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日本の漢詩 広瀬淡窓

今回は、東京書籍の生鮮古典B漢文編にある日本の漢詩から広瀬淡窓を取り上げます。

広瀬淡窓

広瀬淡窓(1782―1856)
は江戸後期の教育家、漢詩人、徳行家、儒学者で、豊後国(大分県日田市)の人です。教育家としては、学塾咸宜園(かんぎえん)において3081人の門弟を養成し、高野長英、大村益次郎、長三洲などを輩出しています。咸宜園の咸宜とは咸く宜し(ことごとくよろし)すべてのことがよろしいという意味で、淡窓は門下生一人ひとりの意志や個性を尊重するという想いがこめられています。その思想は

宇宙の主宰者「天」の理の究明を聖人に帰し,衆人は「敬天」で十分とする考えが淡窓思想の中核にあるが,淡窓自選の墓銘は「その学は大観を主とし,人と同異を争わず,旁ら仏老を喜ぶ」という。「唯己カ身ノ為ニスル」学問の立場をとる淡窓は,この立場から新註古註,古今和漢の書を採用し,また仏教や老子易理にも関心を持った。

朝日日本歴史人物事典

とあります。

さて、教科書に出ている漢詩は

「桂林荘雑詠示諸生」 桂林荘雑詠 諸生に示す

 休道他郷多苦辛 道うを休めよ 他郷苦辛多しと
 同袍有友自相親 同袍 友有り 自ら相親しむ
 柴扉暁出霜如雪 柴扉 暁に出づれば 霜雪の如し
 君汲川流我拾薪 君は川流を汲め 我は薪を拾わん

故郷を離れて苦労が多いなんて、そんなこと言ってはいけないよ。
ここには志を同じくする仲間がいるじゃないか。楽しみも自然と生まれてくる。
明け方、柴の戸から外に出ると、霜が雪のように積もっている。
君は川の水を汲んでくれ。僕は薪を拾ってくるよ。

桂林荘(園)とは咸宜園の前身の塾です。

漢詩というと中国、唐の時代のものが多いですが、日本人の作ったものにも名詩が数多く残っています。広瀬淡窓についてはどういう人物であったのかもう少し調べてみたいと思います。

葉室 麟の「霖雨」は広瀬淡窓が主人公の小説です。

天領である豊後日田(大分県日田市)で、私塾・咸宜園を主宰する広瀬淡窓(儒学者・詩人)と家業を継いだ弟・久兵衛の物語。入門にあたり年齢・学歴・身分を問わない淡窓の教育方針は当時としては画期的。全国から入門希望者が集まったが、お上にとっては危険な存在で、西国郡代からのいやがらせが続く。一方、掛屋を営む弟の久兵衛も、公共工事を請け負わされ、民の反発をかって苦境に陥っていた。
 そんな折、大塩平八郎の乱に加わった元塾生が淡窓のもとに逃げてくる。お上に叛旗を翻した乱に加わった弟子に対し、淡窓はどんな決断を下すのか。また久兵衛は難局を乗り切ることができるのか。
 本書は、直木賞作家である著者がデビュー以来、温めてきた題材。手を携えて困難に立ち向かいながらも清冽な生き方を貫こうとする広瀬兄弟の姿を通し、「長い雨が降り続いて心が折れそうになっても決して諦めてはいけない」というメッセージが切々と胸に迫る歴史小説。

PHP研究所の解説より引用


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