マガジンのカバー画像

可能なるコモンウェルス

82
主権者の一人一人が、独立・自立した権力主体=コモンウェルスであることは可能なのか、どうすれば可能となるのか。法の支配・デモクラシー・社会契約、イソノミア・タウンシップ・評議会、イ…
運営しているクリエイター

#自由

可能なるコモンウェルス〈6〉

 国家は何よりまず他の国家に対して国家なのであり、主権者はその国家においてただ一人である。その前提の下、他国との関係においては国民として一体化し、あたかも「一人の人間」であるかのように振る舞う一方で、我が身の個別的な生存と利害を何よりも優先させ、己れに関わり合うあらゆる事柄について抜け目なく算段して余念のない、「国民=人民」なるものの二面性。ルソーはそのような、人民=国民の二面性が見せる裏腹な欲望

もっとみる

可能なるコモンウェルス〈7〉

 国や社会などといったものが考えられているとき、人は何よりもまずそこに「集団」を見出している。一定の人間集団の存在を念頭に置き、かつそれを前提とした上で、その前提に条件づけられたものとして自らの関わり合う国や社会を構想することについて人は何も疑いを持たないし、この前提をしばしば「他の人々」に強いたりもする。
 「権力が発生する上で、欠くことのできない唯一の物質的要因は人々の共生である」(※1)とア

もっとみる

可能なるコモンウェルス〈8〉

 国家は何よりもまず、「一定の領域内部において共生する人々の結合体」として捉え出される、というのが一般的な通念であろう。そのように、共生する人間集団としての「国家なるもの」に関連づけて、集団的な人間結合体の成員間における、一定の「結びつきの強固さ」を、より具体的に喚起する形容として、あるいはその成員である限りは、けっして容易に離反することができないような一定の「足かせ」として、「家族」という一語が

もっとみる

可能なるコモンウェルス〈9〉

 アレントの考えによれば、権力の発生には「他者との共生」が不可欠の条件になるのだが、しかし実のところこのような「他者」とは、けっして互いに「一体化することができない」という意味においても「他者」なのである。
 そのような、けっして一体化しえない「他者」との共生は、必ずしもそこで人間同士互いに「集団となること」を要求しないし、むしろそれは不可能なことであるという、一種の逆説を孕んで成り立っている。そ

もっとみる

可能なるコモンウェルス〈10〉

 支配者も被支配者も同時に従うような、「一定の共同性」を有した規範の下、一定に構造化され制度化された関係性において、しかしこれもまたある一定の仕方で構造化され制度化された「関係の絶対性」が、一方を支配者に、また一方を被支配者として、それぞれを「一方的に」振り分けておいてはそれを釘止めにし、その関係性を絶対化している。その振り分けに、はたして一体どんな根拠と仕掛けがあるものなのかはともかくとして、ま

もっとみる

可能なるコモンウェルス〈16〉

 一般に相続の関係を取り結ぶことができるものとされているのは、実際上「相続する者と相続される者が、その関係において相対的な立場にある」ということが明らかな場合にのみである。その関係の相対性にもとづいて、相続される者からする者へと、互いのその現状の立場は「移譲することが可能なものである」と見なされ、そこではじめて、相続される者とする者双方の、互いのその立場の「地位」が確立され、その地位に関連した諸々

もっとみる

可能なるコモンウェルス〈17〉

 人民自身によって国家の支配的な権威を相続することの、その正当性=正統性を問うものであるような「革命」とは、しかしそれによって何か「新しいものを創設する」ということに、その目的が見出されていたというわけではけっしてなく、むしろ「かつてあった、古き善きものの回復」にこそ、その志向というものは指し伸ばされていたと言える。「正当性=正統性を問う」ということがまさに、その志向を証拠立てているのだ。
 そし

もっとみる

可能なるコモンウェルス〈23〉

 近代のデモクラシー=民主主義の成立を担った人間集団といえば、それは言うまでもなく「市民」である。そしてその「市民という人間集団」が、単に抽象的な区分に終わることなく、明瞭な具体性と現実性をもって一定の社会的役割を果たしうるものとなるよう、その機能的基盤を支えていたのが、自分の意志で自由に扱える資産・資本と、それを活用するに十分な独自の生産手段を所有する、いわゆる「ブルジョワジー」と呼ばれる一群の

もっとみる

可能なるコモンウェルス〈25〉

 自分自身の利得のためなら一切をかなぐり捨てて、その時々の場面に応じて「どんな人間にでもなることができる」し、そのことを全く厭わない。こういったある種の「したたかさ」というのはむしろ、かつてブルジョワジー自身がそこに自らを紛れ込ませ、「自分自身でなくなるようにしてまで」共同化していった、ある具体的な人間共同体=「国民国家」における一般的な利害意識として、あるいはその具体的な人間共同体=「国民国家」

もっとみる

可能なるコモンウェルス〈26〉

 あらためて、人民主権を基盤とする近代民主主義国民国家が実際に形成されるに到る、その原動力となったものとは何であったかについて考えてみると、それこそまさにブルジョワジーを中心とした市民階級の存在と、彼らが中核的役割を果たして成立した市民社会だったのだというように、ひとまずは言っておいて差し支えはあるまい。そしてこの前提に立ってはじめて、「一般民衆=デモス」は「国民=ネーション」となり、彼らが構成す

もっとみる

可能なるコモンウェルス〈27〉

 「貨幣」は国民=ネーションを、その「国家の内部において共同化すること」について、大いに役立ったものだと言えるだろう。
 たとえばもしも「ネーション」なるものが、一般に考えられているように何らかの「理念」や「イデオロギー」にもとづくものでしかないのだとしたら、「その国家に内属する全ての人々=国民が、こぞって丸ごと共同化する」などということが、これほどまでに首尾よくうまくいくなどということは、けっし

もっとみる

可能なるコモンウェルス〈29〉

 ブルジョア階級は、彼ら自身が築き上げた「何者でもないがゆえに何者にでもなれる自由な世界」へと、世の全ての者たちを誘い入れようとする。そして、呼び込んだその全ての人々を、彼ら自身と同じような仕方で生きさせようとする。教育や社交、あるいは娯楽遊興などといった、様々な社会的・経済的な生活行動全般を通じて、彼ら自身の手で作り上げてきた「ブルジョア的生活・行動様式」を、社会一般の現実的生活経験として、全て

もっとみる

可能なるコモンウェルス〈30〉

 ブルジョア階級が歴史的大変動の主要な一翼を担った、市民革命の時代。その精神的支柱となった政治的・社会的理論の側面では、トマス・ホッブズやジョン・ロックあるいはジャン=ジャック・ルソーなどといった、哲学史に名を残す錚々たる面々により、「社会契約」なる概念をキーワードとして盛んな議論が交わされていたわけである。
 ところでこの「社会契約」概念について、実はそれを二種類のものとして区別することができる

もっとみる

可能なるコモンウェルス〈31〉

 いわゆる社会契約と呼ばれている考えについて、その「根本」には、あるいは「現実」として、たとえばホッブズが言うところの「獲得されたコモンウェルス」として区分される側面が、実際に一定の人間集団あるいは人間共同体の実態的形相としてあらわれているものだと見て、おそらく差し支えはないのだと思われる。具体的に言うとこの、社会契約理論の根本的・現実的側面の実態的形相とは、要するに「国家」の形をとってこの世界に

もっとみる