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散人の作物

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#創作

短編小説『「誰かの誰か」として 三人の物語』

短編小説『「誰かの誰か」として 三人の物語』

第一章 桜の後

初恋の人との恋愛は、今はもう、おとぎ話のようで。
涙を流した日々さへ単に形式だけの儀礼に過ぎなかったのではないか。そう訝しむほど人生は過ぎていた。

春先に彼は新しい職場でプログラマーの仕事を再開した。職場と言えどもそこは、彼の新しいマンションの一室に他ならない。個人事業主として細々と、自分の出来る範囲のコードを書く日々。張合いは無い。しかし彼はそんなもの求めてはいなかった。ただ

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外出と憂鬱と

外出と憂鬱と

一時期狂ったように外出していた時があった。出先でも少しの暇さえあれば、その見知らぬ町を歩いたものである。

例えば栃木県足利市。これは別になぜそこに行ったのかもう覚えていない。旅行だったか。それにしても日に短い滞在であっった。名の知らぬ川の流れるその町の橋を渡り、市街地に出たが、思いのほか人気なく少しく悲しくなった。だが、足利神社なる有名な神社の近くで何やら製菓専門学校の学生たちが自分らが作ってた

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夢を追い求む、見果てぬ夢を

夢を追い求む、見果てぬ夢を

連日の雨はさながら寒雨の如きであった。街路の桜のその花弁は雨に濡れ露を発している。寒気は恰も先月のまだ厳しい時分を彷彿とさせた。往来はめっきりと人通りが減り、ただ寂しい車だけがアスファルトの水溜まりの上を通る。私は自室に篭り、相変わらず読書と映画鑑賞で日を潰した。

自閉的な現代において、その外側に注する場合、それは自閉的であるからこそ克己をなさねばならぬ。巷に相対的な言説が跋扈している訳はそこら

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待望の暖気

待望の暖気

路傍の梅花は満開となり、都下には桜花開花宣言がなされた。三月中旬のことである。二十一回目の春を迎えて、私は初めて迎春を喜ぶという事態になった。何も今まで、意固地になって春を否定していたのではない。私にとって春とは何ら意味をなさない退屈の季節であったし、暑きよりも寒きを喜ぶ体質なのである。

華やかよりも地味なものを愛玩する私であるはずなのに何故、今日に及んで春の暖かさを喜ぶのか。それは、己が体調と

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病臥報告記

病臥報告記

生来他病なるは如何なる因果か。輪廻転生を信じざる余に取ればカルマなんぞは考える必要はないのだが、然しこうも病多し身体であると、そんな取り止めのない所まで思索が及んでしまうのは、恐らく余のみなる事ではあるまい。
もう半年以前から胃の痛みに悩ませれていたが、余は元来医者など当てにせざる質である為、周囲よりの勧めを無視し、何から変わらざる日々を送っていた。が、然しとうとう耐えかねて、重い腰を上げ近所の医

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春近し、初恋を

春近し、初恋を

沙汰無きは、無事なる事なり、と宣いしは祖母なり。そう言われる通り、私は祖父母宅を訪れるのは稀になっていった。それはつまり我が郷里に近づき難いからに他ならない。
あの通い慣れた街道を歩む時、或はあの感じ慣れた風を体に受ける時、著しいノスタルジーが私を包囲して、つまらぬセンチメントを喚起させるのだ。
例えば私は、故郷にて何か後ろめたい事をした。そういう訳では決してない。何をするにも何も出来ぬ空虚な街に

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小説『鮮血への贖い』

小説『鮮血への贖い』

自分の容姿に過不足を感じた事は今までに一度もない。そう断言できる。俺は確かに良い容姿で今日まで生きてきた。それは、幸いでもあり不幸せでもあると言わねばなるまい。自意識はその分肥大するのだから。

子供の頃、の記憶を辿ると俺はなき泣き虫であった。それは何に対して?少なくともそれは他人に対してではない。言うなれば世間に対して俺は恐怖を抱いていたという他ない。テレビに流れる残虐な映像は俺をこの世界に不安

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過ぎし面影、巴里の日々、アル中の男

過ぎし面影、巴里の日々、アル中の男

不眠なる私は枕頭に立つ思い出を一晩の伴侶にする他無いという悲しき定め。是多多あり。それは確かに、かつての記憶を思い出し、その地に立たせるのだが、いかにも辛いと言わざるを得ないのは、この浮世に長く止まった性か。それは分からん。どんな思い出が立つのか。それは妄想に近い時もあれば、また忠実なる過去の一時をありありと、その上、明瞭に思い出すこともある。
女を思い出すことが多いのだが。そんな時もあるのさ。や

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二〇二二年 俳句集

二〇二二年 俳句集

二〇二二年に創りし俳句

初富士や雲に紛れぬ其姿     一月二日

冬空は何時の間にやら陽がのびて 一月四日

街静か久方振りなる白化粧    一月六日

木の枝やその身しなりし雪の後  

晴れた日の残雪白き光哉

晴れた日に残雪白木日陰哉    一月七日

寒風が吹けば落ちたりパナマ帽

冬空に浮かぶ真昼の青き月    一月十四日

あの夏と変わらぬ月をただ一人

あの夏と変わらず見つめる昼

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短編小説『終わりなき「終わりなき日常」』

短編小説『終わりなき「終わりなき日常」』

崩壊のその予兆は決して実現せざるものなり、と横山博和は既に知っていた。だが、それでもいつかは自分を含めた世界が壊滅するという事を今や遅しと待ち望んではいる。

彼は、二十三歳の彼は思春期をとうの昔に脱してはいるのにも関わらず終焉のその時を、全てが原点に戻るその地点を、まるで備えるかの様に粛々と日々を余生の様に送っているのだ。だが実態、正しく居ても居なくても同様な存在として日常のある地点にいる。

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惜別は冬の気配に運ばれて

惜別は冬の気配に運ばれて

序に記

この大都会・東京で知己に会うは易からざる事なるべし。況や情交ありし人に於いてをや。東北の偉大なる大詩人は人と人との別れ難きを説かれられしが蓋しそれ即ち真理なるべし。



木枯らし吹き葉が落ちる。そんな秋の終わりはいつだって寂しいものだ。独り夕暮れの商店街を歩んだ時にふと思い出す過去。甘い追憶を絆される秋の夕暮れ。内省は幾度と無しに繰り返されて私と私以外との輪郭は次第に明瞭になっていく

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読書の秋に 荷風探訪 一名『葛飾土産』散策記

読書の秋に 荷風探訪 一名『葛飾土産』散策記



秋深し。路傍の並木は既に紅葉し吹く風は葉を巻き込んで舞い上がる。その行方を追うとどこまでも広がる青い空の向こうに鴉が飛んでゆく。
秋。喪失の季節にして再生への予兆。孤独な秋には芸術がよく似合っている。読書にせよ何にせよ太陽は厳しくもなくただ燦然と天にあるのみ。
散歩に行こう。往昔の書を携えて。荷風散人の足跡を追って。

葛飾への流浪

永井荷風『葛飾土産』は彼が晩年に記した最後の名作(石川淳

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