めばる

趣味は書道、硯石の研究、やきもの蒐集のほか、禅、ブッダ、芸道、哲学、科学、進化生物学、…

めばる

趣味は書道、硯石の研究、やきもの蒐集のほか、禅、ブッダ、芸道、哲学、科学、進化生物学、宇宙論、歴史などに興味があります。たんなる噂話にならないよう、学びのある情報発信を心掛けています。 @thakuraku #硯 #赤間硯愛好会 #書道 #伝統工芸 #独学 #哲学

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

はじめての哲学 自分探し?

 養老孟子 「自分」の壁 では人生には世界の基準、物差しがあるべきなのにそれが揺らいでしまっているとあります。  人間というのは一人一人がそれぞれの世界像をもっています。その世界像に方向づけられて生きているので、自分の世界像が危機に瀕したときそれを見直す必要にせまられます。このときに役立つのが哲学ではないかと思います。  私とは何かについて他人や自分に対して物語る場面で私たちは自分の世界像をつねに確認しながら生活しています。つまり私の物語を作っているわけです。この物語は自

    • 生き方 心の内側を素直に話してみる

      人には自分のことを自ら話すタイプの人と、自分のことはかたくなに話さないタイプの人がいます。私はこういう人だと早く知ってもらいたいので前者のタイプです。こういう人は何を考えているのか比較的わかりやすいと思うのですが、後者のタイプは、どんな人なのか最初はわかりづらいのかもしれません。 自分のことを進んで話さない人は少しプライドがあって、軽く見られたくないという気持ちがどこかにあるのかもしれません。また、そういう人は指導的な立場にある方に多いのかもしれません。 なぜそうなるので

      • 置かれた場所で咲けなくてもいい

        「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があります。 私たちは生まれた時にこの場所にたまたま置かれています。 この場所に自ら望んで置かれたわけではありません。 そんな場所で、一生懸命努力して咲かなければならないのでしょうか。 今、自分がどんな場所に置かれ、どんな状況にあるかは一時的なものです。 会社でも学校でも一生続くものではありません。たまたま居心地が悪ければ変わることもできます。別にそこではなく他の場所で咲けばいいのではないでしょうか。 そこしかないといった絶対的な居場所

        • 発菩提心とは

          発菩提心(ほつぼだいしん)とは と辞書にあります。 大愚和尚さんの話の中では 発菩提心とは自分以外の誰かのために自分ができることはないだろうかと見つけてお手伝いすることです。 (利他心と慈悲に思い立つことかな。) 中高年になると何不自由なく生活しているのに、何か物足りなさや心の空白のようなものを感じることがあります。このような漠然とした悩みは何か問題があるということではなく正常な悩みのようです。 大愚和尚さんはこのような悩みが出てきたときはむしろチャンスと捉えたほうがよい

        • 固定された記事

        はじめての哲学 自分探し?

        マガジン

        • 生き方
          18本
        • 硯考
          18本

        記事

          「老師と少年」 南直哉

          今回は南直哉和尚さんの「老師と少年」について考えてみます。 少年は死ぬとはどういうことかが知りたくて老師のもとを訪ねます。 前夜 少年 「なぜです。みんなが考えるべきこと、考えなくてはいけないことではないのですか?」 老師 「そうではない。考えてしまう人と、考えなくてもすむ人がいるだけだ。そして考えなくてもすむ人が、世の中の仕組みをきめていく。その世の中で、考えてしまう人は迷い、遅れ、損をする」 老師 「彼は今夜、自分が一人ではないことを知ったのだ」 生老病死という人

          「老師と少年」 南直哉

          俳句 朝顔につるべとられてもらひ水

          この俳句は加賀の千代女の作で、お気に入りの一句です。 加賀の千代女)は、1703年加賀国松任、現在の石川県白山市に表具屋の娘として生まれました。幼い頃から父が集めた書画に囲まれて育ち、6歳の頃にはすでに俳句を詠んでいたと伝わっています。17歳のときに松尾芭蕉の弟子であった各務支考に俳句の才能を認められ、千代女は俳句の創作に打ち込みます。1775年に73歳で亡くなる直前まで俳句の創作に励み、現在までに約1900句が確認されています。 この句の情景は、朝、井戸の前で水を汲もう

          俳句 朝顔につるべとられてもらひ水

          思考のレシピ6 共に考える

          価値の基準 伝統や文化について考えるとき何を基準に考えればよいのでしょう。伝統や文化はふつうは守っていくべきものと考えます。その価値とは何でしょう。 伝統工芸品というものがあります。経済効率や生産性にその価値を置くと一般的な工業製品にはかないません。同じものをより安くつくるという経済的な満足度の考え方です。 それに対してより人間的な満足度で価値を判断するということがあります。それぞれが持つ芸術性や精神的なものに価値を置く考え方です。私たちが伝統や文化を守っていくことは人間的

