこの世の生きずらさの中で、安らぎの場所、自分の心の居場所はどこにあるのかを追い求めた、そういう

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東洋哲学「荘子」 万物斉同 無為自然

東洋哲学「荘子」 万物斉同 無為自然

今回は荘子について考えます。

荘子(荘周)は戦国時代の紀元前300年ごろ、宋の蒙(河南省商邱(しょうきゅう)県)に生まれました。漆を採る漆園(しつえん)の役人などをしていたようです。老子とともに老荘思想の中心を成しましたが、老子と同様に謎の多い人物です。その著作「荘子」においても本人と思われる記述の他に、後人の追加による思想などがあると言われています。しかしながら、「荘子」が後世に与えた影響は非

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論語 学而第一

論語 学而第一

今回は、論語です。東大の先生に安冨歩という大変ユニークな先生がいらっしゃいます。(詳細は調べてみてください)
安冨先生の著作「生きるための論語」についてそのさわりの部分をご紹介します。

子曰、 學而時習之、不亦說乎。
有朋自遠方來、不亦樂乎。
人不知而不慍、不亦君子乎。

子曰く、学びて時にこれを習う、亦また説ばしからずや。
朋あり遠方より来たる、亦た楽しからずや。
人知らずして慍みず、亦た君子

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禅と俳句 鈴木大拙「禅と日本文化」より

禅と俳句 鈴木大拙「禅と日本文化」より

今回は鈴木大拙著「禅と日本文化」より禅と俳句の関係性について考えたいと思います。

まず、禅の悟りは心理学的に言えば「無意識」を意識することであると述べています。

このように悟りというものは論理的には解釈できません。禅は芸術に対してどのように作用したのでしょうか。

ここで、禅の世界とは通常の世界とは変わりありません。ただ、禅にはそれらの基をなす原理とか真理とかいうものの直覚があるといいます。

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禅語 松に古今の色無し

禅語 松に古今の色無し

出典は夢窓国師語録。臨済宗の禅僧、夢窓疎石(1275~1351)の語録に
「便向他道 竹有上下節 松無古今色」
があります。

松は常に緑色をした常緑樹です。松の緑に古今の色はありません。でもこれを常住不変の色と解釈してはいけないような気がします。
(解釈のしかたは人それぞれですからいろいろな解釈があります。)
なぜなら、すべての存在や事象は恒常的でなく、絶えず変化しています(諸行無常)。一様の色

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老子 玄の又た玄

老子 玄の又た玄

今回は老子の玄の又た玄について考えてみます。

道可道、非常道。名可名、非常名。
無名、天地之始。有名、萬物之母。
故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。
此兩者同出而異名。同謂㆓之玄。
玄之又玄、衆妙之門。

道の道とすべきは常の道にあらず。
名の名とすべきは常の名にあらず。
名無きは天地の始め、名有るは萬物の母。
故に、常に欲無くして以てその妙を觀、
常に欲有りて以てその万物の源となるところ徼(き

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漢詩 行路難 李白

漢詩 行路難 李白

李白は中国盛唐の詩人です。生地は明らかではありませんが、少年時代は四川で過ごしました。揚子江流域の諸都市を放浪し、途中、玄宗に仕えましたが、宦官の讒言によって追われ、多難な人生でした。その後、長江を上下しながら余生を送りました。

「行路難」は天使を補佐することや、文学で名をはせるといった志を遂げられず、鬱屈した心情を吐露した李白の心情がうたわれています。

ではその後半の一部を紹介します。

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幽霊って見える人もいます。

幽霊って見える人もいます。

蒸し暑い日が続いていますね。今回はちょっと異質なテーマでお話しします。少しは涼しくなるかもしれません。

私は小さいころから不思議なものが見えます。火球というバレーボールくらいのオレンジ色の火の玉、俗に言われる幽霊なるもの。おそらく遺伝だと思います。

むかし、祖母がこんな話をしてくれました。祖母の家の近くに公民館があります。その横に細い下り坂の路地があります。その路地の2軒目に友達が住んでいたそ

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硯考 書と禅

硯考 書と禅

今回は大森曹玄 著「書と禅」を参考に気韻生動について考えてみます。

大道に入る門はなく、多くの道があるだけだ。
無門の関を透過して、天下に一人歩くだけ。

気韻生動とは気品、風格が生き生きと感じられることです。何かの道に徹するということは厳しい修練が必要です。それに耐えて高い境地に達し、無意識に書に取り組んだとき、その人の内に積み重ねられたものが純化し表出されることがあります。気韻の備わった作品

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硯考 淡墨で交差する順序が書き順と逆になるのはなぜですか。その2

硯考 淡墨で交差する順序が書き順と逆になるのはなぜですか。その2

前回の実験では枯墨(製造後約20年経過)を使用しました。
その結果、淡墨で交差する順序が書き順と逆になることが分かりました。

今回は新墨でどのようになるのか確認したいと思いますが、手持ちの新墨がないので、市販の墨液(書法一品 墨運堂)を使用します。

写真C
墨液で淡墨を作り横画、たて画の順に連続して十字を書きます。
どちらの線が上に来るのかはっきりしません。
交差部の横画の上の白い線も現れませ

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硯考 淡墨で交差する順序が書き順と逆になるのはなぜですか。その1

硯考 淡墨で交差する順序が書き順と逆になるのはなぜですか。その1

今回は、淡墨の線が重なるとき先に書いたほうが上に見えるのはなぜですかというご質問がありましたので、調べてみました。

写真A
淡い墨で横画、たて画の順に連続して十字を書きます。最初に書いた横画が上に見えます。書き順と逆に見えます。十字の重なり部分は濃くなっていません。

写真B
淡い墨で横画を書いて充分乾燥させた後、たて画を書きます。
どちらが上かはっきりしなくなりました。
また、十字の重なり部分

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硯考 書の線質について

硯考 書の線質について

書の線質とは何かについての話から、先生はこういう引用をされました。
「神気骨肉血」

これは蘇東坡の書論『東坡題跋』に出てくる言葉です。

神気は精神、心のこと
骨肉血は肉体、体のこと
こう捉えると神気骨肉血とは心体、つまり人間のことになります。

中田勇次郎の『中國書論集』によれば、

蘇東坡は技術や形の美しさのみに捉われることなく、高い人格が書に表現されることを重要と考えています。
書はうまく

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生き方 心の内側を素直に話してみる

生き方 心の内側を素直に話してみる

人には自分のことを自ら話すタイプの人と、自分のことはかたくなに話さないタイプの人がいます。私はこういう人だと早く知ってもらいたいので前者のタイプです。こういう人は何を考えているのか比較的わかりやすいと思うのですが、後者のタイプは、どんな人なのか最初はわかりづらいのかもしれません。

自分のことを進んで話さない人は少しプライドがあって、軽く見られたくないという気持ちがどこかにあるのかもしれません。ま

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