見出し画像

はじめての哲学 自分探し?

 養老孟子 「自分」の壁 では人生には世界の基準、物差しがあるべきなのにそれが揺らいでしまっているとあります。

 人間というのは一人一人がそれぞれの世界像をもっています。その世界像に方向づけられて生きているので、自分の世界像が危機に瀕したときそれを見直す必要にせまられます。このときに役立つのが哲学ではないかと思います。

 私とは何かについて他人や自分に対して物語る場面で私たちは自分の世界像をつねに確認しながら生活しています。つまり私の物語を作っているわけです。この物語は自分肯定するためにを作りなおしたり、他者と共有することもできます。自分を生かした物語がどうやったらできるのか、私は何を求めているのか、決めるのは自分自身なんですね。どこかに正しい物語(生き方)があってそれを求めてしまいますが、どういう考え方をすると自分を生かせる物語ができるかと肯定的に発想するのがよいようです。お手本通りに生きたっておもしろくありません。

 自分探しでは本当の自分は探せないということです。自分で本当の自分のことを客観的に見ることはむずかしいでしょう。また、自分の中にもう一人の自分がいれば自己同一性が破綻してしまいます。

 自分探しをするという発想ではなく、なぜ私は自分探しをするのだろうか?私が欲しているものは何か?という問いを立てること。なんだか哲学的になってきました。そう考えることでもっと自分を知るきっかけになると思いませんか。

参考 「集中講義 これが哲学!」 西 研 河出書房新社



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?