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抑えられていた『感情』




こんなにも涙を流し、苦しそうにうめき声をあげている妻の姿を、僕は初めて見た。


その姿は今まで理性で抑えられていたものが一気に噴き出したような、母親としての『本能』のようなものだったのかも知れない…。

・・・・・



僕らは早めに病院に着いてしまい、近くの公園で時間を潰していた。


長い梅雨空が続く中、奇跡的にも今日は晴れている。


お別れをするという日が、せめて晴れていてくれて本当に良かった。


もちろんこれは僕らの気分次第ではあるけれど、今は少しでも前向きになれることが必要なんだ。


2人で、いや3人でビルの隙間から太陽の光を浴びながら、僕らは病院の開院時間を待った。


時間になり病院に入ると、看護士さんは僕らを先日とは違うフロアの個室に案内をする。


どうやらこの病院は昔は分娩も行っていたらしく、入院する部屋が何室か用意されていて、僕らはその一室に案内されたようだ。


妻が術着に着替えている間に、僕は部屋の外にあるトイレへと向かった。


扉を開けると、エレベーターの前に看護士さんが、妻の準備が終わるのを待っているのが見える。


僕は足早にトイレを済まし、看護士さんに声をかけた。


『あの…すみませんが、取り出した赤ちゃんに…一言「ありがとう」と伝えてもらえませんか…?』


本当はもっとたくさんの言葉を伝えて欲しかった。


僕らの元にきてくれてありがとう、よく頑張ったね、次はおみそを忘れちゃダメだよ、大好きだよ、絶対にまた会おうね…


言いたいことはたくさんあった。


でも、今にも溢れ出そうな涙をこらえながら、看護士さんに僕がお願いできるのは、『ありがとう』、この一言だけだったんだ。


悲しそうな笑顔をしながら、看護士さんは『わかりました』と返事をしてくれた。


ここの病院の人たちは、本当に優しい人ばかりだ。


個室の部屋を開けると、ピンクの術着に着替えた妻の姿があった。


『…いよいよだね』


『…そうだね』


僕らはそう互いに声をかけ、自然とソファーに座ってお腹の我が子を撫でた。


長い不妊期間を経て、体外受精という方法を選択し、唯一成長できた受精卵として、僕らの結婚記念日にやってきてくれて、すくすくと成長してくれたおこちゃん。


2ヶ月という短い時間だったけど、あなたのおかげで僕らは父親として、母親としての自覚と覚悟をすることができた。


たくさんの喜びとたくさんの悲しみを経験させてくれた。


本当に、たくさんのことを僕らに教えてくれて、ありがとう。


僕らは涙でぐしゃぐしゃになりながら、再び互いの手を握り、お腹の子を撫でた。


『絶対に、また会おうね』


そう3人で約束をして、僕はこれから母親として、最後の役目を立派に果たそうとする妻の姿を、できる限りの笑顔で見送った。


エレベーターが閉まり、僕は1人個室の病室に戻る。


部屋のソファーには、妻がまとめてくれていたおこちゃんのエコー写真のファイルが置いてある。


僕はそれを手にしながら、また泣いた。


どうか、おこちゃんが苦しまずにおそらに帰れますように、そして、妻が無事に戻ってきますようにと願いながら…。

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