          思考のレシピ6 共に考える

          座右の書

          辞典にはこのように説明されています。頼りにできるものがあると心の支えにもなります。 では、座右の書はどのようにしたらできるのでしょう。 よく座右の書にする○○冊といった本を目にします。こういう推薦本から気に入ったものを選ぶという方法もあると思います。でも、座右の書というのは繰り返し何度も読む本ですよね。果たしてそういった本と簡単に出会えるのでしょうか? 私の考えでは、座右の書は選ぶものではなく、出会うものだと思います。それは名著であったり、古典であったり様々ですが、いろん

          座右の書

          生き方 ゲシュタルトの祈り

          私は私の人生を生き、 あなたはあなたの人生を生きる。 私はあなたの期待に応えるために、この世に生まれたのではない。 あまたも私の期待に応えるために、この世に生まれたのではない。 あなたはあなた。私は私。 もしふたり、心が通い合うことがあれば、それは素晴らしいこと。 けれどももし、わかり合えないままであっても、 それはそれで致し方のないこと。                   フレデリック・パールズ 自己とは、見つけるものではなく、創造するものである。           

          生き方 ゲシュタルトの祈り

          思考のレシピ3 相対化して考える

          例えば、富士山は静岡側から見る姿と山梨側から見る姿とは違っています。また、飛行機から見える姿と新幹線から見える姿も違っています。 ものは固定的なひとつの在り方をしているわけではありません。 私たちは何かに行き詰まったとき、そのことだけしか見えなくなることがよくあります。そんなとき別の見方もあると気づくことによって道が開けることがあります。 相対化してみるというのは具体的にどういうことなのでしょうか。 それは、 相手の立場や気持ちになって考える。 別の可能性を考えてみる。

          思考のレシピ3 相対化して考える

          思考のレシピ10 自分を創る

          自分とは何かという結論を出すことではなく、問うことが大切です。問いながら自分を創り出す。そのプロセスが大切なんだと思います。 自分を客観的に観るということはできるのでしょうか。内側から自分を観るということは難しそうです。そういう時は他者の視点を参考にしてもいいような気がします。これまでに気付かなかった自分の一面に気づくことができるかもしれません。 変るものと変わらないもの 哲学では変わる存在と変わらない存在の二つの考え方があります。 変らない自分を肯定するかしないか、変わ

          思考のレシピ10 自分を創る

          思考のレシピ2 思考の三つの方法

          私たちはどのようにしてモノの存在を認識しているのでしょうか。 カントは私たちの認識能力として「感性」「悟性」「理性」の三つを挙げています。 感性 私たちのいる世界は三次元の空間に時間が加わった四次元の世界ですよね。この時間と空間という形式によって、そこにモノがあることに気づくのが感性です。ですから、感性によってある時ある場所にを把握することができます。 悟性 私たちはモノを把握したあとそれがどのようにあるかを知る能力も持っています。その能力でそれが何であるか理解します。対

          思考のレシピ2 思考の三つの方法

          宮地嶽神社

          今回ご紹介するのは福岡県福津市にある宮地嶽神社です。 数年前にCMの光の道でも有名になりました。 県内では3社参りの一つに数えられる大きな神社です。 タイトル写真の松林の向こうに見えるのは相ノ島です。 御由緒息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)様 別名「神功皇后」様は第14代仲哀天皇様のお后様にあたられます。 古事記、日本書紀等では渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨み天神地祇(てんしんちぎ)を祭壇に祀り「天命を奉じてかの地に渡らん。希(ねがわ)くば開

          宮地嶽神社

          めばるのイラスト変更

          これまでHPなどに使っていたロゴマークがデジタルのイラストだったため、今回、絵の先生に描いていただきました。手書きのイラストです。 この「めばるちゃん」は眼張というだけあって、とってもいとおしいお目をしています。うるうるしてるー。きれいでかわいいー。 今日届いたので、今、机の上に飾ってあります。 額までついてたー。popoさん、ありがとう。 popoさんのnoteページはこちらから https://note.com/popo684 でも、よく考えてみたら、あのお値段でも

          めばるのイラスト変更

          硯考 漢字用とかな用の墨

          今回は、かなに漢字用の墨を使うとどうなるかについて考えてみました。 漢字用として古梅園の紅花墨(三星)、かな用として古梅園のかな用櫻形を使用しました。 これら二つの墨の大きな違いは価格を別とすると、原料となる煤粒子の違いです。一般にかな用の油煙墨漢字用に比べて微粒子で、さらっとしてのびが良いという特徴があります。漢字用は粒子はそれほど細かくなく粘性も高い傾向があります。 漢字用の墨がかなで使えないということはありません。その差はどこにあるのでしょうか。ここでは字形よりも線

          硯考 漢字用とかな用の墨

          科学とブッダの相性が良いのはなぜですか?

          今回は、科学とブッダについてのお話です。私もそうですが、ブッダの教えというのは理系の人には受け入れやすいものです。 ブッダが創成した本来の仏教は大変合理的なもので、神秘性というものはほとんどありません。合理性という面で科学と仏教は同じ世界観に立っているといえそうです。 科学の物質的世界観は神の視点という物から遠ざかってしまいました。そして現在では人間という存在だけをよりどころにしています。 一方、仏教というのは神なき世界で、人間という存在だけをよりどころとして精神的な世界観

          科学とブッダの相性が良いのはなぜですか?